あれはたぶん俺が小学校6年だったか、まだ皮を被った亀頭がかぶれて薬を塗ってもらったんだ。
病院では皮を剥かれる時の痛みしかなかったが、母に毎日薬を塗られるのはさすがに恥ずかしかった。
じょじょに剥かれる痛みや痒痛感がなくなっていくと、困ったことが起きた・・・。
じつは既に自慰を覚えていた俺は、母の柔らかい指によって優しく亀頭を洗い薬を塗られる刺激に耐えられず、激しく勃起してしまうのだ。
恥ずかしくて、「自分でできるから」と言うと、母は笑って「大丈夫!男の子は誰でもここを触られると大きくなるんだから!痒くなくなったら、自分でなんか絶対塗らないんだから」と許してくれなかった・・・。
その日も俺にお湯を入れた洗面器を持たせ、母が皮を剥く前から、パンツを下げられる時にブルン!と跳ね上がるほどに激しく勃起していたのだ。
「もういいよ!もういい!」
そう言って母の手を払おうとしたのだが、時すでに遅く、自慰の数倍もの快感とともに射精!
痙攣しながらいつまでも精子を吐き出す俺のチンポを、いつの間にか母は無言無表情で濡れタオルで包むと前後に刺激していて、俺の射精の快感を助けていた。
母は俺のその瞬間を直前に感じとり、素早く準備してくれたのだ。
大量の精液を包み取り、「いっぱい出たねえ」と笑いながらタオルを濯ぐ母の白い胸の谷間が眩しかった。
薬を塗り、皮を戻しながら母は、「二人だけのナイショにしようね。そしたら明日も塗ってあげるからね」と擦れ声で独り言のように呟いて俺のパンツを上げたのだった。
既に赤みはとれ、痒痛感もなくなっていたが、しばらく俺は「まだ痒い」と言って母の指をせがんだ。
密かに自分でも抜いてはいたが、母の指がもたらす快感には到底及びもしなかったのだ。
さすがに2週間ほどで後は自分で塗るように言われ、数日は母の指を想像しての自慰で我慢したがダメだった。
甘えて「ねえ~、お母さん、またチンチン痒いよお~」と言ってみた。
その日は滅多にないことだったが、母は少し酔っていて、意外にもあっさりと「薬、持っといで」と言ってくれた。
母は俺のパジャマとパンツを怒ったかのように荒々しく脱がせると、ピクン、ピクンと脈打つチンポの皮を剥き、「やっぱり治ってるじゃない!アレして欲しいだけなんでしょ?」と言ったかと思うと、俺の手を引っ張り、布団に寝かせて明かりを消したのだ。
そして、母は自分も全裸になると、俺に跨がって囁くようにこう言った。
「お前、最近お母さんのパンツにアレ出してるでしょ。洗濯機の下の方に隠してるみたいだけど、お母さん知ってるんだから」
そう言って、母は俺のチンポを摘んだ。
「もうしないって約束したらオチンチンの本当の使い方教えてあげるけど、どうする?」
母の指で亀頭をこねられて露が出た。
俺が「うん」と頷くと、すぐに母は腰を沈めてきた。
母のその中は熱く柔らかで、例えようのない心地良さだった。
母が帰ってくる少し前に自慰で抜いていたのに、1分ともたなかった。
激しく腰を使われ、母の陰毛が下腹部に擦りすけられるのを感じたとき、恋しかった母の指すら色褪せるほどの快感を伴って、熱いものがチンポを通っていった。
呻きながら何度も何度も腰を突き上げて痙攣する俺。
収まると、母は俺のものを入れたまま、ゆっくりと腰を前後させながら胸を合わせてきた。
「気持ちよかったよね。今日ね、お母さんね一志の為にいいものを体に入れてきたよ。一志が大人になるまでお母さんが毎日だってしてあげるんだから、勉強をちゃんとするんだよ」
また勃起した俺に笑って、「すごいんだねえ~若いって」と言って、今度は腰を上下に使い、俺の精液と母の愛液とが捏ねりあう音が、ほど古い市営団地の狭い一室で密かに聞こえていた。
まるで夫のように毎日激しく母を抱き、母をイカせる喜びを覚えた俺だが、中2くらいの時に彼女ができた。
セックスもすぐにしたが、母の熟練したテクニックには到底及ばず別れ、次も、その次も・・・とうとう高校卒業する頃まで母が彼女みたいな日々が続いた。
結婚して来年子どもが生まれる今も、女房とのセックスで果てる時、母との初めての、あの暗い部屋でのことを思い出すのだ。
あのお母さんの指コキ、そしてお母さんの温かい膣、ほろ酔いの母に筆下ろしされた、幼く童貞だった自分。
なにもかもが懐かしくなってきます。