「始めはわかんなくても、子供とかと話してたら結構上達するよ」と言うTさんの言葉に特に惹かれたわけでもないが、まあ暇だったのでついて行ってみた。
行ってみると、まあそれなりに楽しく、俺はいつの間にかそのボランティアの中心メンバーみたいな事になっていた。
確かにスペイン語は上達するし、ポルトガル語も覚えることが出来る。
ジャナさんと仲良くなったのは、俺が平日に、とある自治体で、相談所の通訳みたいな手伝いをしていた時のことだった。
あいにく専属の職員の人が誰かの病院に付き添いに行っていたので、窓口には俺しか居なかった。
ジャナさんが言うには、「住んでいるアパートの大家さんに怒られたが、実はなんて文句を言われてるのかわからない。今朝もメチャクチャ怒られた、どうしたらいいのか?」とのことだった。
とりあえず俺は大家さんに電話してみた。
えらく怒っていた。
要するに、ゴミの日や分別を全然守らないとのことだった。
俺はとりあえず250ccで、ジャナさんのアパートに向かうことにした。
ジャナさんは5歳くらいの女の子と、もう少し小さな男の子と、バスで家に向かった。
大家さんと直接話し、それをジャナさんに伝えると彼女は驚き、全然知らなかったと言い、大家さんに謝っていた。
とりあえず俺は、ポルトガル語でゴミの分別とそれを出す曜日を紙に書き、彼女に渡した。
彼女はとても喜び、俺に抱きつきキスをした。
それがきっかけで、ジャナさんや、その子供、時々ダンナさんも俺たちや市役所が開いている集まりに時々参加するようになった。
ジャナさんのご主人は、40過ぎの毛が少ない小太りの、純粋の日系のおっさんだった。
正直、ブラジル人のお母さんとハーフのお父さんを持ち、スタイルもブラジル人ぽくて結構美人のジャナさんとは釣り合っていないように俺には思えた。
御主人も景気のいい頃は日本企業のコーディネーターみたいなことをして、だいぶ羽振りも良かったらしいが、ここ数年でさっぱり儲からなくなり、にっちもさっちも行かなくなって日本にやって来たらしい。
一応大学も出て、日本語もそこそこ話せるご主人は、どうもプライドだけが妙に高く、工場での仕事に文句ばっかり言って、他の出稼ぎに来ている日系人ともほとんど付き合いも無いらしい。
集まりに来ても、嬉しそうにポルトガル語やスペイン語で会話してるジャナさんや、友達が出来て大喜びの子供たちとは対照的に、つまらなさそうに隅っこで一人でいるご主人を見ていると、俺は少し気の毒になった。
頑張って話しかける俺を、はじめは疎ましそうにしていたご主人も、何回か話しかけているうちに少し心を許してくれるようになり、ごくたまにだが、俺たちと居酒屋などに行き、楽しそうにお酒を飲んでくれるようになった。
ジャナさんは、トラブルを解決(大したことでもないのだが)してくれた俺にとても感謝してくれているらしく、狭いアパートに俺を呼んでくれ、ご主人や子供たちと一緒にブラジル料理をご馳走してくれたりもした。
ブラジル人らしく露出の多い服のジャナさんは、正直経験不足の俺には目の毒だったけれど。
カーニバルの期間、俺たちのグループや、他のボランティアグループなどが主催して、郊外のブラジル料理屋でバイキングのパーティーを開いた。
大勢の日系ブラジル人やペルー人などが店に集まり、子供もたくさんやって来て、店は満杯になった。
お酒やビールもどんどんはけて、あちこちで大騒ぎになっていた。
夜が更けてもパーティーは続き、持ち込みのお酒もどんどん飲まれ、子供たちは店のソファーや床でごろごろ転がって寝ていた。
『フォホー』というダンスの音楽が流れ、あちこちでカップルが体をくっつけて踊り始めた。
俺がちびちびビールを飲んでいると、コロナビールを咥えながらジャナさんが近づいてきて、俺を誘った。
ご主人を探すと、すっかり酔い潰れて奥のソファーで子供たちと固まって寝ていた。
少し酔っていた俺は、ジャナさんと体をくっつけ、見様見真似で踊り始めた。
フォホーは、ものすごく体を密着して踊るダンスだ。
俺は股間に当たるジョナさんの腰や太もも、上から覗くノーブラの褐色の胸の谷間をどんどん意識し始めた。
ジャナさんはあまり気にする素振りもなく、どんどん俺に密着して、手を腰に回したり首筋にキスをしたりしてくる。
音楽がスローに鳴り、踊っている人間はますます体をくっつけ、チークダンスのようなゆっくりとした動きになった。
日本人の女の子も、あちこちで日系ブラジル人の男共にしっかり抱きつかれている。
俺の股間はどうしようもなく立っていて、ジーパンの上からもはっきり判るくらいになっていた。
ジョナさんは俺の股間に大胆に触り、ニヤニヤしながら、それでも手を退けない。
俺は同じようにニヤニヤ笑ったが、ジーパン越しにジャナさんの手は俺の硬くなったモノを擦り続けている。
ジャナさんは一瞬真面目な顔をして、ぐでんぐでんに酔ってる他の日系人の所に行き、車のキーを借りると、大胆にも俺の手を引き店の外に出た。
少し正気の残っている俺はさすがに周りを気にしたが、皆自分のことに夢中で、店を出て行く俺たちに気づく様子はなかった。
田舎なので周りは真っ暗だ。
すでに何台かの車が奇妙に揺れているのが、ボーとした俺にもわかった。
ジャナさんは車を何台か探し、軽自動車を見つけると鍵を開け、俺を後部座席に連れ込んだ。
勢いで舌を絡めると、ジャナさんは俺のベルトを外し、ジーパンを下ろして俺の硬くなったモノを握って乱暴にしごいた。
俺はジャナさんのTシャツを持ち上げ、大きな褐色の胸にしゃぶりついた。
自分でジーパンを脱ぎ、下着をおろしたジャナさんに訳も分からず突っ込んだ。
ジャナさんは声を上げ、俺の顔を舐め回した。
俺もうめきながら腰を夢中で動かした。
酔っているせいか、ものすごく気持ちいいのに、なかなかイカず、俺はサルのように狭い車内で腰を振りまくった。
ジャナさんのボリュームのある太ももが俺の腰をものすごい力で挟み込む。
辛うじて残っていた理性を総動員して、俺はなんとか直前でジャナさんから抜いた。
ジャナさんはそのまま俺のモノを大きな口で咥え、俺はその口に一気に出した。
ジャナさんは笑いながら持ってきたコロナを飲み、クチュクチュしてそのまま飲み込んだ。
ジョナさんは平気な顔で店に戻り、俺も少し遅れて中に入った。
ご主人と子供はソファで寝たままだった。
それから俺の携帯にジャナさんから連絡が入るようになり、子供が保育園に行っている間、俺と彼女はセックスをするようになった。
バックが好きなジャナさんの大きいお尻を、爪が食い込むほど掴んで、俺は突きまくった。
日本のラブホテルが気に入ったジャナさんは、大きな声を上げて俺の動きに反応した。
ジュバジュバと大きな音を立てて、どちらかというと情緒のない激しい動きでフェラをするジャナさんの口に何回も出した。
出した後は、これもジャナさんが好きな騎乗位で2時間のあいだ、何回もやりまくった。
下から見るとタプタプと派手に揺れるジャナさんの胸を掴みながら俺はうめき続けた。
俺がうめきながらイッてしまうと、ジャナさんはスキンを乱暴にとってそのまま床に捨て、大きな胸で俺の硬くなったモノを挟んで、激しく擦りあげて、長い舌で先を舐め回し、俺のお尻に指を突っ込んだりもした。
俺のモノが復活すると、ジャナさんは嬉しそうにまたスキンを被せ、そのまま乗っかってきて腰を揺すった。
そんな関係が半年ほど続いた、ある日、俺は昼間っから、ジャナさんのアパートで彼女を組み伏せ、腰を振っていた。
安いパイプベッドをギシギシ言わせながら、そのままでは大きな声を上げてしまうジャナさんの口をタオルで塞ぎながら、少し肉のついたジャナさんの腰を掴んで出し入れしていた。
ジャナさんを立たせて、玄関横の流しに手をつかせて立ったまま突いてる時、ドアが乱暴に開き、ジャナさんのご主人と何人かの男が部屋に入ってきた。
ジャナさんはご主人に殴り倒され、俺も男たちに殴られた。
早口のポルトガル語でジャナさんが叫ぶ。
男たちに蹴られたり殴られたりする俺の耳に、無理やりされたっぽいことを言っているジャナさんの声が聞こえてきた。
狭いアパートの隅で、俺は男たちに蹴られたり殴られたりし続けた。
なぜかジャナさんも俺を指差し、泣きながら叫んでいる。
どうやら俺だけが悪いことになっているらしい。
前歯も折られ、なぜか坊主にされた。
ご主人は市役所や大学に怒鳴り込み、俺は退学にはならなかったものの、ボランティアのサークルは解散させられ、親に連絡され結構な慰謝料を取られた。
親父もお袋も、ジャナさんの旦那に土下座して謝っていた。
ジャナさんは泣きながら、「警察に言わないであげます」などと言っていた。
俺は反論する気力もなくうなだれていた。
俺は非常に肩身が狭い大学生活を送って、地方で就職した。
それ以来、まともに女と付き合えなくなったのは言うまでもない。
でも、デリヘルで胸の大きな女をどうしても呼んでしまうのは治らない。