子供の頃、ある団地に住んでいた私には同じ年の友達がいました。
私は、その友達のお母さんを視姦の対象としておりました。

その友達一家とは、幼稚園の頃から家族ぐるみでお付き合いしておりました。
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その友達とは毎日のように遊ぶ関係が小学校に入ってからも継続しておりました。
当時は彼女のことを「◯◯さんのおばさん」と呼んでおりましたが、ここではT子さんと書く事とします。

それまでは私にとってT子さんは、ただのおばさんでした。
おばさんと言っても、デブデブなんかではなく、水泳とヨガとジョギングを趣味にしていたT子さんはしっかり引き締まった体つきをしていました。
他のおばさんたちより頭半分ほど背が高く、その点では目立つ存在でした。
取り立てて美人ではありませんが、おおらかな性格で、いつも優しく、ニコニコしている人でした。

T子さんが私とってただのおばさんで無くなったのは、忘れもしない小学5年生の夏休みのある日でした。
その時、T子さんは28歳だった筈です。
団地の広場で野球をしていたところ、土砂降りの雨に見舞われた私は、友達と別れ、自宅の棟のエレベーターホールに駆け込みました。
エレベーターを待っていると、「ひゃ~!!」と言いながら、ずぶ濡れになったT子さんが駆け込んできました。
髪の毛からポタポタと雨粒を滴らせながら、私に気付いたT子さんは、「ああ、◯◯ちゃん。すごい雨だね~」と声を掛けてきました。

「あ、こんにちは!」と返事をしながら、ふとT子さんを見た時、衝撃が走りました。

T子さんの着る、薄手の無地の白いTシャツは雨に透けきり、肌に密着していました。
そしてなんと、その時T子さんはノーブラで、小振りな乳房とその頂点にそそり立つぶっとい乳首が完全に透けて見えていたのです。

(うわ、おばさんのおっぱい丸見えだぁ)

私の目はT子さんのおっぱいに釘付けとなりました。
今から40年も前です。
当時の子供にとって、大人の女性の胸を見る機会など、せいぜい道端に落ちているエロ本のグラビア程度なものです。
ましてや、生でそんなものを見ることなど皆無でした。
その瞬間から私にとってT子さんは、ただのおばさんではなくなり、エロティックな目線で、いわゆる『視姦』をする対象と成り下がったのです。

近所のスーパーの袋を両手に持って走ってきたため、息遣いの荒いT子さんのおっぱいや乳首は、その呼吸と鼓動に併せてゆっくりと、そしてプルプルと艶かしく蠢いておりました。
同じエレベーターの箱に収まり、何事か会話をしつつ、私の両目はT子さんの透け乳首をチラチラと盗み見しておりました。
T子さんの乳首は、私の親指の第一関節ほどの大きさがあり、ツンと硬くなっているように見えました。
その先端から水滴がポトリと落ちた瞬間を、今でもはっきりと憶えております。

私のオチンチンはパンパンになっており、帰宅するとシャワーを浴びる間もなく、書棚のアルバムを片端から捲りました。
T子さん一家と我が家は何度も一緒にハイキングや海水浴に行っており、T子さんの写真も数多くその中に収蔵されているからです。

改めてその写真を確認してみると、T子さんはほとんど常時ノーブラでいる事が判りました。
山での写真、近所の河原で行ったバーベキューでの写真、日常でのスナップ写真。
そのことごとくに写ったT子さんは、ほぼ必ず、その胸の微かな膨らみに、ポッチリと乳首が浮き上がらせておりました。

特に凄まじかったのは1年前の夏に海水浴に行った時の写真でした。
競泳用の水着を身につけたT子さんの姿が多数あり、乳首は完璧に浮き立ち、それどころか股間にはくっきりと縦の一本線が深々と刻まれていると言う、どうにも悩ましいいでたちの写真が何枚もありました。
にこやかにピースサインを作る友人の横に、その母親が乳首をくっきりと浮立たせ、その股間は水着をしっかりと咥え込んだ割れ目を晒しながら、やはりにこやかに目線を送っている。
めくるめくような背徳感です。
自慰行為を覚えたての私は、その写真の数々を見つつ、つい先ほど目の当たりにしたT子さんの乳首を鮮烈に思い浮かべながら、サルのように励みました。

それからと言うもの、友人宅に行く私の目的は、もはや彼と遊ぶことではなく、ひと時でも長くT子さんを視姦する事に切り替わりました。
子供の前のT子さんは無防備極まりなく、私がドロドロとしたいやらしい視線を送っているとは露とも知らず、いつもの通りにノーブラで、突き出た乳首を晒すのみならず、スカート姿で三角座りをしてパンティーをじっくり拝ませてくれたり、ジュースを出してくれる時に前屈みになり、カパッと開いたシャツの胸元から生のデカ乳首を見せてくれたり。
初めてT子さんのぷっくらとした生乳首を目撃した時には、そのいやらしくも生々しいこげ茶色に大興奮したものです。

T子さんは常に私の期待に応えて、乳首やパンティーを見せてくれたものです。
しかし、やはり全裸を見る機会など全くない。
私は悶々としておりました。

(T子さんの全裸を見たい!!)

私のその切ない願いは、意外とあっさりと叶えられました。
小学5年の冬休みに、T子さん一家と共に某温泉に行った時の事でした。
その時のT子さんも相変わらずノーブラで、厚手のセーター越しにもデカ乳首を浮かび上がらせておりました。
パンツルックだったT子さんですが、屈んだ後ろ姿は、布が弾けるのではと思うほど尻がパンパンで、くっきりとパンティーのラインを刻んでおりました。

さて夜も更け、友人は寝てしまい、両親やT子さん夫妻は隣の部屋で飲んでいます。
温泉好きの私は、寝付けなかった事もあり、一人で湯船に浸かりに行きました。
大浴場には誰もおらず、悠々と広い湯船を独占して楽しんでいると、風呂場の戸がガラリと開き、あろうことか一糸纏わぬ生まれたままの姿で、T子さんがそそと入って来ました。
予想外の出来事に、「あ・・・」と絶句した私でしたが、大浴場は深夜は混浴になると宿の人が言っていたのを思い出しました。

T子さんは、「あ、◯◯ちゃん」とにっこり微笑みました。

恋焦がれた、何度も妄想しては自分で果てた、T子さんの素っ裸がいきなり出てきて私はドギマギ。
T子さんの体は脂肪で澱んだところがなく、小さな乳と焦茶のデカ乳首が、歩く度、ぷるんぷるんとエロティックに蠢きます。

それよりビックリしたのが、T子さんの股は陰毛が綺麗に剃りあげられ、いわゆるパイパンだった事です。
『水泳をやる人は体毛を剃る』と聞いた事があったので、T子さんもそうなのかと思いつつ、幼女のようにツンツルのT子さんの股間と、そこに刻まれ、生で晒されたくっきりとしたクレパスに見入ってしまいました。
T子さんはほろ酔いらしく、身体全体が桜色に染まっておりました。

その後30分ほどは夢の時間でした。
目の前に、妄想の中で何度も何度も服を脱がせてきたT子さんの本物の全裸があり、おっぱい、お股の割れ目、お尻、へそ、脇、全てをじっくりじっくり目で犯せるのです。

T子さんにとっては、いつまでも私は“子供”なんでしょう。
全くの無防備で、私がいやらしい目で自分の肢体を舐め回しているとは思ってもいないようでした。
だからこそ、のぼせそうになると湯船の縁に腰掛けて、火照った身体をあますところなく晒してくれたりもしたのでしょう。
「おお、暑い・・・」と言いながら、膝を緩めて、割れ目の中まで見せてくれたT子さん。
白濁した温泉の湯に乗じて私は、目の前の全裸のT子さんをじゅっくりと見ながら、気づかれぬように自慰をし、ものの数秒で果てました。

それからも、何度もT子さん宅に行っては、胸のポチは、パンチラを視姦しました。
T子さんの所有するパンティー(白とベージュ、少数のパステルカラー青、ピンク等)の恐らくほとんどすべては目撃し、胸元からのデカ乳首視姦も日常茶飯事という日々を過ごしました。

そんな中、T子さんが最も他人に見られたくなく、ご主人にも見せた事がない場面を視姦する機会にも恵まれました。
それは、排便です。

当時住んでいた団地には集会所と称する建物があり、30畳ほどの板張りの多目的ルームと管理人室、団地の住人から寄せられた本を貸し出す棚、それにトイレがありました。
ある日の午後、学校帰りにその貸本棚を見に集会所に寄りました。
ちょうど何かの集会で来ていたT子さんを見かけたのですが、向こうは私に気づかずそのままトイレに入って行きます。
私は本棚を漁る手を止め、周囲に人がいないのを確かめると、急いで同じトイレに足音を忍ばせて入りました。
集会場は小さく、トイレは男女共同で、和式便器の個室が2つ並んでいるだけのものでした。

トイレに入ると個室のひとつは塞がっており、中からごそごそと衣擦れが聞こえます。
T子さんがスカートをたくしあげ、パンティーをずり下ろしている音です。
アドレナリンが放出した私は、そっと隣の個室に入り、音を立てぬようドアを閉じ、鍵をかけて、おもむろに床に這いつくばりました。

二つの個室を隔てる壁は、下に10cmほどの隙間があります。
トイレ盗撮への警戒が強い昨今では考えられぬ事ですが、当時は掃除の利便性を重視したためなのか、そのように隔壁下部の隙間が大きなトイレばかりだったように記憶しております。

ともあれ、それが奏功し、床に頬をつけると、目の前にT子さんの豊満な尻がありました。
乳首より濃い茶色に変色した肛門がひくひくと動いています。

“ぶしゃぁぁぁぁ・・・”

激しく音を立てて小水が迸ったかと思うと、肛門が盛り上がり、まるで噴火寸前の火山の様相を呈し、“むりむりむり・・・”という微かな音と共に、褐色の大便の頭が顔を出しました。

「ふ、う、うんッ・・・」

T子さんの切なげな吐息が響き、その声に股間が硬く反応した私が見守る中、ゆっくりとひり出されつつあったウンコは、いきなり“ブポッ”と音を立てて、“ドチャン”と便器の中に落ちました。
それは、直径5cm長さ30cmもあるような、極太巨大便でした。
どうやらその極太が栓をしていたらしく、そこから数分間に渡って、T子さんの肛門は閉じる事を忘れ、のべつ間もなく茶褐色の物体を噴出し続けました。
その間トイレには、“ビボポブブーッブリブリプゥゥゥブリィブリリリリ・・・”と排泄音が響き渡りました。
漂う臭気は本来なら耐えがたい悪臭のはずですが、その時の私にはそれすらT子さんの一部であると感じられ、胸いっぱい吸い込みこそすれ、不快な感情は一切ありませんでした。

私は必死になって股間をしごき、僅かな時間に何度か射精しました。
しかし余程宿便が溜まっていたのでしょう、その後も“ブリブリブリブリ”と排便を続けていたT子さんの肛門がやっと閉じる頃には、和式便器一杯にウンコが積み上げられておりました。
排便が終了するまで、私はまた数度射精しておりました。
私は、T子さんの絶対人に見られたくない姿態、それも清楚な母親の顔をしてあんなに大量の汚物を生産し排出したのを目撃しながら、何度も何度も放出した満足感にそそくさとトイレを出て、本棚に戻りました。

それから15分も経ってから、ようやくT子さんはトイレから出てきました。
途中、何度も水を流す音が聞こえていたので、あの大量便を流しきるのにそれだけの時間を要したのでしょう。
私に気付いたT子さんと挨拶を交わしましたが、さっきあんなに大量の汚物を生み出したとは思えない程、普段通りの表情でした。
その表情に、私の股間は再び硬くなりました。

さて、T子さんの全裸どころか、大量便の排泄まで目の当たりにし、彼女の全てを征服した気になり有頂天だった私でしたが、T子さんは私だけの視姦ペットではなかったのです。
ある日の学校帰りに、胸元が緩いシャツとやや短めのスカートを着たT子さんを見つけ、また焦茶でぶっとい乳首でも見せてもらおうと、後をつけて近所の商店街に入った私。

そこでT子さんは店々の男たちの視姦に晒されていたのです。

八百屋では、T子さんが来るや否や若い店員や店主までもが周りを取り囲み、浮き出た乳首を堪能する間もなく、「ほら、奥さん、この大根・・・」などと誘導して前屈みにさせ、開いた胸元に血走らせた視線を突き刺し、明らかにあのぶっとい焦茶乳首を視姦しまくっておりました。
それも3~4人同時に。
それだけならまだしも、その内一人はそそくさとT子さんの後ろに周り、そっとスカートの裾を摘み上げたかと思うと、その下に顔を差し入れ、堂々とパンティーを覗き込む始末。
いくら昼過ぎ時の他に客がいない時間とはいえ、やりすぎです。

おおらかで人の良いT子さんは、連中の邪心と行為に全く気づかず、言われるがまま、屈んだり、しゃがんだり。
ああ、しゃがんでる真ん前に八百屋の店主が!
明らかにT子さんのパンティーを凝視しています!
魚屋でも雑貨店でも同じで、商店街の男共は寄ってたかってT子さんを目で犯しまくっておりました。

途中、T子さんが本屋に立ち寄り、婦人雑誌を立ち読みし始めると、周囲にいた制服姿の男子中高生が4、5人寄って来て周りを囲むと、ポケットから出した小さな鏡を我先にとT子さんのスカートの下に差し入れます。
T子さんは、何人もの子供にパンティーを盗み見られているのです。
T子さんのパンティー鑑賞にあぶれた中高生の何人かは、息がかかるほどの至近距離でじっくりと胸ポチを見つめ続け、本を探すのにT子さんがちょっとでも屈むと、顔を直近まで近づけ、乳首を視姦しておりました。
これは明らかに待ち伏せで、大体この時間に彼女が本屋に来る事を知っての所業です。
その証拠に、T子さんが本屋を出た後、中学生達が・・・。

「今日も来たな、あのおばさん。今日は水色のパンティーだったな!じーくっり、見たぜ!!」
「俺は乳首見えた!あのおばさん、いっつもノーブラだから、見られても仕方ないよな!!」
「あー、あのおっぱい揉みてぇー!あの乳首吸いてぇー!」

・・・などと、ニヤニヤしなが話していたのです。

団地の草刈の日などは、はりきって参加したT子さんの周りは常におじさん達の姿が絶えず、入れ替わり立ち替りに乳首やパンティーを視姦していました。
なにせT子さんは薄手のワンピースといういでたちで、屈むと乳首が見え、しゃがむとパンティーが見えるという状態だったので無理もありません。

挙句の果てに、高い枝を切ると言う大義名分で脚立の上に昇らされたT子さんは、真下から何人ものおじさん達にパンティーを覗かれておりました。
(私もその中に混じりましたが。真っ白な木綿のパンティーでした)

こうしてT子さんは毎日毎日、商店街や団地住人のオヤジや中高生に、乳首やパンティーを見捲くられていたのです。
よく考えれば、それはそうです。
やや背が高く、身体は引き締まった人妻が毎日ノーブラで歩いていたら、男の目を惹くのは当たり前でしょう・・・。

『子ども会』の役員をやっていたT子さん。
その子ども会のイベントでは、子ども達の視姦に晒されるどころか、半ば本当に犯される寸前の状況に追い込まれておりました。
私が6年生の夏休みに、学校のプールを借りて低学年の子ども達向けにスイミングスクールを開く企画があり、我々高学年の子も手伝いに駆り出されました。

コーチの一人にはT子さんがおり、私はT子さんのグループをサポートをしました。
競泳水着に身を包んだT子さんは、やはり乳首を突出させ、股間に縦溝を食い込ませていたものですから、高学年の子を中心に子ども達の目を釘付けにしておりました。
特に水から上がったばかりのT子さんは、水着が赤く透けやすかったのでほとんど全裸状態。
プールにいた男子のほぼ全員がそんなT子さんを見て、小さな股間を硬くしておりました。

そんな状態の中で、自由時間にプール内で押しくら饅頭を始めたものですから、男子はT子さんに殺到。
四方八方から小さな手が伸び、乳房は揉みまくられ、乳首はいくつもの手でしごかれ摘まれ、割れ目には何十本の指が擦り込まれ、尻肉は同じく揉みしだかれ・・・という状況でした。

「やだぁ、エッチ!!みんなどこ触ってるのよー!」などと、T子さんは呑気な嬌声をあげておりましたが、子供たちは真剣そのもの。

我先にとT子さんの身体に襲いかかっております。
かく言う私もT子さんの真後ろにピッタリと寄り添い、むっちりとした尻の割れ目に強く股間を宛てがい、激しく上下動しながらおっぱいを揉みまくり、乳首をこねくりまわしました。
乳首は子ども達に散々弄ばれたせいかコリコリに勃起しており、直径2cm長さ4cmほどまで巨大化しておりました。
私はT子さんの尻で射精をした後、調子に乗って前に回って水中に潜り、T子さんの割れ目に水着の上から舌を這わせ、乳首と同じく勃起して巨大化した陰核を舌で転がし突き回し、さらに大きくなった乳首をこれまた水着の上から吸いまくりました。

(いつか、T子さんとセックスしたい!)

思春期が近づくにつれ、私の中にそんな想いが募ってくるのは当然でした。
そしてその機会が訪れたのは、もうすぐ小学校を卒業するという時期でした。

週末のその夜、T子さん宅でうちの両親を交えた近所の人たちの飲み会がありました。
友人と私は、私の家で遊んでおりました。
夜も更ける頃、遊び疲れた友人はすやすやと寝入ってしまいました。
私はそのまま本を読んだりしていたのですが、玄関が開閉する音がし、私の部屋に酔っ払ったT子さんが入ってきました。
T子さんは寝ている我が子を見て・・・。

「あら、寝ちゃったのね、この子。おばさんもここで寝ていい?まだみんな飲んでるんだけど、おばさん、お酒弱くて・・・もう寝たいのよ・・・」

ドキドキしながらも私は、「じゃ、じゃあ、もうひとつお布団敷くよ」と言って、押入れから布団を出しました。
友人を真ん中に3人で川の字になり、電気を消すと程なくT子さんの寝息が聞こえてきました。

(このチャンスを逃せない!)

私はおもむろに布団から出て、T子さんににじり寄りました。
部屋の暖房は強くしてあります。
これなら裸にしても寒くて起きる事はありません。
案の定、T子さんは布団を肌蹴ております。
厚手のスウェットの上下を着たT子さんでしたが、上がやや捲れて、おへそを出しております。
豆電球の下、それを見た私の理性は完全に消し飛びました。

そっとスウェットの上をたくしあげ、T子さんの上半身を露出させました。
小さな乳房はほとんどまっ平らになっており、大きな乳首がちょこんと乗っかっています。
私は無我夢中でおっぱいにむしゃぶりつき、乳首をチュウチュウと吸い上げました。
同時に片手はおっぱいを揉みほぐし、もう片手はスウェットの下に差し入れて、割れ目をなぞりました。
T子さんは熟睡しており、全く反応しません。

チラと横目で友人を見て、(ごめん、これからお前のお母さんに、いっぱいいやらしい事する。許してな・・・)と、心の中で謝りました。

それからスウェットの下をパンティーと一緒にずり下げて脱がしてしまい、T子さんのむっちりとした太ももを大きく広げて、割れ目を指で押し広げて、初めて見るT子さんの大事な部分に口を当て、舌で掻き回しました。
そこはやがてトロトロと濡れてきて、私は陰核といい、蜜壷といい、肛門といい、手当たり次第に舐め回しました。
顔を上げると、いつしかT子さんは呼吸を乱しており、私は這いずり上がると、T子さんのぽってりとした唇を塞ぎました。
口の中に舌を入れながらも、コリコリと尖ってきた乳首をこねくり、割れ目を掻き回すのを忘れませんでした。

堪らなくなった私は、硬くなりきったモノを、生まれて初めて、女性に挿入しました。
中は熱く、柔らかく、ものの数秒で達しそうになった私が慌てて引っこ抜いた途端に、勢い良く迸らせてしまい、T子さんのお腹からおっぱいにかけてぶちまけてしまいました。

それから私は、たぶん数時間に渡ってT子さんを犯し続けました。
何度も何度も。
中にだけは出しませんでしたが、その代わりに、T子さんは私の精子でドロドロになってしまいました。
ようやく疲れて眠くなった私は、トイレットペーパーでT子さんを綺麗に拭きあげて、スウェットを元通りに整えました。
その時、T子さんが目を閉じたままつぶやきました。

「気持ちよかった?初めてがおばさんで良かったの?」

私が言葉を失っていると、またT子さんは囁きました。

「前から、◯◯ちゃんがおばさんの事をエッチな目で見てるのに気づいてたのよ・・・。いっつも、おばさんの胸とかスカートの中とか見てたでしょ?いつかこんな事をされるんじゃないかって思ってたけど、まさか、この子の横でなんて・・・。でも、おばさんも気持ちよかったよ。また今度、好きな事させてあげるね。おやすみ・・・」

それはまるで寝言のようで、「おやすみなさい・・・」としか返せない私でした。

それから、何度もT子さんはさせてくれました。
中学に入って友人が部活で居ない時に。
T子さんとセックスするため、私は部活に入らなかったほどでした。

T子さんは私のリクエストに良く応じてくれて、競泳水着を着たままさせてくれたり、入学式で着たフォーマルスーツを着て、綺麗にお化粧した状態でさせてくれたり。
ある時は、夜中の学校に忍び込み、息子の机に全裸で座らせたり。
子ども達が大勢遊ぶ公園でロングスカートでしゃがませて、衆目の中で人知れずにウンコさせたり。
最高のおもちゃでした。

私だけでなく地域全体の共有視姦対象だったT子さん。
そして私のおもちゃになってくれたT子さん。
その後、父の転勤でその団地を離れた私は、それきりT子さんと一度も会っておりませんが、今でも深く心に残っているのです。