これは今から15年ほど前、僕が小学生だった頃の話です。

あの頃、世間は学校での体罰に敏感ではありませんでした。
今ではちょっと叩いたくらいでも問題になって教師が責められますが、当時はそんなこともなく、しかも田舎だったので教育上の体罰は普通でしたし、それを問題視する親も居ませんでした。
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僕が小学校6年生になったとき、担任になったのは40歳くらいのおばちゃん先生でしたが、体罰が厳しいことで有名で生徒からは恐れられていました。
先生はスパルタ教育者で、6年生の始めに作られたクラスのルールを破った生徒にはとても厳しい罰が待っていました。

そのルールの中に『宿題は必ずやってくること』というのがあり、宿題を忘れた生徒は、教室の前まで出てきてみんなの前でお尻を出して叩かれる決まりになっていました。
それは男子でも女子でも平等に行われました。
その罰を受けるのが嫌で、宿題を忘れる生徒はほとんどいませんでした。

だけどある日、宿題を忘れた女子がいました。
川村さんといってクラスで一番人気の女子で、頭もよく、バレークラブにも所属していて文武両道の優等生だったので、いつもは先生に怒られるようなことはありませんでした・・・。
あの日のことはよく覚えています。

朝礼が終わるときに、先生がいつものように言いました。

「宿題を忘れた人はいる?いたら手をあげなさい」

川村さんだけが手をあげました。
意外なことだったので、クラスのみんながざわめき始めました。

「静かにしなさい。他に忘れた人は?・・・いないわね?それじゃ、川村さん、前に出てきなさい」

何を言わずに俯いたまま、川村さんは教室の前まで出てきました。

「あなたが忘れるなんて珍しいわね。どうして宿題をして来なかったの?」

先生が川村さんに聞きました。
川村さんは先生の前でビクビクしながら答えました。

「・・・ごめんなさい。塾の宿題がたくさんあって・・・」

「それで出来なかったの?」

「それと、昨日は親戚の家で晩御飯を食べて、従姉妹と遅くまで遊んでて・・・」

「それで宿題が出来なくて、そのまま寝ちゃったのね?」

「はい・・・」

しばらくの沈黙が流れたあと、先生はハァ~とため息をついて「あなたは学校よりも塾のほうが大事なの?学校の宿題も出来ない人が、塾になんて行く必要があるの?」と、キツイ言葉で川村さんを責めました。

川村さんは俯いたまま「ごめんなさい」と小さな声で言いました。

「謝っただけじゃ許されないからね。足は肩幅に開いて、黒板に手をつきなさい」

川村さんは、先生の言う通りに黒板に手をつきました。
そして次の瞬間、先生は川村さんのスカートを捲りあげました。
川村さんは「キャッ」と悲鳴をあげて、スカートを抑えようとしました。

・・・が「黒板から手を離さない!言う通りにしなさい!」と怒られました。

そして先生はまた川村さんのスカートを捲りあげました。

「あらあら、オマセな下着をつけてるのねぇ」

当時の女子たちは白いグ◯ゼの下着がほとんどでしたが、川村さんは赤と白のチェックのおしゃれな下着を穿いていました。
先生はその下着のウエスト部分を掴むと、ゆっくりと足首まで脱がせていきました。
川村さんは当時の6年生の女子にしては背も高く発育もよかったので、お尻も少し大きく肉付きもよかったです。
クラス全員が、黙って川村さんのお尻を見つめていました。

先生は川村さんの、日に焼けていない真っ白なお尻を“ぴしゃん!ぴしゃん!”と叩きました。
10回ほど叩き終えると、川村さんのお尻は真っ赤になっていました。

「もういいわよ。席に戻りなさい」

先生がそう言うと、川村さんはサッと下着を上げ、スカートを直し、自分の席に戻っていきました。
その光景があの頃の僕にはとても刺激的で、机に座りながら勃起していました。

その夜、川村さんのお尻を思い出しながら初めてのオナニーをしたことは今でも覚えています。