しばらくの沈黙の後、ゆっくりと左腕が腰に巻きつき、抱きかかえられ、目の前には息子の大きな背中しか見えなくなり、そこで我に返り、「何をするの?」とか「離しなさい」とか「ダメ、いや」といった言葉を叫びました。
しかし完全に手遅れでした。
息子は叫ぶ私にお構いなしでスカートのボタンを外し始め、それをさせまいと目の前の背中を力任せに叩き、足をばたつかせましたが全く怯みません。
PCMAX
叩くたびに低い音を出す大きな背中が遮って、自分の腰から先が何も見えないまま、スカートのボタンが外れる、ストッキングが破けるといったことが感覚でもわかりました。
悪いことは重なり、こんなときに限ってガーターは外出から帰ったときに脱いでしまっていて、最後には藻掻くような抵抗もあえなく力ずくでお腹を押さえられ、スカート、ストッキングとソックスも一緒に剥ぎ取られ、残ったたった1枚の下着も乱暴に脱がされてしまったのでした。
それでも足をばたつかせて息子の広い背中の前で抵抗を続けるのですが、結局最後には左足を抱えるように押さえられ、動きが取れなくなった途端に持ち上げられ、すべてを曝け出す格好となったのです。
そこで動きを一旦止めた息子は、私の身体を押さえ込んだまま振り返り・・・。

「ねっ、ママ」

そう言い放ったのでした。
ここで感じた怖さは、子供にではなく男に対してのものでした。

再び私に背中を見せた息子は左足だけを大きく跳ね上げるように抱えて、私が一番感じてしまう、そして息子にとっても一番の好奇の対象を、すでに勝手知ったといった風で触り始めました。
悲しい女の性で、感じ始めるまでに時間はかかりませんでした。

「もう濡れているよ」という声に、抵抗できる私ではありませんでした。

文字にして改めて、30日の出来事よりもショックを感じています。
思い出しながらキーボードを叩いていると、身体が震えてきました。
気持ちのどこかで、この出来事を忘れようとしていたのかもしれません。
ただ、ふと“本当に必死に抵抗したのか?”ということが頭をもたげてきました。
どこかで息子の行動を軽く見ていたのか、あるいは潜在意識で望んでいたのか。
なぜか強く否定できない私がいます。
このわだかまりのような気持ちを晴らすには、もう少し心の整理が必要です。

淫らな女に変わってしまってから、私は快感の真っ只中に堕ちてしまいました。
最初は指でイカされ、次は身体を入れ替えた息子に両足を大きく広げられてクンニでイカされ、その後も両足を広げられたまま指や口でクリトリスを刺激され、また身体の中に入った指でも、2度や3度では済まないくらいに何度もイカされました。
繰り返し湧き上がるエクスタシーによって、たぶん息子から弄ばされることに無抵抗になってしまった気がします。
自分の身体がこんなに何度も何度も反応するとは、私自身も思ってもみませんでした。
息子が私の身体から離れた時、やっと足を下ろすことができましたが、自分の意思で身体を動かすことすら困難になっていました。

そんな状態の中、虚ろになった目で足のほうを見やると服を脱いでいる息子がいて、はっとして両足を閉じようと動かしました。
しかし、それに気付いた息子が足の間に体を割り入り、すべてを脱ぎ終わるやまた私の両足を広げ、それまでの快感で十分に潤っていたのでしょう、あっさりと私の身体の中にペニスを押し入れたのです。
もうそれは微かな快感しか伴わない挿入でした。
次に息子が取った行動は、下半身が繋がったままで何の反応もない私の身体を起こし、座ったまま抱き合った格好になると、上に着ていた服を脱がし、最後のブラを外すと腰を動かし始めたのです。
私の身体が、またもや快感を感じ始め、それが先ほどよりもっと強く感じるようになり、はしたなく大きな声を出していました。
行為の終わりは結局、また身体の中への射精でした。

その後、力ない声で「もうやめて」と言うのが精一杯な私を息子は裸のまま抱きかかえて私の寝室まで運び、ベッドに横たえさせてくれました。
トイレに行かなくてはと思いつつも、ベッドに横たわったら身体をあまり動かしたくなくなり、ベッドを汚してしまう・・・と考えながら、腿についた液体をぼんやりした頭で眺めていた気がします。

ところが、そんな私に息子はまたも襲いかかってきたのです。

「やめて」と叫び、手足を動かし拒んだものの何の抵抗にもなりません。

振り上げた手は押さえられ、蹴ろうと折り曲げた膝はそのまま押さえ込まれ、息子は体を押し付けるように私に乗りかかり、またもやペニスを挿入されてしまったのです。
両足は息子の腕と体で押し広げられ、両方の乳房は乱暴に掴まれ、腰が動くたびに出し入れされるペニスがお腹の子宮に当たる気がして、快感なのか苦痛なのかがわからない入り混じった感覚の中、またも中に出されてしまうという怖れも薄れてしまっていました。

そして、これは終わりではなく、再度の始まりだったのです。
弛緩しきって動くのもままならない私を息子は自在に扱い、セックスというよりペニスの挿入と激しい動きを何度も何度も繰り返すのでした。
どこで覚えたのか、あるいは目にしたのか、私が知らない体位をあれこれ試すように挿入を繰り返すのです。
もしかすると、そのたびごとに射精をしていたのかもしれません。
もはや、どんな体位で今が何回目なのかもわからず、その間はまるで犯されているとしか思えず・・・。

(この悪夢から目を覚ましたい)

・・・それ以外に考えていませんでした。
本当の最後は、2人とも荒い息のままベッドに倒れ込み、耳元で息子が吐き出す息と音を感じながら深い眠りに就いたのでした。

今、嫌悪する気持ちに堪えながら思い返してみて、その気持ちとは逆に身体の反応は別だった気がしてなりません。
拒否の言葉を口にしていたとしても、身体は拒んではいなかった。
そのように思えるのです。

次の日は朝早く目が覚めました。
掛け布団が身体の上にかけられていて、横では息子が寝息を立てて目を覚ます様子もありません。
息子を起こさないようにベッドから出ると、肌寒い空気がむしろ心地よく感じました。
ただ真っ先に気付いたのは、昨夜の出来事を認識したくない私に、それが本当に起こったことなのだと教えるかのような内股に感じる精液が乾いたごわつきでした。
すぐさまシャワーを浴びました。
そして昨晩のことを記憶から消そうと努力しました。

しかしシャワーの後にリビングに入ると、私の服や下着が散乱しており、ストッキングに至っては破れて部屋の端に投げ捨てられていて、忘れようとしている記憶が逆に鮮明に思い出される始末です。
何から手をつけたらいいのかわからないまま、冷蔵庫から出した緑茶に口をつけて初めて喉の渇きを感じ、今度はそのお茶を続けざまに飲んだせいか、バスタオルを巻きつけただけの身体が湯冷めで寒く感じ始めてきました。
渋る気持ちを奮い立たせ、着替えの衣服を取るために躊躇いながら寝室に向かいました。

やはり、すでに息子は起きていました。
暖房が入っていない部屋でベッドの上に裸で胡坐をかいて、いかにも今起きましたという顔をしています。
その時の私は、いったいどんな顔をして、どんな表情で息子を見ていたのでしょうか、自分でもわかりません。
息子は何かばつの悪そうな表情にも見えるし、ふてぶてしくも見えます。
2人の間には言葉にできない深い沈黙が漂っていました。

「お願いだから、もうやめて」

私がこれだけの言葉を口にするのに、どれだけの思いが頭の中を巡ったことか。

「お願い」と再度口にした時です。

突然電話からメロディが流れ、いいタイミングとばかりに近くにいた息子が受話器を取りました。

すると、「パパ?」と言う声。

夫からの電話のようです。
手を伸ばして受話器を受け取ろうとすると、息子は背を向け夫との話を続けます。
そして、「来月15日に帰ってくるってさ」と言うと、受話器を私に渡し、部屋から出ていきました。
まさか夫は、夫婦の寝室で裸の息子が電話に出たとも、私がバスタオル1枚だとも知らずに明るい声で、「やっと帰れる」と受話器の向こうで言っています。
ちゃんとした受け答えができないまま、夫はまだ仕事中だからと電話を切りました。
切れた受話器を持ったまま私は泣いてしまいました。

その日の私は、ほとんどを寝室で過ごし、リビングはもちろんのことダイニングやキッチンにすら立ち入りませんでした。
食欲もなく1日を過ごし、外が暗くなった頃、寝室を出ました。
暗い廊下に出て初めて息子が家にいないことに気づいたのです。
あんなことがあったのに、いないとなると気になってしまいます。
この後、どういう態度で息子と向き合ったらいいのかわからなくなっているのに、いつ出かけたのか、どこへ出かけたのか、意味もなく不安になってしまいました。
そんなところにコンビニの袋をぶら下げて、息子は何事もなかったように帰ってきたのです。

「お腹空かない?」

顔を合わせてすぐに出た息子の言葉でした。

「おにぎりや弁当を買ってきた」

息子の態度がいつもと変わらず、私の困惑した思いを払拭しました。
それでもはっきりさせておかなければいけないことがあります。
息子が買ってきた食事を2人で、これまでと同じように普通にとった後、母親として口を開きました。

「来月にはパパが戻ってくる。それが理由じゃないけど、昨日のようなことは最後にして。やってはいけないことだから」

たぶん、もっとたくさんの言葉を話した気がしますが、「もう終わりにして」ということを強調していました。
すると思わぬ答えが返ってきたのです。

「最後にするからラブホテルに行ってみたい。そこで最後にするから」

その答えに私の思考は一瞬止まってしまい、言っている意味を理解するまでにしばらく時間がかかりました。

(最後にラブホテルって?)

息子が言った真意がわかってうろたえてしまい、「そんなことを聞けるわけない」、「昨日が最後」、「やっていけないことをやっている」、これらを繰り返し言い続けていました。

しかし、「ママ、お願いだから」という息子に、返答をあやふやにしたのは私でした。
返答をあやふやなままにして12月を迎えてしまいました。
夫が帰ってくる準備に没頭していることで、息子からの“お願い”を忘れていたかったのだと思います。

そしてやっと夫の約2年5ヶ月の海外赴任が終了しました。
夫が戻ってきて迎えたお正月は、久しぶりにゆったりとした時間で過ごせました。
息子を入れた3人で、夫の不在中に何事もなかったように、赴任する前の親子に戻れた気がします。
息子の背はかなり伸びていますが。

しかし、夫が会社に、息子は学校へと行くようになって、私の頭から“お願い”が消えかかろうとしていた1月末、今思うと当然に、でもその時は突然に、そのお願いが再び息子の口から出たのです。
やはり息子は忘れてはいませんでした。
その日は、夫が新年会で帰宅が遅くなるという金曜日でした。
夕食後の洗い物の時です。

「ママ」と呼ぶ声があり、両手が塞がっているのですぐに振り向けないでいたところ、背後の息子から包み込まれるように抱きすくめられたのです。
その手はしっかり、私の胸を服の上から押さえるように触っています。

「ママ、忘れてないよね」

肩越しの声だけで息子の顔は見えません。
そんな息子に一瞬、怖さを感じました。
やはり前回の出来事が、私の心に何かを刷り込んだのでしょうか。
何度も何度も過ちを繰り返す母親は、「これで最後にする」という言葉を信じて息子の“お願い”に応じてしまったのでした。

それは翌日土曜日。
夫は会社の同僚と新年初のゴルフで朝早く出かけました。
息子はそれを知った上でのことだったようです。
私は、ありえないとは思いましたが、万が一にも知っている人に会わないようにと郊外のホテルをネットで探し、午前中の早い時間に家を出ました。
車内の息子はまるで遊びにでも行くような様子で、口数が自然と少なくなる私と違いはしゃいでいた気がします。
ラブホテルに入ったのは、カルチャーセンターのオーナーの時を除くと何年も前に夫と入った時以来で、自分で初めてやるキーの受け取りや受け取りと同時に行なうカードでの精算に手間取ってしまい、他の人と重なってしまうのではないかという気の焦りがあって余計に慌てました。

やっとの思いで部屋に入り、息子が最初にとった行動は部屋の中を見て回ることで、私もつられて見て回りましたが、特にバスルームでは、その広さとバスタブの大きさに驚き、さらにベッドは円形で枕元には操作パネルがあって、ベッドが振動するボタンもあり、息子の表情が好奇に満ちて幼い子供のようでした。

しかしそれも束の間・・・。

「じゃあママ、約束だよ、僕の言う通りにして」と息子。

「何を言ってるの?」

話を改めて聞くと、「すべて僕の言う通りにして」と。
すでにホテルの部屋の中。
正直怖いと思いましたが、その時の私は開き直っていました。

「ママが嫌ということはしないで」と固く約束させ、息子に従うことにしました。

その最初の指示は、「服を全部脱いで」でした。
やっぱりという気持ちで脱ぎ始めましたが、息子はその私の様子を見るわけでもなく、操作パネルの脇にある小さいバスケットに入った白い紙の袋を手に取り、「何?これ」と言いながら中を覗き込んでいます。
すると、「えっ!これって置いてるんだ」と言うので、私も並んで見てみるとそれはコンドームでした。
即座に頭に浮かんだのは避妊でした。
少し躊躇いながら、「今日はこれを付けて」と、どんな反応を示すかわからないまま口に出してみると、あっさり「わかった」という返事。
紙袋から出した小さな袋を破り、中から出したコンドームをしげしげと見ています。
初めて見たのかしらと息子の顔を見ると、「ママ、全部脱いで」と私がたしなめられてしまいました。

最後の2枚、ブラとパンティだけとなり動きを止めた私でしたが、ベッドで横たわり私をじっと見ている息子に無言の圧力を感じました。
息子はじっと私を見つめたままです。

今まで書いてきたことは、息子が中学2年生のときの出来事です。
そして現在、息子は高校1年生。
時間の経過って早いものですね。
小学生のときのちょっとした過ちが、ここで告白するようなことに繋がってしまい、そして息子との関係は、まだ今も続いているのですから・・・。