いくつもの分岐を進んで・・・。
最終的に、行きどまりのちょっと広くなった場所に出ます。
車を停めました。
ボストンバッグを開けて、持っていくものをトートに移します。
デジタル一眼のカメラと、三脚・・・。
そして、水着・・・。
森の中の細道を数分歩いていくと、少しずつ水の音が聞こえてきました。
2つめの目的地にしていた『沢』が目の前に開けます。
(ここも、以前と何も変わらない)
待ちました。
(誰かが現れたら・・・)
そのときにここでやろうと思って組み立てていたイメージは、完璧に頭の中に出来上がっています。
でも、来ませんでした。
小一時間待ちましたが、誰も現れてくれません。
(なんだよ)
違う意味で泣きそうでした。
私は・・・私は・・・。
せっかく早朝から、わざわざ新幹線に乗ってやって来たのに。
(こんなにいい女が、待ち構えてあげてるんだよ!?)
スカートを捲り上げて、パンツの中に手を突っ込みました。
悔しさに任せて、その場でオナニーします。
・・・が、それもだめでした。
気持ちが昂ぶっていかないので、まったく快感を得ることができません。
(もう嫌、何もかもイヤ)
あまりの虚しさに、うずくまってしまう私でした。
どれぐらいその場に居たでしょうか。
何のあてもなく、ぽつんと沢のほとりで佇んでいました。
もうどうにもなりません。
悔しいけれど、帰るしかありませんでした。
トートバッグを肩にかけて、三脚を持ちます。
あまりの徒労感に、がっくりと疲れ切っていました。
河原から、森の細道のほうへと足を向けます。
・・・と、まさにそのときでした。
(うそ・・・)
帰ろうとした私と、ちょうど入れ替わるように・・・。
男の人がひとり現れたのです。
なんというタイミングの悪さでしょう。
(しまった・・・あと5分待っておけば)
小さく会釈されました。
躊躇っているうちに、そのまますれ違ってしまいます。
(あ、あ・・・)
何も出来ませんでした。
思わず振り返って、その人を観察してしまいます。
大学生ぐらいの若い男の子でした。
見た目だけの印象なら、かなり真面目そうな雰囲気です。
と思っているうちに・・・。
あっという間でした。
川の流れの前まで行った彼が、『何もないな』という感じでもう引き返してきています。
(あ・・・、あ、あっ・・・)
私は、固まったようにその場から動けずにいました。
カメラの三脚を持ったまま立ちつくしている私に、男の子が怪訝そうな目を向けてきます。
気後れしてしまって震えそうでした。
でも、勇気を振り絞って・・・。
「あの、すみません」
ついに声をかけてしまいます。
一瞬『えっ?』という顔をされました。
でも、足を止めてくれます。
「なんですか?」
その戸惑い声を耳にして、私は少し安心していました。
思ったよりも、おとなしそうな印象の子です。
「あの、えっと・・・ごめんなさい、突然」
次の言葉がなかなか浮かんでこなくて、私の方もどぎまぎです。
(いま持っているのは、とりあえず、このカメラ・・・)
「すみません、おひとりですか?」
頷いた彼に向って、なんとか言葉を繋いでいました。
「あの、もしお時間があったら、写真を撮るの、手伝ってもらえませんか?」
「あ、いいですよ」
いわゆる『ちょっと1枚シャッター押してください』のお願いをされたと勘違したようです。
わりとあっさり、簡単にOKしてもらえました。
計画していたのとは、ぜんぜん違う流れです。
もう、あらかじめ考えてきていたそのイメージ通りに持っていくことは不可能でした。
でもせっかく掴みかけたチャンス・・・。
このまま帰るなんてまっぴらです。
「本当に、お時間だいじょうぶですか?すみません、ありがとうございます」
直感がありました。
私には、わかるのです。
このやり取りだけで、もうすでに相手の心を“ぐっ”と自分に引き寄せたということが。
「ええと、あの、じゃあ・・・」
指をさしながら、「あの辺りでいいですか?」と、川べりの方へとふたりで歩いていきます。
「私、毎年1回、誕生日が近くなるとセルフポートを撮ってるんです、記念みたいな感じで」
平然と嘘をついている私がいました。
「なんか、撮ろうとしたらカメラのセルフタイマーが壊れちゃったみたいで」
ここまできたら、完全に行き当たりばったりです。
こっちを見た彼が、「誕生日?」と私に年を聞きたそうな感じでした。
「来週で、27になるんです。あなたは?」
嘘に嘘を重ねているうちに、私が『もうひとりの自分』になっていきます。
心の中は、この子の人柄を見極めることに必死でした。
(だいじょうぶ、乱暴するような人じゃない)
むしろ、かなり真面目なタイプだということが相手の挙動から伝わってきています。
さっきまで物怖じしていた自分が嘘のようでした。
おしゃべりをしながら、「ですよね、私もそうです」と少しずつ相手に親近感を植えつけていきます。
(若く見られる顔でよかった。ぜんぜんバレてない)
彼は、20歳の大学生とのことでした。
何よりも幸運なのは・・・。
それこそ手に取るようにわかるのです、この人が、ものすごく内気な性格の男の子だということが。
「経済の勉強って、難しいんでしょう?」
短大に通っていたころの自分を思い出していました。
なんとなくオーバーラップするものを感じます。
人見知りする性格のせいで、異性と話すだけでも緊張していたあのころの私・・・。
(この子なら絶対に大丈夫・・・)
おしゃべりを続けながら、上流側に数十メートル歩きました。
川べりの岩場で、地面に荷物を置きます。
これなら、三脚は必要ありませんでした。
トートの中からデジカメを取り出します。
けっこう本格的なカメラが出てきたことに、彼がちょっと驚いていました。
相手にカメラを持たせて・・・。
「ここをまわすと・・・合いますから・・・あとは、押すだけです」
基本操作を簡単にレクチャーします。
手と手が触れあっていることに、明らかに緊張している『内気』な男の子・・・。
彼のどきどきが、私には痛いほどにわかりました。
「じゃあ、試しにあの岩を」
そんな『内気くん』の後ろから、背中を抱くように両腕をまわす私・・・。
男の子の指に手を添えるようにして、一緒にカメラを持ちます。
私の顔の前に、彼の耳がありました。
ファインダー代わりの液晶画面をふたりで見つめます。
「そう・・・合わせて・・・」
内気くんのどきどきが伝わってきていました。
シャッターを押して・・・。
“キシャッ、キシャッ、キシャッ”
どうでもいいような岩を試し撮りします。
「オッケー!」
にこにこしてみせました。
彼から離れて、川べりの前に立ちます。
そして、結構衝撃を受けました。
(うわ)
ぱっと見ただけでも、内気くんのズボンの前がパンパンに膨らんでいるのがわかります。
(たったあれだけで、この子、そんなふうになるんだ・・・)
気づかないふりをしてあげて・・・。
「適当に、いっぱい撮ってください」
彼の前で、モデルのような立ちポーズを決めました。
“キシャッ、キシャッ”
シャッターを押す音が聞こえています。
少しずつポーズを変えながら、カメラの前で格好つけてみせました。
「なるべくポートレートっぽく、こっち側からも、お願いします」
一転、今度は女の子っぽく笑顔を浮かべて・・・。
ちょっと可愛らしくポーズをします。
(こんなの照れちゃう)
“キシャッ、キシャッ、キシャッ”
一生懸命に撮ってくれていました。
勇気を出して、レンズに向かって思いっきりキス顔をしてみせる私・・・。
「んーっ」
そのまま静止してみせます。
(ううう、恥ずかしい)
“キシャッ”
すぐさま・・・。
“キシャッ、キシャッ、キシャッ”
真正面から表情を狙ってくる彼・・・。
羞恥の気持ちでいっぱいでした。
男性にこんな顔を披露している自分が、死ぬほど恥ずかしくなってきます。
(ああ、だめだ)
お風呂を覗かれるのとも、またまったく違う興奮でした。
撮ってもらうという名目で、キスの顔をしたまま、こんなにも平静を装っている自分・・・。
(もっと、もっと・・・)
切り替えるように、すっとお澄まし顔を作ります。
“キシャッ・・・”
慣れてきたのか、「もうちょっと左に寄ってください」と内気くんも、ようやく自分から口を開くようになってくれました。
背景との兼ね合いを考えて、手で向きを指し示してくれます。
「なんか人に撮ってもらうのって緊張しちゃうな」
ただ写真を撮られているだけなのに、このシチュエーションに興奮が止まりませんでした。
(あああ、気持ちいい)
“キシャッ、キシャッ、キシャッ”
うまいこと言いくるめて、ヌードを撮ってもらえばいいじゃないか。
もし読んでいてそう思う人がいるとすれば、それはかなりの妄想脳だというものです。
目の前にいるのは現実の人間でした。
実際の流れの中において、そんな展開は絶対にありえません。
でも・・・。
(トートには・・・水着も入ってる)
言えるわけがありませんでした。
そんなことを本当に口にするのは、あまりにもハードルが高すぎます。
「毎年ここで撮ってるんですか?」
「場所はいつもちがうけど、でも、なるべく景色のいいところでって思ってて」
なんとなく、この子はたぶん、まだ女性経験が少ないんだろうな・・・。
そんな気がしていました。
“キシャッ、キシャッ、キシャッ”
(どきどきどきどきどきどき)
ごめんね、次・・・。
・・・水着も、いいかな?
どうしても、その一言が切り出せません。
(もうこれ以上は引っ張れない)
諦めました。
これが私のメンタルの限界です。
最後に、もういちど格好つけてポーズしました。
真剣な顔で、凛とした表情を向ける私・・・。
“キシャッ、キシャッ、キシャッ”
内心、恥ずかしくてたまりませんでした。
相手は20歳の男の子です。
(ああ、でも・・・すごくどきどきする・・・)
未練がないと言えば嘘でした。
だけど、やはり現実的に・・・。
どう考えても、ここからさらなる展開に持っていくことは不可能です。
「ありがとうございました。すみません、付き合わせちゃって」
にこにこ微笑みながら、カメラを受け取りました。
「うまく撮れてるといいんですけど」
内気くんが、口籠りながら話しかけてきます。
彼の『気持ち』を感じました。
目の前にいるお姉さん・・・。
このキレイな女の人と、なんとかもっとお近づきになりたいのです。
(もう恥ずかしい、早く逃げたい)
一瞬、それとなく気まずさが漂う感じがしました。
その微妙な空気感が嫌で、さっさと荷物をまとめます。
「それじゃあ、私、ちょっとこの辺りの風景も撮っていきたいんで」
笑顔でさよならを告げました。
内気くんを置き去りにして、ひとりで上流側へと歩きはじめます。
「どうも」
その寂しそうな表情が印象的でした。
ときどきこっちを振り返りながら、もとの下流側に向かっていきます。
そして、森の細道へと消えていきました。
その後ろ姿を最後まで見送って、妙に“ほっ”とする私・・・。
(すごいな、私。あんなにすらすら嘘をつくなんて)
初対面の男の子に声かけて・・・。
カメラマンになってもらっちゃったよ・・・。
(緊張したけど楽しかった)
そして・・・。
さほど間を置かずして、今度はこみ上げるような後悔が襲ってきます。
(でも・・・もったいない)
内気そうなあの子の目を思い出していました。
自分の性格は、自分が一番よくわかっています。
あのときあの状況から、あれ以上の勇気を出せる『私』ではありません。
でも、いま思えば・・・。
(岩陰で水着になろうとして、それをさりげなく覗かせるとか?)
もしかして、いくらでもやりようがあったんじゃないか・・・。
(奇跡的に訪れたチャンスだったのに。どうして、もっと頭を使わなかったんだ)
冷静に考えれば、無茶しなかった自分を褒めたい気持ちもありました。
だけど、やっぱり・・・。
(もったいなかった)
関東からはるばる長い旅路をやって来たことを思うと、後悔してもしきれません。
(もう少しここで次のチャンスを待つ?)
そんなことしたって、どうせ無駄だとわかっていました。
ますます悔しさに苛まされることになるのが目に見えています。
(しょうがないよ、あれが精一杯だもん)
それが現実というものでした。
帰ろうと決めて、トートバッグと三脚を持ちます。
(そうだよな、そうそう思い通りになんかならないよ)
河原から、森の細道へと入りました。
疲れ切ってしまって、やけに荷物を重く感じてしまいます。
全身から汗が噴き出していました。
日差しの強さが、どんどん疲労感を加速させます。
(でも、楽しかった)
ただ写真を撮ってもらっただけだけど・・・。
あの瞬間は、確かに『非日常』の興奮を味わうことができていた私でした。
どこの誰ともわからない、初対面の男の子。
レンズを向けてもらいながら格好つけてみせる自分が、内心ものすごく恥ずかしかったのを思い出します。
<続く>