夏休みの終わり頃のことだった。
ある日、彼からの予告時間前に家に帰れなくて、必死で走って玄関を開けた時にはすでにリンリン鳴っていた。
慌てて受話器を掴んで・・・。
「はあはあ、待たせてごめんね、はあはあ、んっく」
口の中が乾いて、うまく唾を飲み込めなくて、なぜか「んく、にゃはァン」っていうやらしい感じの声が出てしまった。
エロい喘ぎ声を実際に出したことはない。
でもたぶん、こんな感じの声が、いつか迎えるであろう本番でも出ちゃうんじゃなかろーかと思った。
(イヤだわ私ったら、はしたないわ)
そう思って気を取り直して、「エヘッ、もしもし、ごめんね!」と可愛く言ったら、・・・相手は彼氏じゃなかった!
「秋元(仮)と言いますが、あの・・・進藤さん(仮)のお宅で」
同じクラスの男子だった。
私以外の家族のふりをしても良かったのに、恥ずかしすぎて誤魔化すのも忘れて・・・。
「秋元君っ?わーごめん、フーフー、変な声出してごめん。彼氏かと思ったから、それでハアハア・・・」
そこまで言って後悔・・・。
これじゃあ、『いつも彼氏とハアハアしながら会話してまーす』と言ってるようにも聞こえる!
秋元君がポカンとしてるのが電話越しでも分かった。
なのに一生懸命言い訳しようとして、ぼろぼろと余計な墓穴を掘っちゃう私。
「違うの違うの、走ってきたから息が、声がね、ハアハア、ンフン、なんかエロかった?私、エロかった?いつもはこんなじゃないの!」
・・・バカだ。
これだと、いつもはこんなじゃないけど、たまにはこんなだと思われる・・・。
秋元君は、「彼氏がいたんだ。ごめん、知らなかった」と、私のパニック状態は置いといて、寂しそうに言った。
私は、「みゃー」と言った。
『さっきのはネコの真似だよーん』と思って欲しかった。
もちろん、思ってくれるわけなかった。
最後に秋元君が何かを言って、私が「みゃーみゃー」言ってるうちに電話は切れた。
(ところで用事は何だったのかなー?)と考える余裕もなく、私は恥ずかしさのあまり死んでしまった。
すると、すぐに彼氏から電話が。
「なんで電話中だったのさ!」と理不尽に怒られて、ちょっと喧嘩になった。
翌日、恥ずかしいけど、放っとくのも気持ち悪くて、秋元君ちに電話した。
お母さんが出た。
秋元君の下の名前をはっきり覚えてない自分に、このとき初めて気付いた。
「進藤と言いますが、えーっと・・その、ミツ、えーっと」
お母さん「・・・ミツグのお友達?」
私「ミツグ!そうです、いや、友達っていうか、そうじゃなくて、その・・・」
お母さん「えっ、それじゃあ」
秋元君とはあんまり話したこともないので友達とは言えない。
だから曖昧な言い方になっちゃったんだけど、どうもお母さんに彼女だと勘違いされたようだ。
でも、「あらまあ、息子に彼女がいたのね、ウフフ!」っていう反応じゃなかった。
「彼女じゃないです」と私が否定する前に、お母さんは泣きながら、息子が交通事故に遭ったことを話した。
「え?え?」と驚く私。
号泣し始めるお母さん。
(うへ?まさか死んだとか言うなよ!死んだとか言うなよ!生きてて秋元君!)
えっ、でも、お母さんが言うには、事故に遭ったのは3日前。
秋元君から電話があったのは昨日。
もし死んでたら、あれは幽霊からの電話?
怖い怖い、そして悲しい。
お母さんは感情が不安定になってるようで、取り乱してて話の要領を得なくて、秋元君の生死を知るまでにちょっと時間がかかった。
結果・・・死んでなかった。
入院先を聞いて行ってみると、秋元君は脚を骨折して横になってた。
これだと、昨日は無理して公衆電話のとこまで移動したに違いない。
そこまでして私に何を言おうとしたのか知りたかった。
秋元「人間っていつ死ぬかわかんないんだなって思ったら、言っておきたかった」
(一歩タイミングが間違ったら本当に死んでたらしい)
「ずっと好きだった」って言われた。
昨日も言ったらしいんだけど、私が「みゃーみゃー」言って壊れてしまったので、呟くだけで終わったらしい。
嬉しいとか、びっくりとか、(私、彼氏いるんだから、この状況で秋元君をフラなきゃいけない、どうしよう?)とか、色んなことを考えた。
そこにお母さんが着替えとかを持って来た。
「あ、さっき電話くれた人?さっそく来てくれたんだね」
そして・・・。
「ミツグ、良かったねえ、お見舞いに来てくれる彼女がいて、心配してくれて良かったね」
お母さんは泣いていた。
嬉し泣きだ。
泣き虫だ。
お母さんの勘違いに秋元君もアレレって顔だったけど、私はこっそりウインクして、とりあえず今は彼女のふりをすることを伝えた。
気弱そうなお母さんがちょっとでも安心してくれるなら、そうしようと思った。
私は彼女のふりするために、「ミツグ」と名前で呼んでみた。
言った途端に恥ずかしくなってしまって、その後の言葉が続かなかった。
秋元君も私に倣って「久美子」と、私を下の名前で呼んだ後、恥ずかしそうに黙ってしまった。
名前だけ呼び合って見つめ合うっていう、青臭い少女マンガみたいなこそばゆい空気が流れてしまった。
お母さんは、「あらあら、まあまあ」という顔でどっかに行った。
「昨日はごめんね」
改めてそう謝ると、秋元君の顔が赤くなったので、やっぱり昨日の私は頭のおかしいエロ女だと思われてるような気がした。
「彼氏とはまだ全然何にもないよ!だから私のエロい声を聞いたのは秋元君だけだよ!」
また慌てて言い訳して、余計なことを言ってしまう私だった。
終始苦笑いの秋元君だったけど、ようやく普通の会話も出来て、何だか楽しかった。
私の彼の方が年上なのに秋元君の話の方が中身がある。
体が大きい割に知的で、特に昔の映画に詳しかった。
映画なんて暇潰しくらいに思ってた私に、彼は淀川さんばりに熱く語ってくれた。
面白い人だなーと思った。
気が付いたらかなり時間が経ってた。
帰り際に秋元君は、「事故に遭って良かったかも。来てくれて嬉しかった。ありがとう」と言った。
私は明日もお見舞いに来ようと思った。
家に帰ったら、リンリン鳴ってた電話の音がちょうど切れたところだった。
昨日、彼氏から電話の予告をされた時間だった。
すっかり忘れていた。
すぐにかけ直してきたので電話に出ると、昨日に続いてまた怒られた。
事故に遭ったクラスメイトのお見舞いだと正直に言ったのに、彼氏の不機嫌状態は直らなかった。
秋元君といい雰囲気になった日に、こんな嫌な面を見せてくれるとは。
これが“お別れフラグ”だったことにしとく。
翌日、また秋元君の病室に行った。
お母さんがいたので、彼女のふりを続けるために、「ミツグ、また来たよ~」と明るく言ってみた。
そしたら変な気を利かして、また退席するお母さん。
秋元君は言った。
「もうフリはしなくていいよ、母さんにずっと嘘はつけないし」
「うん・・・そうだね、嘘は良くないね」
私はそう言って、戻って来たお母さんに聞いてみた。
私「明日からも毎日来ていいですか」
お母さん「そんなに気を遣わなくていいのよ~」
私「いやー、彼女として、私も彼氏の世話をしたいです!」
秋元君がびっくりして、「にゃはー?」と言った。
私は、「みゃー」と言った。
私「嘘は良くないから本当のことにするよ、いいよね、ミツグ!」
お母さんには聞こえないように言った。
また嬉し泣きしそうなお母さんの横で秋元君、いやミツグもブルブル震えていた。
私1人だけ、ドヤ顔だった。
で、世話をするとは言ったけど、全部お母さんとナースさんがやるから、私はただ毎日、ミツグの話し相手になってた。
私「下の世話は退院したらやってあげるよ!」
すでに私のちょっとエロで間抜けな側面も見せてしまってるから、そういう冗談も割と気軽に言えた。
ミツグが真面目に、「いやいや、もっとずっと後でいいです」と照れてるのが可愛かった!
「退院したら」っていう言葉は、結果的に嘘になった。
入院中に1回だけ・・・手で。
こうやって書くと、彼と結婚して今も幸せ!みたいなお話だけど、そんなことはなくて結局別れてしまいました。
エロは書けないけど、私の喘ぎ声もどきを聞いたミツグが、その後で本物を聞いたことだけは記しておく。