僕は社会復帰したが、所詮は午前中労働者の月給7万程度の、高校生が学校生活の片手間に稼ぐ程度の給料しかない。
同年代で普通の社会人なら30万以上は稼いでるだろう。

僕が社会復帰して辞めたことの1つに、『他人と自分の比較』がある。

PCMAX

ニート生活が長すぎて社会復帰して、最初から朝から夕方までの8時間労働では挫折してたと思う。
1日に3時間半でも継続して働くことで生活リズムが出来て、自分に少しずつ自信と昔の働いてた感覚を思い出すことが出来た。
今の生活は、『少ない給料』ではあるが、『時間』はある。
同世代の同程度の給料が欲しいとは思うが、自分みたいな者でも働かせてくれる環境に文句を言える立場ではない。

ダメ元で工場長に、「朝から夕方までフルタイムで働きたい」と直談判してみた。

答えは「難しい」とのこと。

フルタイムで働くことは、会社側にとっては社会保険を負担しなければいけなくなる。
それが週に20時間労働であれば、何も掛けなくて良いから負担はない。
だからこそ自分みたいな午前中労働者の安い人材が欲しいのである。
他のところに行くことも考えたが、村上さんと接点が無くなるし、汚名挽回のチャンスが無くなるので、今の午前中労働者を続けることにした。

仕事は覚えてしまえば毎日が同じ作業の繰り返しである。
午前中だけ働いて午後からはダラダラと家でネットしたりTVを見て過ごすだけだ。
ニート時代はネットとTV三昧だったのが普通で何も感じなかったが、その時は暇すぎるのが苦痛となっていた。
毎日、何かしなければならないことがある生活は素晴らしいことだと改めて気付いた。
午前中はやることがあるけど、午後は暇で何もすることがない。
配送の1週間は本当に充実してたし、1日働いたぞという達成感もあった。
でも職場の人間関係や仕事への慣れを考えると他のところに行く勇気もない。

しばらく午前中労働者を続けてると、山田さんの親に不幸があり、1週間ほど休むことになった。
そこで僕に再び、「1週間ほど朝から夕方までフルタイムで頑張ってくれ」との打診がきた。
返事は勿論「OK」だ。

仕事を続けてると退職もあれば、入社もある。
転機が来たのは年末のことである。
配送の人が辞めることになり、会社から僕に配送に回ってくれないかの打診がきた。
配送業務は店を回り、納品したり、客からの直して欲しい物を回収してくる仕事だ。

(よし!山田さんに公に会える機会が出来た!)とガッツポーズした。

それと同時にフルタイムのパートへの打診もきた。
こんなに良いタイミングが重なることがあって良いのかとも思ったが実話である。
歯車が噛み合うとはこのことだ。
給料も14万に昇格した。
山田さんとは3ヶ月は会ってもないし、連絡もしてない。
もちろん会いたい気持ちはあったが、あれだけ一方的に熱い気持ちをぶつけてしまったので、ほとぼりが冷める冷却期間をネットの指摘通りに実戦してた。

配送業務になっての1日目は超緊張した。
山田さんは僕をどう見るのか、不安で仕方なかった。
そこで再びネット記事を参考にした。

『普通通りに接するのを心がけて、避けたりしないこと』とのことだ。

ネットが当たり前になり、熱くなりすぎた相手への対策も教えてくれるとは便利な時代だ。
50歳のオッサンでも、パート労働でも恋愛はするものだ。

村上さんの店に行くと、「久しぶりですね」と会話して、特に雑談もすることもなく退散。
数ヶ月前の熱い自分を封印して次の配送先へと向かう。
本当はたくさん喋りたかったが、明日も明後日も会えるので粘らず、以前のような熱くねちっこい自分のイメージを払拭することが必要とネットの指摘もあり、マイナスのイメージをゼロに持っていくだけでも相手の印象が変わるらしい。
不良が真面目に登校するだけで評価されるのと一緒だ。

店に行くだけの日々が2週間も続いた頃に、村上さんから雑談を振ってきた。
ネットの指摘では、『相手からアクションが来るまでは何もするな』との指摘もあり、雑談を振ってきたタイミングでフルタイムのパートへ昇格して配送になったことを報告した。
あまり粘らず、その日の夜にLINEを数ヶ月ぶりに入れてみた。

『これから毎日のように行くのでよろしくね』とだけ入れた。

返信には、『頑張ってね』の一言と絵文字があった。

好きな村上さんから『頑張って』と言ってもらえたことが嬉しかった。
何気ない言葉でも僕は村上さんの頑張っての言葉だけで毎日を過ごせる。

次の日の出勤前に、父親の墓前にフルタイム昇格と、好きな女性が出来て、「頑張って」の言葉を言われたことを報告した。
色んな雑談してる中で村上さんから定期的にお菓子の差し入れを貰うことも増えた。
他の店に行ってもだが、店のオバチャンから缶コーヒーやクッキー等を貰うこともある。
いつも貰い物ばかりなので、僕から差し入れすることもあった。
僕は好きすぎて一気に距離を詰めようとした為に嫌われてしまったことのは自分でも理解できた。
ここから再び元の関係になるにはどんな言葉より、時間をかけて負のイメージをリセットさせる必要がある。
ネットの指南書も大切だが、まずは以前のようにしつこくLINEや会いにいかない。
何ヶ月も会わず久しぶりに会ったからといって、僕は以前のようなことはしないように封印した。
本当は毎日でもLINEして会いたいのだが、配送になり毎日でも顔を合わせる環境になったので積極的に行動を取る必要がないのだ。
元は楽しく話してボディタッチする関係だったので、自分の行動が変わったと思わせれば相手も昔と変わらず接してくれる。
僕もフルタイムになり夕方までやることがある。
その環境のおかげで、僕の場合は暇だと暴走してしまうのだと気付いた。

村上さんとは以前のように軽くボディタッチもしてくれるし、昔のような雰囲気になったと思った時に、以前のLINEやお店に会いに行ってしまったことを謝罪した。

「あの時はゴメンね」と。

たったこれだけなんだが、今なら僕のイメージも戻ったと思ったので、謝罪しても村上さんなら笑って許してくれると思った。

村上さんも、「あの時は嫌だった」と当時の心境を話してくれた。

もし好きな人や誰かと関係が拗れて悩んでる人が居れば言いたい。
絶対にやり直せるタイミングが来るから気長にお待ちくださいと。
そのタイミングが来た時に、素直に謝罪して相手も受け入れてくれる状況かどうかを見極めるべきだと。
焦って暴走しても相手は逃げてしまうだけだ。

LINEも村上さんから、『今日は何時頃に店に来る?』とか、他愛もないLINEが来るようになった。
自分からは過去の失敗があるので自分からLINEは送らないけど、相手から来れば絶対に返信して、ついでに『今日は天気が悪いね』とか、要件だけじゃなくプラスアルファで何かを返信した。
天気が悪ければ、『雨が酷くてジメジメするね』とか、たかが天気の話題でも何回もLINEでやり取りすることができる。
好きな人と元は関係が良かったのに、自分の失敗でマイナスの人になった時は、元より修復した時は更に関係が良好になると思う。
上級者ならわざと嫌われることをして、マイナスからの大逆転プラスに持ち込む戦略を取るのではなかろうか?
0から10より、マイナス10から10になる方が振り幅が大きいし、同じ10でもイメージが違う。

村上さんとは些細なことから外で会うことになった。
仕事で履いていた靴が破れてるのを村上さんが指摘してくれて、「靴を買いに一緒について来てくれない?」と軽く言ったら、「良いよ」と言ってくれた。
仕事終わりに村上さんの店から近いABCマートで待ち合わせた。
現地集合、現地解散したが、一緒に靴を選んでる時はデートしてる気分で楽しかった。

仕事以外の時間で会えたら、2度目や3度目と理由を作って会いたくなるものだ。
僕は以前のように自分から積極的に行動するのではなく、村上さんの些細な言動からアクションを起こすようにした。
例えば、「◯◯のご飯が美味しかった」とか言ってたら、「今度、一緒に連れてってください」とか女性に合わせるように改めた。
靴の時も村上さんが指摘してくれたきっかけで誘うことが出来た。
食事やドライブとかも何回かすることが出来た。
LINEも普通の日常会話が出来るようになり、距離感も近いと思った。
不思議なもんで仕事以外が充実すると仕事も充実するし、色々と歯車が噛み合ってくる。
僕はフルタイムのパートから、社員への打診を受けた。
もちろん断る理由もなく社員にステップアップした。

ニート歴20年のオッサンが一年足らずで、『午前中労働者』→『フルタイムパート』→『正社員』となった。

正社員と言っても月給20万ほどで、配送終わりにヤスリ掛けしたりと、する業務も増えたが20年ニートしてたより充実してる。
超零細企業だが、僕にとって人には恵まれた環境だったと思う。
イライラすることもあるし、腹が立つことももちろんある。
ストレスの多くは他人が絡むことが多い。
ニート時代のストレスは他人と比較して、自分が恥ずかしく惨めだと考えてしまう、『自分の自信の無さ』のストレスで、自分に対してのイライラだったように思う。
行動する勇気がない自分が情けないと分かってたが、現実を受け入れるのが怖くて適当に理由を作って楽な方に逃げてただけだ。
対人関係のストレスは、ニート時代のストレスに比べれば僕はマシだと思う。

村上さんと距離が縮まったのは、配送の人が辞めて、自分が抜擢されたことが偶然重なっただけだ。
その偶然も午前中労働者の時に、山田さんに「明日も頼むぞ」とか「期待してるから頑張って」とかの、誰かに必要とされることが嬉しくて自分なりにやってみたからだと今は思う。

村上さんには正社員になった日にLINEで報告した。
返事はLINE電話で来た。

「良かったね」と言われて、電話越しだが嬉しくて泣いてしまった。

僕は親父の墓に報告に行った。
バカ息子が20年も親のスネをかじって、親父は俺が頑張る姿を見たかったはずなのに、心配したまま亡くなって申し訳ない気持ちは凄くある。
墓の前で「親父すまん」と謝罪し、「頑張る」と誓ったのを覚えてる。

50歳での再出発だが、僕は充実してると思う。
同年代に比べれば立派な肩書きも給料も貯金も無い。
それでも毎日、何かしなければならないことがあるのは有り難いことだと思う。

「僕の会社は超ブラック」だの「安月給」だのと、不満が言えるのも働いてるからだ。

ニート時代の20年は無駄だったと思うが、この1年を考えるとニートして親父が亡くなったのがきっかけで社会復帰できたのもタイミングなのではとも思う。
そのタイミングが“親父の死”だったのは自分自身は情けないし恥ずかしいが、50歳でも頑張れば普通は無理でも底辺くらいにはなれると思った。
ニートが長期間になればマイナスも大きくなる。
そのマイナスがプラス1になるだけでも周囲の評価は変わる。
僕は山田さんという爺さんに、長期間ニートしてたことを話せたことが大きい。
山田さんは否定もせず、目の前の仕事だけを丁寧に教えてくれた。
過去が『ニート』でも、『午前中労働者』の肩書きでも、ニート以外の肩書きが出来ればニート時代は全て過去の出来事になる。

山田さんも「20年無職だろうが、今はヤスリ掛けしてるから会社にとっては必要な戦力だ」と言ってくれた。
山田さんは、特に特別な言葉を僕に言ってくれたわけではない。
「明日も頼むぞ」とか当たり前で普通の言葉が僕は嬉しくて、勝手に山田さんのおかげだと思ってるだけだ。

村上さんとは何回か仕事以外で会ううちに、そういう関係になった。
この先も結婚とかは分からないし、「付き合ってください」とかも特に言ってない。
そういう関係になって普通に、「次は◯◯に行こう」とか、「明日は時間あるかな?」とか言える関係になれたので、僕が勝手に付き合ってると思ってるだけかもしれない。
でも僕は村上さんを“彼女”だと思ってる。

「50歳のバツイチババア」とか、「地雷」とか言う人も多いだろう。

でも僕が頑張れるのは、村上さんの存在が大きい。