私は小学5年生で義父に処女を奪われた。
でも、世間で言われる性的虐待って感じではなかった。
義父は、とてもやさしかったし、姦通も無理はせずに徐々に慣らしてくれた。
母が他界して頼れるのが義父だけって状況下だったけど、私は毎日、義父の帰宅を心待ちにして、玄関でご奉仕フェラが日課だった。
あの夜までは・・・。

ある夜、いつも通りに玄関でご奉仕フェラ。
そしてお尻を突き出し、フリフリして、おねだりすると、「マジかよ?」って声がした。
中年2人が、私と義父の結合部分を凝視して、鼻息を荒げてる。
何がなんだか?な私を、2人は義父から引き離した。
ヌポッて音を立てて引き離され、私は輪姦された。
義父は、この2人に麻雀の借金があった。

(義父のためならこれくらい)と、まだ愛情があった。

でも義父は鬼畜だった。
毎晩、客を取らされました。
中3までに中絶を2回した。

早くから家を出る決心をしていたので、学校で先生相手に援交して稼ぎ、中学卒業とともに上京した。
東京は16歳の女の子には冷たい街だった。
ウリしか仕事がなくて・・・。
でも状況は違う、自由のための対価だし。
私は童顔だから、パイパンにして中1って誤魔化せば、客には困らなかった。

18歳になってプーの彼氏ができて、彼氏名義で部屋を借りて住所を確保して、専門学校に通い就職した。
20代は、5~6人の彼氏ができたけど、不の連鎖なのかダメンズばかり。
やっと今の彼氏はまともで・・・、私の開花はこの頃だった。

公園で彼氏と待ち合わせ中にトイレに入った。

(うわぁ、すごい落書き)

エロい落書きに、用を済ませても読み耽ってた。
隣の個室の落書きも気になってたら先客が入った。
しばらく待つが出ていかない。
すると、コンコンってノックの音。
ドアが開いて、「んっ・・・」とキスの気配。

(こんな所で?)

興奮して聞き耳を立てた。

「肉便器使ってぇ」

「ケツマン、トロトロだぞっ」

(まさか男と男?!)

でも私・・・、聞きながらオナってた。

セックスが終わって、2人が話してる。
『投稿雑誌』がなんとかかんとか。
隣に入るとティッシュが散乱していた。
それと雑誌があった。

私は彼氏の待ち合わせも忘れ、その雑誌を手に帰宅して、『ご主人様募集。私を開発して下さい』と投稿した。
すると編集部から手紙が送られてきた。

啓介「はい」

私「啓介様、調教お願いします」

啓介「よし」

啓介様は、「ミニスカ&ピチTで◯◯駅に来い」って。
指示通りにして待ち合わせたら、会って早々にパンツを脱がされて、トイレの前に屈まされた。
通行人が立ち止まり、私の露わになったアソコをチラ見する。
中にはニヤニヤしてガン見する男性や、手招きする男性も。
顔を隠すことを禁じられてるから恥ずかしい。
けど萌えた。

すると男子高校生の集団がザワザワ見てる。
啓介様が私を男子トイレの個室に連れ込み、チンポをしゃぶらされた。
外が騒がしい。
啓介様が扉を開けた。
しゃぶり続ける私の姿を見て、「おぉ」って声があがった。
さっきの高校生の集団だった。

啓介様が「してもらいたいか?」って聞くと皆頷き、順番に個室に。

私は蒸れたチンポにしぶりつき、顔に次々と射精された。

顔の精子は拭き取るなと命令されて駅のホームに向かった。
顔がパリパリになった状態で、電車に乗った。
空いた車内で激しく彼らに突き上げられて、腰が砕ける感覚に陥った。
この後、ビルの谷間や階段の踊り場で種付けされて、ローターを仕込まれて帰宅したんだけど、携帯で命令が来る。

「町中で立ったまま放尿しろ」とか・・・。

帰宅したらヘロヘロになった。
彼氏からの電話が鳴りっぱなしだったけど、私は無視を決め込んだ。
その後も私は週1ペースで調教してもらっている。