それはほとんど、軽蔑そのものでした。
男の人の前で裸になるのさえ言語道断なのに、そのうえ写真を撮らせて不特定多数の前に自分の恥ずかしい姿を晒すとは、なんて恥知らずなんだろうと思いました。
しかも縛られているのです。
でも、その縛られたモデルを軽蔑するよりも強く感じたことがありました。
裸のまま両手の自由を奪われてしまっては、自分の意志で服を着ることはおろか、自分の恥ずかしい部分を隠すこともできません。
普通のヌード写真ならシャッターを切る瞬間だけポーズを作ればいいのですが、縛られてしまってはずっと裸のままでいなければなりません。
もし、カメラマンの人達が襲いかかってきたらどうするのでしょう。
それはないにしても、撮影の合間の休憩時間とかそのまま放っておかれてもどうすることも出来ません。
女の人が裸のまま縛られてしまうということが、とても大変なことに思えてなりませんでした。
それからというもの、いつもそのことばかり考えているようになりました。
そして決まってドキドキするのです。
友達とセックスのことを話している時のドキドキとはまた少し違うのです。
そのドキドキの正体が知りたくてSMの本が欲しかったのですが、とても本屋さんで買うことは出来ませんでした。
仲のいい友達にも、このことだけは秘密でした。
そして私は1人で考えているうちに、自分も縛られてみたくなっていったのです。
テレビの時代劇などで女の人が後ろ手に縛られている場面などを見るとドキッとしてしまうのです。
もちろん着物を着た上から縄を掛けられているのですが、私の目にはいつか見たSM雑誌の写真が浮かんでしまうのです。
特に悪者に捕まった娘が悪者の親分に「この娘を縛り上げろ」なんて言われているのを見ると、いつの間にか両手を背中に回していたりしたものでした。
私の縛られたい願望は確実に強くなっていきました。
でも、誰かに「裸の私を縛って」とお願いするなんて出来るわけありません。
(自分で自分を縛るしかない!)
結局、そこに落ち着いたのです。
夜遅く両親が寝静まった頃、私は部屋のドアに鍵を掛けて自縛に挑戦しました。
まず着ていたパジャマを脱いでパンティ1枚の姿になります。
初めはガウンの紐を使いました。
体の前で両手を縛るのはそんなに難しくありません。
手首に巻き付けた紐の片方を手に持って、もう片方を口に咥えて引っ張ればいいのです。
こうすれば手首は固く縛られます。
もう両手をいくら動かしても解けません。
なにかすごくイケナイことをしているような興奮が湧いてきました。
そして壁の前に立ってその手を頭の上に持っていくと、裸のまま両手を壁のフックに繋がれて晒し者にされているような気分になれるのです。
最初のうちはこれでも興奮できたのですが、すぐに物足りなくなりました。
実際に繋がれているわけではありませんから拘束感がないんです。
それに本当は後ろ手に縛られたいのです。
でも、後ろ手となると口を使って縛ることもできず、どうしても手首にまわした紐が弛んでしまって上手くいかないんです。
学校でも家でも、“何かいい方法はないか”と、そればかり考えていました。
そして何か思いつくとすぐに試していました。
授業中に名案が浮かんだ時などはもう早く帰りたくてどうしようもなったものでした。
でも、やっぱり後ろ手に強く縛る方法は見つかりません。
後ろ手がだめなら、前でもいいからもっと拘束感のある方法はないかと考えて、ひとつ思いつきました。
それは、ベッドの頭の上の板に縛った両手を繋いでしまうことでした。
さっそくベッドの上で裸になり、いつかのように前で両手を縛りあらかじめベッドに結んであった紐にその両手を蝶結びにしました。
縛られた手でその作業を行なうのは思ったより大変でしたが、解く時のことを考えると固結びは避けたほうがいいと思いました。
そして仰向けになりました。
もう起き上がることも出来ません。
今、家の人が来て私の部屋のドアを開けても、私はこの恥ずかしい姿を隠すことは出来ません。
パンティは着けているものの、一人でこんなことをしているなんて、やっぱり変態ですよね。
両親にも絶対に秘密でした。
ベッドの上もいいのですが、どうしても遊びの感が強すぎて、もう一歩迫力に欠けました。
それで壁のフックに繋がれる方法はないかと考えていました。
そんなある日のこと、映画の一場面で、女の人が腰巻き1枚の姿で両手を高く吊られてリンチされるシーンを見ました。
それがとても印象に残り、私はその夜、いつものようにパンティ1枚で両手を前で縛り、部屋の真ん中でつま先立ちになって両手を頭上に大きく伸ばしました。
これでも吊られているような気分にはなれるのです。
でもやっぱり拘束されているわけではありませんから、物足りなさを感じずにはいられません。
私はどうしても本当に吊るされてみたくなりました。
そのためには私の体重を支えられるだけの梁か何かが必要ですが、私の家には適当な梁がありません。
学校の体育館ならちょうどいい鉄骨の梁があるのですが、まさか学校で裸になることも出来ません。
(あの鉄骨に裸のまま吊されたらどんなだろう・・・)
私は目にするたびに恨めしく感じていました。
そんなある日のこと、ふと気が付いたのです。
私の家は道路を挟んで畑を少しやっていて、その奥に古い物置がありました。
あまり使っていない物置ですが、ここなら私を吊すのに十分な梁があるのです。
私はさっそく実行しようと思いました。
でも、いざ物置へ行ってみると自分の部屋で裸になるのとでは訳が違います。
しかもこの物置は中から鍵が掛からないのです。
そんな所で裸になるのはやっぱりスリルがありました。
それでも私は、いつかのようにパンティ1枚の姿で両手を縛って、梁から吊るしておいた縄に結んでしまったのです。
さすがにパンティまで脱いで全裸になる勇気はありませんでした。
ここまでは予定の行動だったのですが、これではただ手首を縛った紐が天井まで繋がっているというだけでつまらないのです。
やっぱり足が宙に浮いていないと拘束感がないのだと思いました。
そこで一度縄を解いてリンゴ箱に乗って足が宙に浮くように縄の長さを調節して縛り直しました。
そしてそっとぶら下がったのです。
私はとうとう裸で両手吊りにされてしまいました。
こうなってしまうと誰かが急に物置の戸を明けてもすぐには解けません。
入ってきた人が悪い人なら、私が自分では脱げなかったパンティを脱がされそうになってもどうしようもありません。
私は素っ裸にされて、そのまま犯されてしまうでしょう。
自分の部屋でないことがもうひとつの効果を出しました。
つまり、私は誘拐犯にさらわれて来て、閉じ込められた物置の中で無理やり恥ずかしい姿にされているという状況を想定させるのです。
誘拐犯たちは私を恥ずかしい姿に拘束しておいて酒盛りをはじめました。
それから私の唯一身につけたパンティを誰が脱がすか話しはじめました。
そしてとうとう丸裸にされてしまった私を犯す順番を決めているのです。
私はその会話の一部始終を一糸纏わぬ姿のまま脅えながら聞いているしかないのです。
実際にはそんなことありっこないのに、そんな妄想を思い浮かべながら裸で吊るされている自分に興奮してしまいました。