大学生になった俺は都内で一人暮らしをはじめていた。
俺には今まで彼女がいなかった。
女も知らなかった。
今まで、付き合うチャンスがなかったわけじゃない。
実際、告白されたこともあった。
でも、いつもそんな気になれなかった。

あれは中学の頃だ。
気の毒なくらい緊張して告白する、今にも泣きそうな女の子を前にしても、俺はなぜか冷めている。
こんなとき、なんて答えりゃいいんだよ。
とりあえず今週の土曜にでもどっか遊びに誘うか?
適当に付き合おうと思えばどうにでもなっただろう。
なのに俺にはそれができなかった。
俺には『春香(仮名)』がいたからだ。

春香は妹だ。
ひとつ下の正真正銘の俺の妹だ。
それが嘘であって欲しいと何度思ったことだろう。
何度呪ったことだろう。
戸籍?
そんなもの何度も調べたさ。
でも、その薄っぺらい紙切れのほんの一行に、俺はいつも打ちのめされる。
大きな期待の代償は大きな絶望だ。
なのに、何度絶望に打ちのめされても、春香とひとつ屋根の下で暮らす俺は、次の日にあいつの顔を見るだけで、またささやかな期待を持ってしまう。

俺が中学2年になり、春香が同じ中学に入学してくると、俺たちはよく一緒に帰った。
入学式の帰り。

「お兄ちゃん、一緒に帰ろ」

屈託なく笑いながら俺の顔を覗き込んでくる春香が無性に愛しかった。

(・・・可愛い)

そして、そのぶん俺は苦しくなる。
罪悪感からなのか、あまりの幸せに戸惑ってなのか、俺は必死に自分を抑え、極力冷静に対応する。
その努力の成果か、同じ学校のやつらには、ただの仲のいい兄弟くらいにしか思われずにすんでいる。

「今日からお兄ちゃんと同じ学校だね。毎日一緒に帰れるね」

幸せにぶっ壊れそうになる自分がいた。
思わず緩んだ表情を春香に気取られたのではないかと心配だった。

「おい、毎日は勘弁しろよ」

そういうのが精一杯だった。
喜んでもいけなかったし、かといってそれ以上春香を突き放すなんてできやしない。
春香の表情が一瞬曇った。
そう感じたのは、俺の気のせいじゃない俺の妄想でもない。

「なによケチ。あー、彼女と一緒に帰るのかなあ?」

でもすぐに笑顔に切り替える。
それが俺にはちょっと残念だったりする。
まったく、自分でそうしてるのに、つくづく勝手な男だと自己嫌悪に陥る。
そのあとはとりとめものない話をしながら家に帰った。

実際、ただの仲のいい兄妹なんだ。
いわゆるブラコンとかシスコンっていう部類には入っちまうかもしれないが、普通の枠内の仲のいい兄妹ってだけ。
外から見ればね。
問題は俺の中身。
春香を、実の妹を抱きたいと思ってしまう。
でも、そのたびにその気持ちを押し殺してきた。
理性、罪悪感、背徳感・・・理由はなんでもよかった。
今の関係が最高であり、欲を出してこいつを壊しちゃいけないんだ。

『現状維持』

それが俺を押さつけ繋ぎ止めておける唯一の楔だった。
鬱積する気持ちを他の女で埋めることもできた。
なのにしなかった。
できなかった。
そんなの代償でしかないと、割り切れたほど大人だったわけじゃない。
身代わりとなる相手の女の子に悪いと思ったからでもない。
ただ、俺には春香が一番だった。
自分の気持ちに正直でいたかったんだろう。
真面目で融通が効かないとこがあるのは俺の性分だ。
でもそうすることが罪悪感に対する唯一の罪滅ぼしのように感じていた。

それに、笑っちまう話だが、春香に操を立てていた部分もあった。

(馬鹿だよな、一生結ばれることのない女に操なんて)

よく俺はそんな自分を嘲笑っていた。
でも、その時すでに俺は春香を女として見ていたし、春香のことを強く意識していた。
春香と一緒にいたかった。
春香を守ってやりたいと思った。
そういうのを「愛している」というのなら、俺は春香を愛していた。

中学を卒業し、俺は進学校に進んだ。
高校時代は「推薦を狙う」という言い訳をつけて勉強に打ち込んだ。
相変わらず女は作らなかった。
春香とは、前より一緒の時間は減ってはいるが、依然仲良くやっている。
春香は女子校に行った。
結構モテるみたいだ。
俺の知ってる限り(たぶんそれで全部だが)、数人の男から告白されてる。
いずれも断っていた。
そういう話も春香は俺に話してくれた。
俺を信頼して話してくれるのだろうが、そのたびに俺はヒヤヒヤして、最後に胸を撫でおろすパターンが続いた。

推薦をとれてのんびりできた後は他の奴らは受験だし、俺も1人になりたかった。
免許をとった後は、よく1人でふらっと旅行したりした。
1人になって色々考えたかった。
春香のことをどうするべきか。

俺の進む大学は1年のときのキャンパスは家からなんとか通える距離にあったし、俺も家から通う気でいた。
そうすれば春香と一緒にいられるし。
だから高校を卒業したあとの春休みも暇で、旅行する計画を立てていた。
すると春香が、一緒に連れてって欲しいと頼んできた。
俺に拒む理由はなかった。
旅行は楽しかった。
幸せな時間というのはこういうものだろうと、本気で思った。
普段は抑えていたぶん、2人っきりになるといつもよりベタベタしたしていた。
2人でバカな話をして盛り上がっているうちに、お互い面白がって、旅館に泊まるときに春香の方の姓を偽り、恋人同士だと言って泊まった。

その夜だった。
風呂あがりで浴衣に着替えた後、2人で話していた。

「おかみさん、本気で恋人同士だと思ってたね」

「そうだな」

「そう見えるのかな?」

「ああ・・・見えたんじゃないのか?」

旅行の開放感がそうさせるのか、俺はいつもと違う返事をしていた。

「・・・うん。そだね」

そう言って春香は微笑んだ。
ちょっと赤らんで見えるのは湯上がりのせいか?
その笑顔に突然恥ずかしくなった俺は、窓のところに行って障子を開け、窓を開け、冷たい空気に当たった。
情けない話だが顔が火照ってた。
夜空には奇麗な月が出ていた。

「わあ!きれいな月!」

春香の座ってるところから見えたらしく春香も窓際に寄って来て、俺の後ろにピタリとくっついた。
俺の肩越しに顔を覗かせて月を見ようとする。
胸が背中に当たってドキリとした。
そしてなにより、春香の顔がすぐ横にある。

(こんな間近で見たのはいつ以来だろう?)

いや、そんなことはどうでもいい。
風呂あがりの春香のいい匂いがした。
その匂いに誘われるまま顔が自然と春香の方を向いた。
ふと春香と目が合った。

(・・・)

長い沈黙。
さっきの沈黙より、ずっとずっと長く感じられた。

(よせ)

俺の理性が叫ぶ。

(実の妹なんだぞ。それ以上近づくな)

その一方で俺は春香が目を瞑るのをしっかりと見ていた。
胸が高鳴る。

(もう少し・・・あと少し・・・まだか・・・もう少し・・・)

柔らかい唇の感触だけが遠くなる俺の意識を繋ぎ止めていた。

(実の妹にキスしてるんだぞ!ばか野郎!離れろ!早く離れろ!)

一度離れる。
でも、それはもう一度触れる合うための息継ぎに過ぎない。
今度は舌を入れた。
すでに春香の背中と腰にまわしていた俺の腕は、一瞬の強ばる反応を逃さなかった。
しかし、それもすぐに和らいでいくのがわかる。
俺は舌を絡ませる。

この時をずっと思い描いていた。
描いては破り捨て、それを何度も繰り返してきた。
よくスポーツ選手が言うイメージトレーニングの重要性とその効果を改めて実感した。

初めての俺がこんなキスをしている。
春香への想いが自然とそうさせるのか、舌を絡ませ、時に歯茎を刺激し、俺の唾液を流し込む。
春香もぎこちなく対応する。
初めてみたいだ。
いや、そう思いたい。
時折漏らす春香の甘い吐息が、いよいよ俺を狂わせる。

調子に乗った俺は左手を腰にまわしたまま、右手で春香の胸を触る。
柔らかい。
暖房の効いた旅館だからか、俺とこうなることを見越してのことか春香はブラジャーをしてなかった。
浴衣越しに何度か揉んで感触を愉しむと、いよいよとばかりに浴衣の中に手を滑り込ませる。

その時だった。
春香は震えていた。
嫌がってたわけじゃないだろう。
初めてであることの恐怖心からくる震えだろうとは十分わかっていた。
でも、その一瞬で俺の理性が蘇った。
俺は突然、我に返ったように春香から離れた。
2人の唇を繋ぐ透明な橋が一瞬架かって消えた。
2人を繋ぐ最後の接点は月明かりにキラキラして幻のように儚かった。

ビックリした顔で互いに見つめ合った。
すぐに罪悪感や背徳感どもの総攻撃を食らう。
たまらず俺は目を逸らした。
どんな顔をすればいい?
俺は実の妹にキスをしたのだ。
しかもディープキスを。
春香はどんな顔をしてるのだろう?

そんなとき、春香の右手が俺の頬に伸びてきて優しく触れた。
俺はハッと我に返る。
そうだ。
ちゃんと向き合わなくては。
ここで逃げるのは卑怯だ。
あまりに情けない。

春香の手をとって両手で握る。
勇気を振り絞って春香の瞳を覗き込み、途方もない罪悪感に苛まれながら、やっとのことで一言いえた。

「もう寝ようか」

「・・・」

長い沈黙。
ただでさえ苦しんでいる俺にとって春香の沈黙は、心臓を一刺しされるようなものだった。
どれくらい経ったろう?
実際には数秒だろうが、俺にはただ張り裂けそうな想いしか思い出せない。
もう耐えられなくなった頃、俯いていた春香がコクリと頷いた。
その夜は、そのまま一言も交わさず寝た。
眠りに就くまでは時間がかかった。

次の日、眠ってもすぐ目が覚めてしまったため、俺のほうが先に起きていた。
窓際の椅子に座って外を見てるうちに春香が起きてきて、春香の方が先におはようを言ってきた。
何食わぬ顔で俺も返事をした。
その後は普通だった。
いつも通りに仲良く話し、笑った。
でも昨夜のことには結局一度も触れなかった。
旅行から帰るとき、春香は、「楽しかったね」と何度も言っていた。

俺は大学生になったが、1年のうちはキャンパスの関係で、家から通うことになっている。
今まではそれでよかった。
でも、あの旅行の一件以来、俺の気持ちは変わってきていた。

(このままではいけない)

春香との関係をなんとかしなくてはならなかった。
キスだけで満足したとかってわけじゃない。
むしろ逆。
前より求める気持ちが強くなっていた。
歯止めがきかなくなる自分が恐かった。

あの一件以来、俺は少しずつ春香を避けはじめていた。
俺は春香から逃げ出したかった。
いつかは来ることだったのだ。
いつかは別れなければならない。
俺たちは兄妹だ。
結婚できない。
それに春香はどうする?
俺と関係を持ってしまって、それで幸せなのか?
俺はよくても彼女は後悔するんじゃないのか?
彼女の将来はどうなる?
アイツには幸せになってもらいたい。
春香は俺のことをどう思っているのだろう。
ただの仲のいい兄か?
そんな兄に迫られて、つい唇を許してしまったってことか?
わからない・・・。
でも、あの一件の後も、春香は前のままだった。
そう振る舞おうとしているようにも見えた。
俺が・・・俺だけが、やけによそよそしい。

今度ばかりは本気で女を作ろうと考えた。
でも、遠い電車通学に疲れてなかなか作る気になれなかった。
あるいは、それもただの言い訳で、春香にまだ未練があったのかもしれない。
現に、離れようと思っていても、家に2人っきりになったときなどは、やはり2人でいる時間を喜び、楽しんでしまった。

どのみち2年になったらキャンパスが変わるので、家から通えず一人暮らしする予定だったが、俺は焦っていた。
早く春香から離れようとしていた。
6月、やはり長距離通学は辛いという理由をつけて、今すぐ一人暮らしすることを親に頼んだ。
今年は春香の受験があって金がかかるが、俺が推薦入学で受験費用が安く済んでいたこともあり、なんとか説得に成功した。
そうとなったら話は早い。
7月には物件を決めて引越しの準備を始めた。

<続く>