しかしなかなか売れず、事務所の社長に泣き言を言っているうちに優しく口説かれて、高1で社長に処女を奪われました。
社長は当時37歳と若く、インテリジェンスのある優しそうな顔をしていましたので、少なからず好意もありました。
その後は社長に体を玩具にされることで小さな仕事をもらうようになっていました。
週2~3日、高校の制服姿で縛られて、羞恥に満ちた格好で性的に辱められたり、素っ裸でベランダでバックからセックスされたりしました。
股を開かされて縛られた私は社長にクリトリスを指で摘まれ、思わず腰を突き上げていやらしい悲鳴を漏らしてしまいました。
社長はクリトリスの皮を丁寧に剥いて、指先に唾をつけてクルクルと淫靡な愛撫をしました。
脳天が痺れるような快感に身を捩らせて喘ぐ私を社長はニヤニヤしながら見て、さらにクリトリスをキュッと摘まんで皮を剥いたり戻したりするように扱かれて、私は仰け反ってイカされてしまいました。
そんな責めを受け続けていたある日、社長はゼムクリップを変形させたものを、包皮を剥いたクリトリスを挟むように嵌め込みました。
社長が指を離すと、ゼムクリップの変形した環がキュッと締まりました。
「ンガアッ!」
鋭敏な突起を剥き上げられて締め付けられる感触に、私は腰を震わせました。
この環は、ちょっとでもクリップに触れたら、その刺激を直に伝え、淫靡な快感を与えるのです。
クリップを爪でツンツンされるだけで、私はビクビクと恥ずかしく反応しました。
そんな状態で社長のペニスを挿入されると、欲情し切った体はやっと与えれたペニスを喜んで受け入れてしまうのです。
女子高生の私にとって、それはたまらなく恥ずかしいことでした。
執拗な体への愛撫で愛液れまみれのアソコは社長のペニスの侵入を簡単に受け入れてしまいました。
しかも、その快感を私は全く否定出来ないどころか、むしろ歓迎して腰を振っていました。
社長は、私が容易くイッてしまうと、クリップを外しても絞り出されて飛び出たままになったクリトリスにバイブの振動を与えてきました。
すると私は飛び上がるように覚醒するのでした。
時には学校を休んで、クリトリスを責められ続けてイキっ放しにさせられ、発狂するほど淫らな姿を披露していました。
夕方になってやっと抱いてもらったときは放心状態で、敏感になり過ぎた体をビクビクさせて再びイキまくっていました。
それでもなかなかアイドルとしては売れなくて、ついに高3の時、裏本のモデルをさせられました。
初めはイメージスナップのアイドル写真集みたいな撮影でしたが、少しずつ脱がされてランジェリー姿に、やがてガーターとストッキングだけになり、そして全裸に・・・。
バイブで感じさせられて、フェラ、69、アソコを悪戯されて結局セックスに・・・。
気づいたら淫らな行為の全てを撮影されてしまいました。
当時は現役の女子高生でしたが、なぜか制服は着せられませんでした。
これがアイドルになれなかった、芸名『浅倉◯◯』の最初で最後の写真集になったのです。
高校卒業と同時に事務所も愛人もやめて、髪型も変えて普通の女の子として歩み始めたと同時に、その時の写真が裏本として世に出たようです。
イメチェンをしていたせいで気づかれなかったのか、気づいても黙っていたのか、誰かに指摘されたことはありません。
そんな私ですが、高校を出て地元の生協に勤め始めたら再びモテ始めました。
しかし、社長の愛人として、ふしだらな悪戯に身を焦がした挙句、淫らな写真を世に無修正で晒した私は、意識的に男性を遠ざけていました。
就職して4年が過ぎた春、生協本部の新入職員(大卒の幹部候補)が職場体験に来ました。
その男性は、私が中学時代に憧れたサッカー部のキャプテンでした。
私はその意味をよく知りませんでしたが、ミッドフィルダーのポジションで試合を組み立てていく冷静沈着な彼は、『必殺のパスを供給する達人』と言われていました。
その彼が職場体験を終えて本部に帰るとき、「同じ中学だったよね?今度、メシでも食いに行こうよ」と、名刺の裏にメルアドを書いて渡してくれました。
それが今の夫です。
「中学の頃、男子生徒の憧れだったキミと結婚できた俺は幸せだなあ」
クリトリス苛めに裏本出演・・・。
そんな過去に怯えながらも幸せに暮らす私です。