ブローニー判、白黒フィルム(12枚撮り)
6本4千円(送料共)
(現像処理薬1包、現像処理タンク1つ付)
今ならフィルムと現像処理薬、各1をお付けいたします。
35ミリ判フィルムやカラーフィルムもあったけど値段は覚えていない。
郵便ハガキ1枚10円の時代だから、僕はすごい覚悟で貯金をおろして現金書留で送った。
夏休みが始まった頃にフィルムが届いた。
ブローニー判を選んだのは、その頃僕が自由に使えたカメラが、科学雑誌の組み立て付録の実験カメラだけで、そのカメラに使うフィルムがブローニー判だったから。
フィルムを詰めたカメラを手にして、僕は城址公園に出かけた。
青空に白い雲、花壇に咲き揃う黄色いひまわり。
夏休みらしい風景を見つけてはファインダーを向けても、白黒フィルムじゃ物足りないかなとシャッターを押せずにいた時だった。
「さすが将来の写真家やな。ええカメラ持っとるやないの」
学級は違うけど、同学年のチカに声を掛けられた。
「何狙っとるのん?」
そう言うチカに、僕は通信販売で買ったフィルムの話をした。
チカはニヤニヤしながら僕に言った。
「ほな、私のヌード撮って見いひん?」
「ヌードって・・・」
「写真屋さんに見せんと現像出来るんやろ?」
「・・・」
「あんたも写真家を目指しとるんやったら、ヌードくらい撮れるようになっとけや」
「・・・はい」
チカに追い立てられるように僕は公園の奥に向かった。
公園の奥には、植え込みに囲まれた教室の半分ほどの広さの空き地がある。
あまり人が来ない、僕たちの隠れ場になっていた。
2人でそこに入り込むと、チカはスルスルとTシャツと短パン、そしてパンティーまで脱いでしまった。
「ちょっと待って!」
僕は驚いた。
「パンツまで脱いでまうのん?」
「当たり前やん」
チカは太陽の光を裸に受けながら言った。
「何か着とったらセミヌードやん」
「チカ、ヌードモデルになったことあるのん?」
「あるわけないやん。ただ、ヌードモデルには憧れとって、鏡の前でヌードのポーズとる練習しとってん」
「ヌードモデルに・・・憧れとったん?」
「うん。前に病気で学校を休んだ時、家でテレビのワイドショーを観とったら、女の人が『若い頃の思い出』にプロのカメラマンにヌードを撮ってもらうコーナーがあってん。それ見てから私、ヌードを撮ってもらいたいって思うようになってん」
「へぇー、そうなんや・・・」
僕も母親が読む女性雑誌の中にそんなコーナーがあったことを思い出した。
僕はエッチな写真や読み物は、男性雑誌より女性雑誌の方が過激なものがあると知っていた。
女性が雑誌に投稿した浮気や痴漢の体験を元にしたマンガは、僕に気持ちいいオナニーを覚えさせてくれた。
特に僕が好きだったのは、『誕生日ヌード』の写真だった。
1歳から3歳くらいの子どもと母親が一緒にヌードになって雑誌に載せられていたんだ。
母親に抱かれた小さな子どもが、母親の乳首を摘んだり吸ったりしてる姿は、男性雑誌に載せられているヌードモデルのヌードより、ずっと僕のチンチンを硬くさせた。
「・・・じゃあ撮るで。僕の言うこときいてな」
僕は心の中にオナニーする時に眺めたヌードを思い浮かべ、そのポーズをチカにとらせた。
「チカ、おっぱい大きなっとるんやなぁ。自分で軽く握ってくれるか」
「・・・こんな感じか?」
「そこの台の上に腹這いになって、お尻だけグッと上げてくれるか」
「・・・こんなんでええか?」
「そこのベンチに座って、両手を頭の後ろにやって、脚をバーンと拡げてくれるか」
「このくらい拡げたらええか?」
僕は素通しのファインダーを覗いて、その向こうのチカの股間を中心に据えて、輪ゴムの弾力で作動するシャッターを切った。
(すごい。これが女の子のオシッコするところなんや。もっとアップで撮りたいな)
実験カメラは固定焦点だから、1メートルは離れないとピントが合わない。
「なあなあ、女のアソコって、どないなっとるんやろな?」
僕は時々、バカ友たちとこんな話をかわした。
僕たちが苦労して手に入れるヌード写真で見る女の股間は、いつも黒い四角で隠されていた。
でも今、僕の目の前にチカの股間が露わになっている。
それは意外なほど、いやらしい形をしてはいなかった。
後でフィルムを現像して見て、初めてその形のいやらしさを僕は知った。