私の場合、確かにその傾向はまだ幼い少女の頃からあったと思います。
いつの頃からか・・・。
おそらく小学校に上がる前くらいからか。
気づいた時には、そういう自分を意識するようになってしまっていました。

例えば・・・。
テレビアニメやドラマでヒロインの少女が捕まってロープで縛られてしまった時。
PCMAX
後ろ手にぐるぐる巻きにされ、猿轡の奥で呻いている時。
かっちり嵌められた手錠をねじっている時。

なぜだか胸の奥が痛いくらいドキドキしだして、変な気持ちになってしまうんです。
普通に絵本や物語を読んでいても、さらわれた女の子が無理やり縛られていく描写があったりすると途端にカラダが緊張してしまうんです。

当時から、なんとなくいけない感情だという思いはありました。
友達の家のテレビでそういう縛られた女性を見ちゃったときは顔がこわばって、必死に動揺を隠したりしていました。
まだ湧き上がる奇妙な感情が何かも知らなかったんです、子供時代の私は。

教育系のアニメの1コマが特に印象に残っています。
悪者に囚われたお姫様ががんじがらめに縛られたまま逃げだすのですが、すぐ捕まって、怒った悪者に酷いことをされそうになってしまうんです。
性的な描写なんてどこにもないのに、そのシーンを見ながら酷いことをされる瞬間を想像して、5歳くらいの私はカラダがどこか熱くなってしまうのを抑えきれずにいたんです。

何をされちゃうのか?
どんな目に遭うのか?
悪者の好き勝手に縛られてしまった私に、どんな酷いことが降りかかってくるのか?

本当にヒロインと心が一緒になっていました。
それがヒリヒリとまだ見えぬ心の底で疼く被縛願望だとは気づかないままに・・・。
ただ捕まったり羽交い絞めにされるのじゃなく、縛られて自分1人では何もできないカラダにされてしまう・・・ということに対して、特に後ろめたい憧れを感じていました。
手錠で、縄で、革のベルトで、エッチな縛りで・・・。
囚われの少女という浅ましい身分に作り変えられてしまう自分に興奮しちゃうんです。
仮に逃げ出せても、私はずっと自由を奪われた不自由なカラダのまま・・・。
どこかやましい、けれどそれはゾクゾクする気分。

お正月とか遊びに来る従兄弟と“誘拐ごっこ”みたいに遊んだりしましたよ。
お座敷の固い座布団で悪者のアジトを組み上げて、その中で私が従兄弟に縛られちゃうんです。
縛ると言っても、お互い子供ですから、手ぬぐいなどでいい加減に・・・。
一度なんかビデオの延長コードをダメにして、親にこっぴどく怒られました(笑)

それでも狭いアジトに縛られて放置されると幼な心ながら顔が真っ赤になるほど興奮して、バクバクと心臓を弾ませながら縄抜けを試したり。
モゾモゾと藻掻いているうちに座布団が崩れて、一瞬ヒヤってするのが突き抜けるような快感でした。
こうして書いていると思い出しちゃうので余計に・・・。

最初の頃は男性の縛られているシーンでもドキリとしていました。
男性が縛られている姿は、アレはアレで魅力的でしたから。
なよなよと藻掻く女の子の場合と違って、ドラマのヒーローが捕まるシーンはジタバタと激しく暴れますよね。
必死に焦る、そのリアルさはすごく感じます。
でも・・・うん、そうなんでしょうね。
いつの間にか私は同じ女性の緊縛姿を目にして心乱されるようになっていました。
自分に重ね合わせちゃう、それもありますし、女性のカラダの柔らかい丸みに沿ってまとわりつく縄が、ひどくいやらしくていけないものに感じられましたから。

(成長したら私もあんな風になるのかな?)なんて妄想しながら・・・。

私がはっきりと緊縛に目覚めたのは、もう少しあとで、小学校に入ってからです。
たぶん一番決定的だったのは、当時流行っていたテレビの脱出マジックだったんです。
その女性マジシャンは外国人だったんですが、きりりと目が細くて冷たそうな雰囲気が私にどこか似ていて、時折テレビで見る彼女に憧れているところがありました。

そんな時・・・。

「おい、このマジシャン、あゆみ(私)に似てないか?」

「えっ・・・?」

食事もそっちのけでテレビに観入っていた私は、いきなり父に声を掛けられてドキリとしました。

(憧れのマジシャンに、私が似てる・・・?)

画面の向こうでは、ステージ中央に立った女性マジシャンが肩掛けのケープをさっと剥ぎ取られるところ。
一瞬息が詰まるような、残酷そうな、肉に食い込むような革の縛りがそのカラダに施されているんです。
おっきな首輪に、レオタードが乱れるほど引き絞られた革のベルト。
胸だってオッパイがはち切れんばかりに弾けていて、鍵があちこちにかけられていきます。
背中を向いた手首には幾重にも重なった手錠、手枷、ロープ。

「すごい緊縛だよ、これ。カラダがひしゃげてるし」

「・・・キンバク?」

訊ねると、父はメモ帳を引き寄せて、『緊縛』という字を書いてくれました。
当時小学校の低学年だった私には、見るからに複雑そうで繊細な漢字。
そして、その漢字のイメージが、画面の向こうの女性の姿に同化していきます。

(そっか、ああいうのが緊縛なんだ・・・)

「緊縛ってのは、ああいう風にすごい縛られちゃうことを言うんだよ。まあ、普段使う漢字じゃないから覚える必要はないと思うけど」

「・・・」

「しかしエロスだな、このショーは・・・。ってお母さんに聞かれたらヤバイか、ハハハ」

父の言葉に思わず生唾を飲みます。
こんなに艶かしく身悶える女性に私は似ているんだ・・・それって・・・。

(緊縛・・・あの人が・・・私に似てる・・・)

「トリックはどこだろうなぁ?」とか、しきりに首を傾げる父をよそに、私はトクトクと血液が速まっていくのを感じていました。

それからです。
私が縛りに興味を持つようになったのは。
いつも空想の中では、私は悪人に捕らえられて縛られて身悶えています。
そのイメージは常に女性マジシャンにダブって映り、そうして私はいつしか、縄抜けと1人での縛り、つまり“自縛”に興味を持つようになっていたんです。

新しいもの好きの父にビデオの操作とかを教わった私は、アニメやドラマで女性の縛られるカットがあるたびにこっそりビデオに撮って集めるような癖がつきました。
そういうシーンばかり集めて編集したり。
本当に変な秘密を抱えた女の子だったんだなぁと思います。

学校の遊びでもドロケイとかが好きで、男の子に交じって遊んでは捕まって敵陣に連れて行かれるたび、密かに手を背中に組んでいたりしました。
学芸会やお芝居なんかでも、そういう役があると率先してやってみたり。
もちろん本気で縛ったりしないし、ふりだけなんですが、それでもドキドキしたりしてしまって。

小学校の頃は、活発でちょっと変な色気のある女の子みたいに思われていたようです。
低学年の頃はそんな感じで・・・。
ただ、学年が上がるにつれ、私は女の子の輪から取り残されるようになりました。
理由のひとつには、私が自分のことを語りたがらなかったことがあります。
ずっと秘密にしてきた自分の心、いやらしい性的な秘密を(当時の私はエッチな妄想だとはっきり自覚していました)隠すため、少し無理をしていたんです。
同級生の恋愛話にも興味が湧かず、かと言ってそれまで疎遠だった地味系の女の子のグループに混ざる気にもならず・・・。
そもそも私には好きな男子なんていなかったし、私の性癖を理解してくれる相手がいるとは思えなかったんです。
男の子の誰がカッコいいとか、誰が誰に告白しただのしないだのなんて話より、次第に膨らんできたあの淫靡な感覚、縛られてみたいという願望を飼いならすのが精一杯で。
むしろ同級生と距離を置くくらいが私には楽な感じでした。

その間も、私は自分を密かに縛ったりしていました。
たいていは自分の部屋で、荷造り用のロープをカラダの前でグルグルと両手に巻き、歯と口を器用に使って固結びにしてしまったり。
そんな格好で勉強や読書をしていると、まるで本当の囚われ人になったみたいで、カラダの芯がカァッとなるんです。
もどかしく、切なく、何か辿り着けそうで手の届かない、あの奇妙な変な感覚・・・。
それが何なのかわからぬまま親の目を盗んでは幾度も自分を縛り、縄抜けの達成感に酔い、かすかな違和感に悩まされて止められずにいる・・・それが当時の私でした。

小学生とは思えない、いやらしい煩悩を持て余す日々。
お気に入りは深夜の自縛プレイでした。
何度なく、熱に浮かされたように繰り返したセルフボンテージ。

両親が寝静まると、パジャマのままベッドから這いだして、薄く扉を開けます。
そのまま、わざと胸とかを肌蹴たエッチな格好で体育座りして、右手首と足首、左の手首と足首をそれぞれ揃えてビニール紐で縛りあげちゃうんです。
手首から肘まで足に密着させ、膝と肘を揃えてグルグル巻きの緊縛。
左右どちらかの手足は不自由な状態で縛るので上手にいきませんが、思いきり紐を絞って固結びにしてしまうと、自力では絶対に抜け出せなくなってしまうんです。

右手と右足、左手左足を揃えた緊縛姿の自分。
艶やかな夜の色香に惑わされた、幼い奴隷志願の自縛少女。
秒針の音だけが夜の世界に響き渡っていて、しんと静まりかえった廊下にそっと踏み出すと、もう後戻りできない。
いつ親に見つかってもおかしくない・・・。

「・・・」

ゴクリと大きく喉を鳴らして、それが合図。
前髪も乱れた額を冷や汗でまみれさせながらの自縛プレイの開始です。
この瞬間、私はドラマの中のヒロインそのもの。
ううん、ドラマは時間が経てば誰か助けに来てくれますが、現実の私は誰にも助けを求められません。
前もって用意したハサミはトイレのマットの下。
このカラダでは当然、立ち上がることさえできません。
すぐ目の前の机の最上段にはハサミが入っているのに、決して取ることができないのです。

トイレまで両親の寝室のまん前を通り、リビングを抜けていく残酷な道。
ひんやり佇む夜気が裸のまだ薄い胸を弄って、乳首がツンとしこってきます。
ハァハァと乱れる息さえ緊縛姿の現実を意識させて私の心を陶酔させてて、身じろぐだけでギシリギシリと軋むビニール紐。
痛みと強い圧迫とが、包帯を巻きつけた患部さながらに両手両足を束縛していきます。
残酷な戒めは、私が悶えた程度では皮膚に食い入るだけでびくともしないんです。

無情な現実・・・。
そして自縛してしまった後悔と後ろめたいカラダの昂ぶりに苛まされながら、私は恐る恐る夜の廊下へと這い出します。

ギシ、ギシ・・・。

一歩ごとに腕が、足が悲鳴をあげ、まるでお尻だけ振っているかのように遅々としてカラダは前に進んでくれません。
試せば分かりますが、この拘束は手足が完全に同化してしまうので、芋虫のように惨めな自由しか与えられないのです。
じわりじわりと冷たい床にお尻を撫でられながら座ったままで這いずっていって。
両親の部屋の前を通る瞬間がもっとも緊張します。
カギなどかかっていない寝室。
扉1枚を隔てて、こちら側の廊下では小学生の娘が自分の手足を拘束し、半裸で息を荒げつつ這いずっているわけですから。

(そんな姿を父に見られたら・・・母に咎められたら・・・)

それこそ極限のスリル。
全身をたらたらと汗が伝い、カラダのそこがチリチリと疼きっぱなしで。
性感なんて知るはずもないのに、私はもどかしい快楽に身を揺さぶられながら、のろのろ這いずって行くのです。
いつものようにリビングに入ってしまえば、椅子や机や、隠れる場所は少しくらいはあるから。
見つかる確率だって、フラットな廊下よりはずっと低いから。
だから・・・。
一度だって見つかったことがないんだから・・・。
大丈夫、今日もずっと・・・。

その日も、そう思っていたんです。
ほんの僅かな油断。

「・・・っ」

あの晩も、自ら施した縄目のいやらしさにピリピリとカラダを痺れさせながら床を這いずっていました。
いつものように両親の寝室の前に差し掛かり、もどかしい次の一歩を踏み出そうとして・・・。

(!)

その瞬間、低く微かに寝室から響いていた父のいびきが、ふっと消えたんです。
続けて寝返りを打つような音。

「ヒッ」

文字通り息を呑んだ私は、思わず無理やり歩幅を稼ごうとして・・・その瞬間、視界が揺らぎ、不自由なカラダが宙を泳いで・・・。

だぁん、と。

その場で、両親の寝室の扉の正面で横倒しに倒れてしまったんです。
静寂を破る音は恐ろしいほどの威力を秘めていました。

「ンァァッ」

悲鳴さえ喉の奥につっかえて、肌蹴ていたパジャマが完全に捲れて顔の上にかかってしまって。
あっという間にうなじから冷水を注ぎ込まれたかのような恐慌が裸身をわななかせ、パニックに陥った私のカラダは筋肉にメチャクチャな指令を出して、手も足も自縛の下でギリギリと引き攣ったまま、まったく動かせなくなってしまい・・・。
為す術もない無防備な緊縛姿で、私は扉の真正面に張り付けられてしまったんです。
横倒しの裸身は隅々まで緊張に張り詰め、起き上がろうとしてもまた腰から倒れこんでしまいます。
必死になって全身をミチミチと縄鳴りで軋ませ、縛り上げられた手首で懸命に床を押して立ち上がろうとしかけて・・・。
私は、今度こそ、硬直していました。

ひた・・・ひた・・・。

寝室の向こうから近づいてくるスリッパの足音。
それは紛れもなく、もっとも恐れていた父の足音なのです。
奇妙な音を確認するために父が扉を開けてしまう・・・。
もはや息さえ止めた私は、何一つ物音を立てることさえ許されない限界の状況でした。
体育座りの両手両足を厳しく縛り合わされ、下半身にやましいマゾの熱を帯び、丸出しの胸を桜色に染めて乳首を尖らせている、こんな妖しい姿で。

絶体絶命でした。
こんこんと湧き上がる破滅への恐怖。
私の顔はきっと滑稽なほど怯え、おののいていたと思います。
今までずっとひた隠しにしてきたのに・・・1分も経たないうちにパパにもママにも私がマゾの変態だって知られちゃう。
どうして、こんなことに・・・。
容赦なくガチャリとドアが開きました。

「・・・?」

(!!!)

半分乗り出す父の体が見えた瞬間、私はイッてしまったんです。
あまりにも異様で、恐ろしいほど甘美に突き上げる未知の昂ぶり。
高揚感と浮遊感に息が続かず、視野が眩んでしまうほど。
初めての絶頂は、瞬間的に私をドロドロに濡らし、そして・・・。

「ふぁ・・・」

押し開いたドアの影になった私に父は気づかず、ドアを閉じたんです。
ギリギリで回避されたニアミスに、それでも追いつかないほどの快感が神経を震わせ、私はビクンビクンと床でのたうっていました。

この時・・・本当にようやく私にはわかったんです。
いつももどかしい思いをして自分を自縛して、一体何を求めていたのか。
カラダだって未熟な子供なのに、何に感じきってしまっていたのか。
私は、縄抜けの快感を楽しんでいたわけではなかったんです。
本当に私が求め、心から怖れ、願っていたものは・・・。
・・・絶望の瞬間、だと。

縛られた状況から脱出するその解放感よりも、縛られてしまって、いつ見つかるかわからない焦りのほうがずっと気持ちよくて、そしてそれ以上に・・・縛られ、逃れようのない姿を誰かに知られてしまうことが、その耐えがたい羞恥とおののきこそ、何よりも気持ちいい悦楽だったのだということを。

マジシャンのように縄抜けをしてみたい。
縛られた不自由なカラダで藻掻いてみたい。

そんな事を思うようになったのは、いつか奴隷に堕とされ、惨めに苛め抜かれる、そんな被虐的な幻想が心の底に潜んでいたからだったんです。

あの晩、さらに30分以上も私は寝室の前から動けず、ようやくトイレに辿り着いて自縛から解放された時には、ねっとりとショーツを濡らす愛液も冷えきっていました。
初めての絶頂、初めての濡れた経験、初めてのマゾの愉悦・・・。
すべてを知った私が引き返すことは、もう出来なかったんです。

以降、私の自縛はさらに洗練され、際どいながらも決して見つからないよう巧妙なプレイへと変わっていきました。
その頃にはSM雑誌の存在も知るようになり、自分がマゾだということ、そして普通のSMとは違う趣味だということを知るようになりました。