なんとも恐ろしい・・・。
しかしやはり智美さんは俺の女神様である。
「智美はしばらく待ってたんだけどね。あんまり起きないから観念して帰っちゃったのよ」
もう少し早く目覚めたかった。
(明日は智美さんに謝ろう・・・)
そう思った。
「どうしよ、二人きりね・・・」
東条さんが怪しく笑って言った。
どう考えても・・・誘っていた・・・。
すると、いきなり俺を押し倒すように抱きついてきた。
「ちょっと!勘弁してくださいよ!東条さん!」
俺が喚いても東条さんは離れようとはしない。
「私の旦那、もうずっと家に帰って来てないのよ・・・。どうせ今だって、どっかのホテルで私より若い女とお楽しみ中よ、きっと」
俺は抵抗の手が止まった・・・。
「別にさ、悲しいとか全くないのよ。だって結婚した時から愛情ゼロだもん。だから今になって気付いちゃったのよね・・・お金で結婚なんかしたら絶対最後は馬鹿を見るって・・・」
東条さんは少し寂しそうな顔をした。
「東条さん・・・俺みたいなガキがこんな生意気なこと言っていいのか分からないですけど、旦那さんと別れたほうがいいと思います・・・。東条さん綺麗だし、きっと他にもっといい人が見つかりますよ」
「あらぁ~若いクセにマジなこと言うじゃない・・・でもね、この年になると色んなことを考えちゃって、潔く物事を片付けられなくなっちゃうの・・・。でも・・・ありがとうね」
やはり東条さんは大人だなと思った。
彼氏彼女の間柄とはワケが違う。
簡単に「別れる」などという言葉を口にした自分を恥じた。
「でもね、最近好きな人ができたのよ~。今、私に抱かれてる・・・◯◯君!」
そう言って再び東条さんは俺を抱き締めてきた。
「ねぇ・・・私としよ?なんでもしてあげるわよ・・・」
また気を失いそうになった。
東条さんは俺の頬に軽いキスをした後、次は激しく唇にキスをしてきた。
舌で無理やりに口をこじ開けられ、息が止まりそうになった。
東条さんの髪の匂いが俺の鼻をくすぐり、クラクラした。
やがて東条さんはいやらしく笑いながら口を離した。
「キスするの、初めてじゃないわね?」
俺は目を逸らしながら無言で頷いた。
「セックスは?」
「高校の時に・・・でも一人しか・・・」
まるで尋問されてるような気分だった。
「あぁん・・・初めてじゃなかったんだ・・・。ちょっと残念・・・」
もう俺は何も言えなかった・・・。
酒を飲まされた時より顔と身体が熱くなっていた。
やがて東条さんは俺の股間にも手を伸ばし、ジーンズの上から俺のモノを刺激し始めた。
そんな日に限って、しばらくヌイてない時だったため、すぐに勃起してしまった。
「フフフ・・・やっぱ若い子はいいね・・・」
そう言ってベルトに手をかけた。
「もう智美は諦めなさい。私なら気持ちがはっきりしてるじゃない。別に苦労しなくても君の物になるのよ?」
さすがは東条さん・・・俺が智美さんに好意を抱いていることなどお見通しだった。
「なんで俺の気持ちを知ってるのに、こんな事するんですか・・・?」
「単純なことよ。◯◯君のことが欲しいから。私は智美みたいにお人好しじゃないもん」
確かに、俺は別に智美さんに気持ちを伝えたわけでもなく、俺を男として見てくれている保証もない。
しかし、このまま東条さんを抱いてしまったら、俺の気持ちは全て無駄になる・・・。
智美さんの存在がなければ、東条さんのような綺麗な人に迫られれば不倫にはなってしまうが、迷う余地なく本能に任せるだろう。
俺も男だ。
しかし、その時の俺には智美さんがいた。
智美さんしか見ていなかった。
心の中で智美さんの優しい笑顔が浮かんだ。
俺は身体を起こし、東条さんの身体を離した。
「東条さん・・・俺は東条さんのこと好きです。面白いし綺麗だし、ちょっと強引ですけど優しいですし・・・。なんか本当のお姉さんみたいで・・・。でも俺はやっぱり、智美さんを諦めて東条さんを抱くことなんてできません」
俺は東条さんの目をジッと見つめて言った。
すると東条さんはニッコリ笑った。
「やっぱりね・・・そういう一途なことがあるから我慢できなくなるんじゃない・・・」
東条さんは呆れたように言った。
「本当はね、誘いに乗るか試してたってのもあるの。でも、作戦失敗って感じね。せっかく智美から横取りしてやろうと思ったのに」
「すみません・・・」
「ううん、いいの。やっぱ君は私が思ってた通りの男だったわ。好きな相手以外の女に誘われても惑わされないかぁ・・・。もっと好きになりそう・・・」
いつもの東条さんの調子に戻っていた。
俺は少し安心した。
「でもね、◯◯君は知らないことがあるの。智美のことでね」
東条さんが俺に釘を刺すように言った。
「なんですか・・・?」
「それは私が言うべきことじゃない。智美自身から聞くか、君自身が知らないといけない事よ」
俺はただ頷いた。
「別に脅かすわけじゃないけど、覚悟だけはしておきなさいね・・・」
その言葉の意味がどれだけ重いものなのか、その時の俺はまだ知る由もなかった・・・。
「じゃあ俺・・・そろそろ帰ります」
俺は上着を着て、立ち上がろうとした。
「ちょっと、ここがどこかわかってんの?歩いたら君の家まで一時間半はかかるわよ。今夜はウチに泊まっていきなさい。明日の朝、車で送るから」
確かに歩いて帰るにはキツい距離だったので、とりあえずその夜は東条さんのお宅に泊まらせてもらうことにした。
俺は毛布だけを借りてソファーで寝させて欲しいと言った。
「ダメよ!風邪引いたらどうするの!店休まないといけなくなるわよ!?ほら、寝室行くわよ」
東条さんは俺の手を引っ張り、強引に寝室へと俺を連れ出した。
「予備の布団なんてないから、ここに寝てくれる?」
「すみません・・・。じゃあ失礼します・・・」
俺は申し訳ない気持ちでベッドに入った。
しかし、ふと気付いた。
「東条さんの寝るとこがないじゃないですか!やっぱ俺ソファーでいいです」
俺が起きようとすると東条さんがのしかかってきた。
「ねぇ一緒に寝るくらい、かまわないでしょ・・・?」
これが東条さんの必殺技なのか、すごく淋しがりな目をして俺を見た。
「はい・・・」
俺はそれ以上食い下がることはせず、ただ黙ってベッドに入った。
俺はいつ東条さんがベッドに入ってくるのかドキドキしながら、背を向けて横になっていた。
すると、部屋の隅でなにやらゴソゴソとやり始めた。
恐る恐る振り向くと、そこには下着姿の東条さんが!
俺は慌てて向き直った。
それに東条さんも気がついたのか・・・。
「見たいの?別に見ていいのよ~。なんなら生で見せてあげようか?」
「いや・・・あの、早く服を着てください・・・」
そのようなジョークに乗れるほど、俺は大人ではなかった。
いや、もしかしたらジョークじゃなかったかもしれない。
ようやくパジャマに着替えた東条さんがベッドに入ってきた。
俺はただ無言で、背を向けながら身体を強張らせていた。
すると東条さんは後ろから俺にしがみついてきた。
「温かい・・・」
しかし、それ以上は何もしてこなかった。
だから俺も抵抗しなかった。
少し落ち着きを始め、少し眠気がやってきた時、東条さんが俺の耳元に口を寄せた。
「智美にフラれたら私としようね。いつでも取り入る隙を狙ってるから覚悟してね」
「ちょっと・・・もう勘弁してくださいよぉ・・・」
東条さんはクスクスと笑って俺を抱く手に力を込め、二人とも眠りに落ちた。
次の日の朝・・・。
目が覚めると横に東条さんはいなかった。
俺はのっそりと起き出し、リビングの方に向かった。
するとエプロン姿の東条さんが朝食を作ってくれていた。
「お寝坊さん。なかなか起きてこないから起こしに行こうかと思ってたのよ。ほら、早く食べなさいね」
俺は昨夜のドンチャン騒ぎが嘘のように綺麗に片付けられたリビングに座り、朝食を食べ始めた。
やはり・・・朝から暴力的な美味さだった。
別に高級なものが皿に乗ってるわけじゃない・・・ただの玉子焼なのに、なんとも美味しかった。
智美さんにも朝食を作ってもらったことはなかったので、俺は朝から幸せな気分になった。
もしも東条さんのような姉がいたら、俺の中学や高校時代はもっと潤ったものになっていたかもしれない・・・。
「ごちそうさまでした!すごい美味しかったです」
「よかったわ。ホント気持ちいいくらい綺麗に食べてくれて・・・作り甲斐があるわね~」
そう言って東条さんは嬉しそうに笑った。
「誰かに朝ご飯作るなんて久しぶりだったな・・・。やっぱいいもんね・・・。でも、あのジジイが帰って来ても朝食なんて作ってやんないけどね!」
俺は苦笑いするしかなかった・・・。
「じゃあ俺、そろそろ支度します」
俺は食器をキッチンの方に運ぼうと立ち上がった。
「ねぇ・・・今日は店が定休日でしょ?用事ないんだったらお昼ぐらいまでウチでゆっくりしていきなさいよ~・・・ダメ?」
また東条さんが俺に甘い誘惑をしてきた。
しかし、今そんなものに乗ってる場合じゃない。
「いや、もうこれ以上長居しちゃ悪いです。せっかくですけど帰ります」
俺がそう言うと東条さんはしぶしぶ了解してくれたようだった。
それから俺は東条さんの車に乗せられ、何事もなく自宅まで送ってもらった。
次の日、俺はいつものように店へ仕事に出掛けた。
学校は・・・もうかなり休みが続いている。
いつも智美さんに「学校は大丈夫なの?」と言われているが、はぐらかしている。
本当は全く大丈夫ではない。
親に知られたらシバき倒されそうだったが、あえて考えないことにしていた。
「おはようございます!」
俺が店のドアを開けると、いつものようにすでに智美さんが準備をしていた。
「おはよう。一昨日は大変だったね」
いつもの智美さんの笑顔がそこにはあった。
やはり俺には智美さんしかいないと思った。
「私が車で連れてったから帰りも送ってあげなきゃって思ってたんだけど、あんまり起きなかったから・・・。ごめんなさいね」
「いや、全然いいですよ。俺が長時間ダウンしすぎたせいなんで」
「ふふっ。スースー寝息立ててたもんね。え、じゃあ帰りはどうしたの?」
「なんとか帰ろうかと思ったんですけど・・・東条さんが朝になったら送ってくれるって言うんで・・・」
「えっ・・・じゃあ泊まったの?」
智美さんがいきなり軽食の仕込みの手を止めて俺を見た。
「はい。もう時間も遅かったんで」
その瞬間、智美さんの顔色が一瞬にして変わったのに俺は気付いてしまった。
「そうなの・・・」
智美さんはそう言って何も話さなくなってしまった。
馬鹿な俺は、(まさか・・・やきもち!?)などと思ったが、そんな感じではなかった。
ただ、「そうなの・・・」という一言に、何か釈然としない感情が含まれていたことだけを強く感じていた。
その日は、お互いの間に何か微妙な空気が流れていた。
俺は戸惑いの中、黙々とその日の仕事を終えた。
次の日、俺は今だスッキリしない気持ちのまま店での仕事に勤しんでいた。
智美さんの様子は特に変わったことはなかった。
しかし何かが変だった。
俺が意識しすぎていただけだったのかもしれないが、いつもの笑顔がどこか嘘っぽく見えた。
夕方になり、フラリと東条さんと宮岸さんがやって来た。
俺はすぐ席に駆け寄り、「この前はごちそうさまでした」と、東条さんにお礼を言った。
東条さんはいつもの色っぽい笑顔で、「何かしこまってるの?君は私の料理を食べたんだから、もう他人じゃないのよ?」と冗談を言った。
すると智美さんが奥からコーヒーを持ってやって来た。
テーブルにコーヒーを置き、なぜか店のドアの札を『準備中』にした。
そして再び戻ってきた。
「◯◯(東条さん)、ちょっとアンタに言っておきたいことがあるの。いい?」
智美さんは見たこともないような冷たい顔をしていた。
「ちょっと・・・何よ?」
東条さんも、智美さんのただならぬ雰囲気を感じとったのか、かなり動揺しているようだった。
「この前、一緒に食事した時のことだけど、どうして◯◯君を帰してくれなかったの?」
やはり恐れていた事態だった・・・。
しかし、智美さんがいちいち気にすることでもないような気がする。
「いや、帰してって・・・。別に時間遅かったから朝まで居てもらっただけじゃない」
「どうして?アンタ車乗れるんだし、彼が起きてから送ってあげたらよかったんじゃないの?」
「ちょっと・・・智美なに言ってんの?別にアンタがああだこうだ言うことじゃないでしょ?」
「あのね、アンタにはわからないかもしれないけど、私は◯◯君を雇ってる限り、責任があるのよ!ましてやこの子は未成年なのよ?」
智美さんは明らかに怒っていた。
「何よ、それ。アンタ、◯◯君の保護者にでもなったつもり?」
「そうね。そう思ってくれてもいいわ」
「ふざけたこと言ってんじゃないわよ!この子は別にアンタの物でもなんでもないのよ?何お姉ちゃんみたいな気分になってんの?馬鹿みたい!」
「◯◯!あなたそれでも大人なの?呆れた・・・そんなこと言うなんて」
「アンタに言われたくないわよ!男とのいざこざ一つ解決できないくせして!」
東条さんのその一言で智美さんが固まった。
「ちょっと・・・それは関係ないでしょ・・・」
先程まで意気込んでいた智美さんが一瞬にして動揺し始めた。
「ふふっ、何うろたえてんの?なんなら◯◯君に話してあげようか?実はアンタが一番ガキっぽい悩みを抱えてるってこと」
「ちょっと・・・やめなさいよ・・・。今その事は関係ないでしょ・・・」
智美さんの身体が小刻みに震えていた。
その瞬間、ずっと黙って座っていた宮岸さんがいきなり立ち上がった。
「二人ともいい加減にしなさい!!◯◯君がいる前でよくこんな事できるわね!!アンタ達二人ともがガキよ!二人してギャーギャー喚き散らして!」
宮岸さんは二人にも勝るぐらいの怒声を吐き、東条さんと智美さんを一瞬にして黙らせた。
「◯◯君、行こう。こんな馬鹿二人の話なんて聞かなくていいわ!」
そう言って宮岸さんは俺の手を強引に引っ張り、俺は引きずられるように店を出た。
宮岸さんは俺に車に乗るよう言い、俺は窓から店の中を気にしつつ宮岸さんの車に乗り込んだ。
宮岸さんはすごい怒気を含んだ表情で、あてもなく車を走らせた。
俺はただ隣で言葉を発することなく、状況の整理に追われていた・・・。
<続く>