俺25歳、母46歳、毎晩セックスするようになっている。
きっかけは親父が病気で死んだこと。
春、会社の健康診断で癌が見つかって、そのときはもう末期で、入院してから3ヶ月もしないで7月末に死んだ。
仕事の都合で出張の多い人だったから健康診断を受けたのも何年かぶりだったらしくて、受けた時にはもう遅すぎたみたい。
PCMAX

うちの両親は中学の頃からの幼馴染で、子供の俺から見てもラブラブの仲の良い夫婦だったから、母の落ち込みようは見ていられないくらいだった。
親父が死んで、49日が終わるまでは気を張ってたんだろうけど、それが過ぎたら口数少なくなってきて、無表情で座っていることが多くなってきていた。
40歳そこそこにしか見えなかった母が一気に老けこんだみたいになってしまい、俺が休みの日に家にいてもしゃべることが少なくなった。

9月中旬の連休、飲み会があって遅く家に帰ったら、母はもう寝てるみたいで、俺も起こすのが可哀想だから静かに自分の部屋に行った。
パジャマに着替えてから何か飲もうと思って階段を下りた。
台所に向おうとしたら反対側の両親の部屋から声が聞こえてきた。
最初は分からなかったが、あの時の声・・・。
それは母の喘ぎ声だった。

足音を立てないように部屋に近づくと、ドアが半分くらい開いていて、覗くとベッドの上に裸の母がいた。
薄明かりの中、ベッドに横になっていて、目を閉じて自分の胸とあそこを指で弄りながら喘いでいた。
時々父の名前を口に出しながら母は体をくねらせていた。
可哀想に思う気持ちが半分、でも初めて見る母親のオナニー姿にだんだん興奮してくる自分がいた。
少しの間見ているだけでパジャマの下でペニスがガチガチに硬く勃起してしまった。

(こんなの見ちゃいけない)

そう思い、自分の部屋に戻ろうと背中向けた瞬間だった。

「ひろしー!ひろしー!気持ちいい!イッちゃう!」

死んだ父の名前を母が絶叫した。
たまらず振り返ると、自分のあそこに指を入れて乳房を握り締めた母が体を痙攣させていた。
あまりにもエロ過ぎて、可哀想だとか、やっちゃいけないことだとか、そんな気持ちよりも、(母の中にペニスをぶち込みたい!)という気持ちだけになって、母の部屋に入りながらパジャマも下着も脱ぎ捨てて、ベッドに上がり込んだ。
前戯なんてする余裕なんかなくて、母の両足を掴んで開いて、ねじ込むようにペニスを突き入れた。

「ひろし・・・?え?たいち!いやあー!」

目を見開いた母が両手で胸を突いてきて、体をよじらせて逃げようとしたけど、両足をがっちり抱え込んで離さず、腰を動かし始めた。
興奮してたのにアルコールのせいなのか、キツくて熱い母の膣に締め付けられながらも、結構我慢できた。

何分かすると母も暴れるのをやめて、両手で顔を隠して、俺が深く突っ込むと仰け反るような仕草を見せ始めた。
繋がってるあそこから、ぐちゅぐちゅ、ちゅばちゅばと出し入れの音が響いてきた。
母も小さく喘ぎ声を出しはじめて、顔を隠していた手を外すと、シーツに爪を立てて、俺の動きに合わせるように尻を揺すり始めた。
母の眉をしかめた顔を見ながら腰を動かし続けてるとペニスの硬さはますます増して、締め付けてくる母の膣のキツさに、俺も思わず呻き声を出したくらいだった。

昂まってきて、思わず母にキスをした。
最初は唇を固く結んで拒んでいた母も、何度かキスするうちに俺の舌を受け入れて絡めてきてくれた。

「たいち、たいち・・・たいち・・・気持ちいい、お母さん、気持ちいい・・・」

俺の名前を呼びはじめる頃には、目を開けて自分の方からキス求めながら俺の体にしがみ付いてきた。

「たいちーーー!」

俺が射精する前に何回かイッてたくせに、俺が母の中に射精した瞬間、また体をびくつかせながら俺の名前を叫んで母もイッた。

最初の1週間は何かぎくしゃくしてたけど、夜になると母は黙って俺を迎え入れてくれた。
初めて一緒に風呂に入ろうと誘った時は恥ずかしそうにしてたが、風呂の中で愛撫しながら浴槽の湯の中で膝の上に抱えるようにしてセックスすると、俺の背中に爪を立てながらイッてしまった。

それ以来、母とはほとんど毎晩セックスをしている。
もともと美人だしスタイルも良い母だが、最近は以前よりも遥かに若く見える。
あそこも締まりがいいし、手放せないセフレになった。
明るくもなったし、これは親孝行なのかも知れない。