ところが、5歳くらいの頃、寝ている僕は義兄に起こされました。
「おい、起きろよ」
「なあに?」
眠い目を擦りながら起きると、下半身裸になった義兄。
「おい、ちんちん舐めろ」
(???)
僕はなんのことか分からずにいると、無理やり僕の口に突っ込んできました。
「おえ!」
洗っていないオシッコの臭いで嗚咽する僕に構わず突っ込み続けます。
「ベロで舐めろよ!」
そのとき初めて怒った口調で命令されて恐怖を感じ、素直に言うことを聞きました。
「歯が当たって痛ぇんだよ!」
やり方も分からない僕にガンガンとピストン運動してくる義兄。
「うっ!」
僕の口の中に果てると、「さっさと寝ろよ!」と言って部屋を出ていきました。
やっと開放された僕は、また義兄に怒られるかもしれないと両親には言えずに黙って寝てしまいました。
しかし次の日もフェラを強要されました。
最初のフェラから1ヶ月間は毎日、その後も1週間に2~3回はフェラをさせられ、結局2年間フェラをさせられていました。
最後のほうは上達したのか、「上手だぞ!いい気持ちだ」と口内射精され、僕も飲めるまでになっていました・・・。
今になって思い返せば、ドキドキとゾクゾクのフェラでした。
就学前の僕が、親に隠れて義兄の怒張を、素っ裸で一生懸命に、裏筋や玉、カリ首を舐めろと指導されて、それに素直に従い、飲精できるまでに調教されていたなんて。
これが僕の変態人生のはじまりでした。
<小学生時代>
結局、義兄とは両親が不仲になり別々の人生を歩みましたが、義兄との経験があったからか、僕は小学3年生でオナニーを覚え精通まで経験しました。
家に風呂がないオンボロアパートで親父と2人暮らしになって、家の近くの銭湯に通えるようになってから1ヶ月くらいすると、頭のてっぺんの禿げた背の低いおじさんが、よく声をかけてくるようになりました。
「ちんちんは皮を剥いて洗った方がいい」
「おじさんのちんちんを見せてあげる」
そんなことを言われて、個室になっているシャワー室で触ったり触られたりしていました。
ある時、「おじさんの家に遊びに来ない?」と言われた。
僕は怖くなり、次の日からは家から離れた少し遠くにある銭湯まで行くようになり、そのおじさんとは会わなくなりました。
高学年になって、幸嗣という友達と家で遊んでいた時に、そのおじさんのことをふと思い出し、幸嗣に話したところ、「え?もう剥くことができるの?見せて!」と言われたので、「いいよ」と言ってズボンを下ろして見せてあげました。
「本当だ、大人じゃん!」
「まだ剥けられないの?俺っておかしい?」
「わかんないけど、なんか大人じゃん?」
当時は、剥けるのが大人とか分かんなくて少し嬉しかったので、「触ってもいいよ」と得意気に言ったら、「本当?じゃあ」と言って剥いたり戻したりしてきました。
そうこうしていたら気持ち良くなり半勃ちに・・・。
「うわ!でけ~」
「え?大きいの?幸嗣も同じじゃないの?」
「ううん、お前の方がでかいよ・・・」
しみじみ見られました。
「知ってる?セックスってチンポを舐めたりするんだぜ!」
「そうなの?舐めるのがセックス?」
「そうらしい。舐められると気持ちいいんだって!」
その時、ふと義兄を思い出し、(そうか、だから精子が出たんだ)と1人で納得しました。
しばらく色々と話をしていたら突然に幸嗣が言いました。
「なあ、2人で舐めてみない?」
「え?無理でしょ!」
「できるよ!俺、エロ本で見たんだ!」
幸嗣が横になって言いました。
「お前は逆になるんだよ!寝てみな?」
(ああ本当だ・・・2人で舐められる・・・)
でも、小学生の剥けていないちんちんは臭かったです。
一瞬おえっとなったけど我慢して舐めていたら・・・。
「男はマンコがないから尻の穴に入れるんだって」
新情報でした。
「えっ!そうなの?」
「やってみる?」
「うん」
「じゃあうつ伏せになってお尻を上げて」
「え?僕が入れるんじゃないの?」
「最初は俺からだ!」
でも、入れようとしましたが入りません。
「じゃあ交代な!」
四つん這いになったので入れようとすると、「痛い!痛い!」と幸嗣。
しかし時間が経つと慣れてきたようで、「もう痛くないや!」と、なぜかうっとりした顔をしています。
しかしピストン運動をするなんて知らなかった僕らはそれで満足し、最後はお互いに手コキで終了しました。
僕と幸嗣は、69でのフェラと手コキ、ただ入れるだけのアナルセックスを1年間くらいしていました。
それから幸嗣とはクラスが変わり遊ばなくなってそれっきりでしたが、これが初めての挿入でした。
<中学時代>
中学生になってからは普通の中学生と同じでエロ本で猿状態でした。
オナニーの毎日でしたが、ある日SMの本を公園の男子トイレで拾いました。
自宅に帰ってオナニーの準備をしてから見てみると・・・中身の半分以上が異物挿入モノでした。
初めて見た異物挿入はとてもショッキングでしたが数分もすると・・・。
(僕もやってみたいな・・・)
そう思ったのは、人参をチンチンの形に削って、女性のマンコに入れるというコーナーでした。
(できるかな?やってみよう)
僕は冷蔵庫から人参を取り出して包丁でちんちんの形に削り、口で舐めて唾をたっぷりつけて挿入を試みました。
しかし人参が冷たすぎて肛門が痛いんです。
急いでキッチンに戻り、お湯で温めて再度挑戦。
ゆっくりと少しずつ入れていくと、なんとか半分まで入りました。
そこから1時間くらいかけて練習して、入ってる所を鏡に映して見てみるとなんだか変な気分になり、人参を抜いて口に咥えオナニーしました。
僅か1分でイクほど、快感になっていました。
それからは自分が女の子になった気分で、人参やヘアスプレーの缶などで拡張しました。
慣れてきた頃には挿入したままオナニーして快感を増幅させていました。
しかし拾ったSM本に飽きた僕は、古本屋で同じような本を探して買い、家で下半身素っ裸で見ていました。
すると衝撃的なものを見つけました。
それは俗に言うフィストの写真で、しかもアナルフィスト。
(これ、できるかな・・・)
またもや好奇心が僕を行動に移しました。
その当時はローションなんてものを知らなかったためリンスで代用。
手にリンスを塗って挿入しました。
最初は1本、2本と指でアナルを拡張して、なんとか3本までは入ったのですが、そこからは圧迫感があってどうしても4本目が入りません。
諦めて、SM本のフィストやフェラの写真を見ながらオナニーしました。
そんな日が続いていたある時のことです。
(もっと柔らかいゴムみたいな物だったら・・・)
軟式テニスの柔らかいボールなら大丈夫なのではと思いつき、購入しました。
帰宅すると早速下半身素っ裸になり、リンスとタオルを用意。
指で1本、2本と拡張していくと、その日に限って4本目が入りました。
(これなら入るかも・・・)
ゴムのボールにリンスを塗って挿入しようとしました。
でも、どうしても入らないんです。
仕方なく、軟式ボール用の空気入れでボールの空気を抜いて再度挑戦しました。
それでもかなり圧迫感と痛みがありました。
ふとアナルフィストの写真が目に入りました。
(もうどうなってもいいや!入れよう!)
大きく息を吸い込み、ゆっくりと息を吐きながらボールを入れていくと・・・ヌルンと入りました。
ちんちんからはダラダラと汁が出てきますが勃起はしません。
ただ興奮のみでしたが、気持ち的にはとても満足でした。
しかし、今度は出さないといけません。
(うん・・・うん・・・)
なかなか出てきません。
とても焦りました。
(出てこなかったらどうしよう?もしかすると裂けるかも・・・)
恐怖に慄きながら踏ん張ると、強い痛みと共に出ました。
(出た・・・。もっと空気を抜かないと・・・)
恐る恐る肛門を触ってみるとポッカリと穴が開いていました。
(凄い!写真の女の人みたいだ)
それからは、たまに拡張しながらスプレー缶を入れて、女の子の気分でオナニーしました。
とうとう我慢できず、体育の授業をサボって、同じクラスの女子の制服を盗んで帰宅しました。
帰宅すると女子の制服を着て、アナルにスプレー缶を入れて、男性に犯される場面を想像しながらオナニーしました。
犯罪を犯した上に変態です。
僕はもう後には戻れなくなっていました。
<高校時代>
アナル拡張と女装にはまってからは、全裸に盗んだ制服を着て、勃起したまま夜中の町をウロウロしていました。
自販機などに隠れて車が通り過ぎるのを待って、車が通り過ぎて少し離れたの確認してから制服のスカートを上げて、勃起したちんちんを車に向かって見せていました。
そうです、露出にも興味が出てきたのです。
ある日、例によって制服姿でウロウロしていたら、アパートの1階の窓に女性物の下着を見つけました。
そうです、また僕は犯罪を犯してしまったのです。
ブラとパンティを外し、猛ダッシュで帰宅すると、制服を脱ぎ、ブラとパンティを着てみました。
気分は女性です。
そのまま制服を着て、また夜中の町へ出かけました。
深夜2時過ぎなのでタクシーくらいしか走っていないし、歩いている人もいない。
制服を脱いで手に持ち、女性物の下着姿で道路の真ん中を歩きながら妄想しました。
(もしも今、ホモに見られたら犯されるかもしれない・・・)
想像しながらセンターラインでオナニーをして、そのまま勃起した状態で歩いていたら、曲がり角で若い女性と鉢合わせ。
女性はハッと驚き、僕はダッシュで逃げました。
後ろから「変態!」と聞こえたのを今でも覚えています。
帰宅後、興奮も覚めやらぬうちに思い出しオナニーをしましたが、ものの30秒くらいで果ててしまいました。
その後1ヶ月は露出を控えて、その時のことを思い出しながらオナニーしました。