なんとなく惹かれ合い、ゴールデンウィークに学友たちが帰省する中、俺と由佳は離れ難くてアパートに残り、2人で過ごした。
まだ未成年なのに自販機でお酒を買い込んで俺の部屋で飲み始めた。
まだインターネットなど無い平成初期。
俺の部屋の押入れにあったエロ本を見つけた由佳が大興奮。
性に興味津々の2人は裸を見せ合った。
初めて異性の裸に触れて、性器を見せあって興奮して、セックスシーン満載のエロ本を横目に、それと同じことをしてみたい雰囲気になった。
処女と童貞で、嬉し恥ずかしの初体験。
試行錯誤で繋がった。
コンドームなしの危険な初セックスは、挿入僅か3分で暴発しそうになって、慌てて抜いて射精した。
なんとも恐ろしい初体験だった。
その時の由佳の初々しさ、恥じらい、反応は今も忘れられない。
高校時代、俺はサッカーをしてて身長は174センチだったけど、バレーボールをしていた由佳も身長168センチあって、ヒールの高い靴を履かれるとほぼ同身長のカップルだった。
由佳はとても成熟した身体をしていて、初体験以降、その身体を積極的に開くようになった。
とにかく性に対する興味が底なしだった2人は、色んな雑誌を買い込んでセックスを研究して楽しんだ。
恥ずかしがりながらも由佳は初々しい裸を晒し、股間を晒し、覗かれ、触られ、舐められ、吸われ、ズブズブッとイチモツを捻じ込まれる淫らな行為にふけっていった。
それは動物が繁殖するための生殖行為だと分かっていたけど、初体験からコンドームをしなかった2人は、その後も恐れることなく生セックスだった。
「性器って、見たり触られたりするのは恥ずかしいけど、繋がると気持ちいいよね。不思議だね、恥ずかしいのに気持ちいいんだよ」
これは由佳がよく言っていたセリフ。
それは種の保存のためのメカニズム。
その後、何度も俺に抱かれ、セックスの快楽を知っていった由佳。
由佳の生理が始まりかけると中出しもしていた。
本格的な生理中は、さすがにセックスしなかったけど。
「男の子って溜まると困るんでしょ?そういう時って自分でするんでしょ?見てみたいなあ・・・男の子のオナニー」
そう言われて、生理中の由佳の裸を見ながらイチモツをシコシコして、由佳の目の前で射精する恥辱のオナニーショーが生理中の恒例となった。
ビュビュっと迸る精液を見て由佳が言う。
「こんなの見せてもらえる女の子って、たぶんあまりいないと思う。すごく貴重な経験。男の子の射精って面白い」
由佳は、俺の射精は何度見ても飽きないと言っていた。
俺は、美形でスタイルのいい由佳を愛していた。
由佳は、初めは恋に恋する女の子で俺と付き合っていたようだったが、生のイチモツで快感を知っていくにつれ、由佳の方が俺にのめり込むようになった。
キャンパスで知り合いの女子大生と会話してただけでも嫉妬された。
だからキャンパスでは、「彼は私のものよ」と言わんばかりにベタベタされた。
俺としては、あまり公然といちゃつくのはバカップルみたいで嫌だったが、スタイル抜群のセクシー美人女子大生だった由佳に惚れられている俺は羨ましがられていた。
大学の4年間で、ハメなかったのは盆と正月の帰省中だけ。
それもそれぞれ1週間ずつで、生理中以外はほぼ毎日ハメていたし、休日は朝昼晩とハメていた。
あの頃、ボロアパートにはエアコンなどなくて、夏は窓を開けて網戸にして部屋の中が丸見えだったが、そんなことなど気にせずハメていた。
だから学友が覗きに来てたこともあって、由佳も俺も、それに気づくと結合部を見せつけるようにして、見られる興奮を味わっていた。
今思えば、よくも飽きもせず毎日やってたもんだなと・・・。
結合部を見て、見せて、見せやすい体位でハメた。
それは第三者に見られる興奮からはじまったんだけど、いつしか由佳の部屋にあった姿見に結合部を映して、淫らな自分たちの姿を見て興奮するようになった。
今も続く俺の性癖は、由佳によって作られたと言えるかもしれない。
4年間で1000回を軽く超えるセックスをした由佳と卒業で別れるときは抱き合って大泣きしたっけ。
なにせ2人とも1人っ子。
本当なら東京に残って結婚したかった2人なのに、1人っ子だから東京の大学に行かせることができたと言われては、「卒業後は地元に戻る」という親との約束を2人とも反故にはできなかった。
俺は宮城県、由佳は兵庫県。
卒業直後、2人で金沢に旅行して、金沢駅で別れた。
それぞれ反対側に向かう特急に乗って、金沢を離れた。
由佳の乗る特急が先発で、俺は手を振りながらプラットホームを走って見送るドラマチックな別れをやって駅員に叱られた。
それが、由佳の最後の姿だった。
あの後、由佳を彷彿とさせるセクシーな女2人に告って付き合ったが長続きせず、由佳とは真逆の小柄で可愛いガキみたいな女に告られて付き合って、色気はないけど可愛い女に愛される歓びに気付いて結婚した。
全くセクシーさはなくて、三十路になっても女子大生みたいに可愛くて、結婚したとき妻は24歳だったが、女子中学生みたいな顔をしてて、俺は知人からロリコン呼ばわりされた。
そんな俺も今は、四十路でも可愛い妻を心から愛しているし幸せだと思っているから、女の好みなんかあてにならないものだ。
先日、テレビを見ていたら、あの頃の由佳にそっくりな女を見かけた。
名前をチェックしたら、テレビ朝日の斎藤ちはるアナウンサーだった。
一気に四半世紀前の大学時代にタイムスリップした。
俺の心の隅で今でもひっそりと佇んでいる由佳に生き写しで、胸がキュンとした。
25年前に金沢駅で別れた由佳、47歳になった由佳は達者でいるだろうか。
そう思ったら、由佳との大切な思い出を書き記してみたくなった。
あの頃は本当に楽しかった。
今でも自慢できる元カノの由佳、青春の思い出をありがとう。
別れ際、電車のドアが閉まった時のあの泣きそうな顔を、俺は今でも忘れていない。