家に帰り寝室で着物と長襦袢を脱いだ母は、腰巻一つの裸体を姿見に映して見ました。

胸と二の腕には、夕べ佐藤からつけられた縄目の痕が痣となって幾筋もくっきりと残っています。
ここ何日も母の身体には、縄目の痕が途絶えた事はありませんでした。
PCMAX
腰巻の紐を解きはらりと脱ぎ捨てると、陰毛に覆われた丘とその脇の太ももにくっきりと付いた縄目の痕が、佐藤の縛りの厳しさを物語るかの様に内出血しています。
身体を半身に回してお尻を映して見ましたが、さすがに鞭打ちの痕は残っていなくて白く丸いお尻が息づいております。

ここ2ヶ月ほど佐藤に抱かれただけで、母は自分の身体がとてもいやらしく変ってしまった様な気になるのでした。
お尻も佐藤に鞭打ちされる度に大きく成って来るようですし乳房も佐藤に強く揉まれた為に一回り豊かになりその上乳首はいつも勃起した状態で息づいているのです。
何より気がかりなのは、女唇の事でした。
初めて佐藤の太い男根を向かい入れた時は、あまりの太さに処女を喪失した時の様な痛みを感じましたし、中で出し入れされる時は、熱い杭を打ち込まれている様な感じがして、セックスが終わった後もいつまでも女唇の中に佐藤がいるような感じがしました。
なのに今では、難なくぬるりと迎え入れることが出来て佐藤の太い男根の形通りに女唇の中が変わってしまって、佐藤の男根の通り道沿いにアクメのポイントが作られたような気さえするのでした。

「お盆にお父さんに抱かれた時に私の体が変わった事に気付かれたらどうしましょう?きっとオマンチョだって緩くなったって思われちゃうわ。それより、お父さんのチンボで感じられなかったらどうしましょ?ああ、『旦那様』はひどいわ・・・私をこんな身体にするなんて・・・お盆にお父さんに会うのが怖いわ・・・」

つい昨日まで『お盆に帰ってくる父とセックスをすればもう二度と佐藤と間違いを犯さなくてもやっていける』と思っていたのに、浅はかで単純で物事に流されやすい母は、一晩佐藤と枕を共にしただけでもう今日は『出来る事ならお盆にお父さんに抱かれたくない。10月の出稼ぎが終わるまでは、今のまま佐藤の女でいたい』と思うのでした。

そんな時、夕べ佐藤が寝物語に言った言葉が気になるのでした。

佐藤は母の身体を愛撫しながら「幸子、来月会った時には、お前を『パイパン』にして可愛がってやろう」と言いながら母のビーナスの丘をなで上げるのでした。
佐藤は母の陰毛を剃ると言うのです。

「『パイパン』?・・・いやっ駄目です。『旦那様』そんな事をしたらお父さんに知られてしまいます。お盆にはお父さんが帰ってくるんですもの」

母がびっくりして佐藤を見つめると「ふふふ・・・帰って来れたらな」と佐藤はいやらしく笑ったのでした。
計略高い佐藤は、母を自分のものにする為に、もう次の手を打っていたのです。

7月の20日過ぎに毎月一回来る父からの手紙が届きました。
その内容は、父が仕事の都合でお盆には帰郷出来ないと言うものでした。

父は6月の手紙で自分が班長になったと言ってきました。
父はもともと器用な人で、機械にも強く暇もありましたので良く地元の友達のいろいろな仕事を手伝うこともあったのです。
そんな経験豊富な父は、重機は動かせるし、測量も出来るし、図面も読める上に人当たりが良くて面倒見も良いので、3ヶ月もすると仕事仲間から頼りにされるようになり、仕事を指示してみんなをまとめる役に自然となっていったのでした。
そんな父を佐藤は班長に任命し、現場監督のような仕事をさせていたのでした。

8月のお盆については、毎年出稼ぎ人のほとんどが一時帰郷するのですが、そうは言っても仕事を止める訳にも行きません。
平時の三分の一以下の人間でいつもの年は社長の佐藤が中心となって乗り越えておりました。

しかし今年は、佐藤が「どうしても外せない用事が出来たので悪いんだが、班長の『よっちゃん』に残ってもらって仕事の面倒を見て貰えないだろうか?」と頭を下げるのでした。
人の善い父は、快く引き受けたのですが、佐藤の言う『どうしても外せない用事』とは、勿論『自分の妻を佐藤の女奴隷に調教する事』だとは、さすがの父も気が付かないのでした。

父から「お盆に帰れない」と言う手紙を貰えば、大抵の者は佐藤が裏で手を回したと気付くはずですが、浅はかで単純な母は、当面、父に佐藤との浮気がばれる心配が無くなったと安堵し「これで10月末にお父さんが戻るまで『佐藤の女』でいられると」喜ぶのでした。

佐藤はいくら仕事が出来るからと言っても新参者の父に『班長』と言う役職を与えたのも、それによって真面目で責任感の強い父を仕事に縛り付け出来るだけでなく、母に会わせないようにしたかったのだと思います。
それは数々の女をたらし込んで来た佐藤にとって、目先の快楽に流されやすい母の性格を見抜く事などは、容易い事だったからなのでしょう。
その上でせっかくここまで上手く行っている『調教』途中で母を父に合わせると、あまり主体性の無い浮き草のようで、すぐに楽な方に気持ちの良い方に流されやすい母の性格では、今まで佐藤の方を向いていた心が『あっ』と言う間に父に戻ってしまう事がわかっていたのでしょう。

佐藤はこの後も、策を労して真面目で責任感の強い父を騙して、10月一杯の出稼ぎ期間を12月まで延長させることに成功するのでした。
その事で佐藤の思惑どおりに父に会えない母は、段々と父を忘れて目先の佐藤を頼りにするようになり、佐藤こそが自分の愛する男であり夫であり、「もう佐藤なしでは生きて行けない」と思い込むようになって行くのでした。

私の手元には両親の寝室で見ていた当時の『奇譚クラブ』が十冊ほど有ります。
これは、父が亡くなり兄が結婚した時に両親が寝室として使っていた納屋を取り壊すことになり、私もその手伝いに行き片付け物をしていて偶然贈答用のタオルの空き箱の中にしまいこんであった『奇譚クラブ』を見つけたのでした。
こっそり家に持ち帰り確認したところ、昭和29年の頃の物が三冊あり、昭和30年のが一冊で、後は昭和40年代のものでした。
どうも『奇譚クラブ』は昭和27~29年の頃に最盛期を迎え、昭和30年のなかばに当局の発禁処分を受け、写真も少なくなり紙面も内容もおとなしくなり、しばらく低迷して昭和40年代にまた復活したようです。

内容や写真の過激さは昭和40年代のものが勝っているようですが、私的にはやはり子供の頃にドキドキして読んだ昭和20年台後半のものにノスタルジーを感じるのです。
当時は、二十冊近くあったと思ったのですが、惜しいことをしたと今でも悔やんでおります。
当時の私は子供だったので文章を読むことはほとんどなく、写真やイラストをドキドキしながら眺めていただけでした。
それゆえ、今手元に残った昭和二十九年の頃の三冊が、今では一番大切なものとなっております。
そして、その三冊のうちの一冊の中に偶然写真が五枚挟んであるのを見つけたときの驚きと喜びは今でも忘れません。

その写真は当然白黒で、素人が普通のカメラでそして家の中で撮ったものらしく露出もピントも甘く全体に暗く、ぼやっとした写真でした。
五枚の内の二枚はいわゆる『嵌め撮り』写真で、薄暗い中で今まさに剃毛した女唇に勃起した男根を入れ様としているところと、男根が半分ほど女唇の中に入っている所の写真でした。

後の三枚は女性が半裸、もしくは全裸で縛られている写真で、モデルはなんと母本人でした。
一枚目は、浴衣を半分ほど脱がされた母が、乳房を搾り出すように胸を幾重にも縛られ、鴨居から吊るされている上半身の写真でした。
その写真での母はカメラを向き笑顔で何か話している様子で、身体は責められて痛々しいのに何故か楽しそうな写真でした。

二枚目は、母が全裸で亀甲縛りにされて壁の前に立たされている全身の写った写真です。
口には豆絞りで猿轡が嵌められていて、体をひねり小首を傾げる様に母は苦悶の表情でカメラにすがる様な目を向けている、とてもエロティックな写真です。

三枚目は高手小手に縛られた女が頭を畳の上に付け、膝立ちでお尻をカメラに向けているのを、斜め上から撮った写真です。
足の膝頭の部分を長い棒で広げる様に縛ってあり、股が閉じられないようになっていて、これも剃毛しているため女唇とアヌスが丸見えです。
左右の尻たぶに何か白い花の飾りのような物が3つずつ確認できます。

(顔が見えないのでその時は確認できなかったが、後で母に聞いたところ嵌め撮り写真も含めてやはりモデルは母との事でした。)

この写真を母に見せたところ「まあ!いやだわー何処にあったの!?・・・もう・・はずかしいわあー・・・でも、あなたが持っていてくれて良かったわ」と言って、懐かしそうに見入っていました。

「この写真の相手は親父なの?」と、私が『多分違うな』と思いながら聞いたところ母は、写真に見入ったまま「え?・・・ああ・・・佐藤さんよ、だってお父さんはこんなひどい事しないわよ・・・」と言って写真をテーブルに置くのでした。

「ひどい事?」

私には母の言った『ひどい事』の意味が解からずに写真を見直すのでした。
嵌め撮り写真を除いて、残りの三枚の写真のうち一番母が辛そうなのは、やはり鴨居から吊り下げられた上半身の写真でしょう。
上半身だけのそれも乳房の上下をそれぞれ二回り位縛っただけで身体を完全に吊る事は無理でしょうから、きっとつま先立ちになっているはずです。
その証拠に胸や腕に回された縄が母の身体にとても深く食い込んでいて苦しそうです。
しかしその写真に写っている母は、何故か楽しそうに笑顔を向けカメラを構えた佐藤に何か話しかけているようでとても『ひどい事』をされているようには見えません。

「???」

首を捻っている私に母は、お尻のアップの写真を指差して「これ、投げ針がお尻に刺さっているのよ。佐藤さんが自分で作った投げ針で母さんのお尻をいじめているのよ。ほら!こっちのここにも!」と言って、もう一枚の壁の前に立たされた母の写真の乳房を指差すのでした。
薄暗くて、その上ピントが甘いので解からなかったのですが、そう言われて良く見るとなるほど両方の乳首の上辺りにあの『白い花の飾りのような物』が付いているのが解かりました。

「こっちは乳首を針で刺し通しているのよ。この写真は一本ずつだけど、佐藤さんは母さんの乳首を引っ張って針を二本、十字に刺す事だってテーブルの上に乳首を刺して張り付けにする事だって有ったわ」と、母はまるで人事のように楽しそうに話すのでした。

「痛くなかったの?」
「それは痛いわよ・・刺すときも抜くときもね。それにお尻なんか何回も投げて刺すから血だらけになったわー・・・でも・・・それがいいのよねー・・いじめられているって感じで母さん本気で泣いたわー・・・でもあの人許してくれないのよ。自分の気が済むまで母さんをいじめるのよ。・・・やっぱり母さん『マゾ』なのねー・・浣腸なんかされてお腹が苦しい時なんか『もっといじめてー針を打ってー』って自分からお願いしちゃう事だってあったわー」

8月になると佐藤の母に対する調教がより激しく、本格的になり、益々母を『マゾ奴隷』として落とし入れてゆくのでした。
母は身体を物として扱われて時には傷つけられ情け容赦なく泣きじゃくる母を犯し佐藤の性欲を処理するためだけの『奴隷』として調教されてゆくのでした。

剃毛も逢うたびに佐藤が自ら行い『パイパン』になった女唇を荒々しく可愛がられると母は自分の身体が益々佐藤の物になって行く気がするのでした。
アナルの調教もこの時から行われて、母のアヌスはすぐに佐藤の太い男根を受け入れられるようになり、3回目のプレイで早くもアナルで『アクメ』を感じられるようにさえなりました。

アナルセックスの事を母は、
「アナルセックスってねえ、はじめは、すごく熱くて痛いだけだったけど、何度かするうちに良い気持ちになってきてアナルでも行けるようになったのよ。はじめは恥ずかしくて嫌だったけど、今では佐藤さんに感謝しているわ。だってとっても素敵なんですもの。母さん『オマンチョ』と同じくらい感じるのよ」

そう言って自らの尻たぶを広げて私を誘うのでした。

そしていつものように『プレイ』が終わると、佐藤はとても優しくそれこそ舐めるように母を可愛がるのでした。
小遣いも毎回くれるし、その上、何でも好きなものを買ってくれます。
佐藤のいつもの飴とは鞭による調教でしたが、母はもう佐藤の言いなりでした。

佐藤は8月からは、だんだん淫らな下着類を毎回何組も買って来るようになり、次に会う時に着けて来るように母に命じるのでした。
佐藤がこの頃買ってきた下着は、普通にデパートなどで売っている物では無く、水商売や売春婦あるいはストリッパーが着ける様などちらかと言うと卑猥な下着でした。
おそらく顔の広い佐藤は、そういった男に見せるための物、男に脱がさせる為だけに着ける下着を専門に扱う店を知っていたのだと思います。

今でこそシースルーのパンティーや紐パン、スキャンティーやバタフライなど、何処でも手に入るし普通の女の人が穿きますが、当時ではそう簡単に手に入るものではなかったようです。

もともと好き者の母はそれらを喜んで身に着けるのでした。
そして必然的に母の箪笥の中は、色とりどりの卑猥な下着で一杯になるのでした。

8月に母は、だいたい6日程(お盆にかけては三日続けて)佐藤とセックスをしましたが、佐藤が富山の現場へ行ってしまい、一人になるとさすがにこれからの生活について考えてしまうのでした。
ついこの間までは、父が帰ってくれば佐藤との情事は夢の中の出来事として忘れられると思っていましたが、今になって思い起こせばドップリと佐藤の『性処理女』『マゾ奴隷』になってしまった自分を思い知るのでした。
これから父との生活の中でも佐藤から『性処理女』として呼び出しがあれば、断りきれずにパンティーを濡らして佐藤に抱かれに行くだろうと思うと、さすがに父や子供達にすまない気持ちになり自分が嫌な女になってしまったと後悔するのでした。
・・・かと言って今の生活を全て捨てまで佐藤の女に成りきる勇気もありません。

8月は子供達が夏休みで、いつも家にいて母を和ませてくれました。
近所の人達も相変わらず家に訪ねてきては、日がな一日お茶飲み話に花を咲かせていきます。
そしてお盆だの何だのと親戚の人も家を訪れ、にぎやかな日々を送っていると母の心の中に普通の生活の幸せが、身に染みて来るのでした。

特に隣の『K市』にいる叔父と叔母は(叔父が父の叔父で、叔母が母の叔母で、二人を引き合わせ結婚させたのもこの夫婦でした)、父が居なくては不便だろうとしばしば家を訪れては、母に気を使ってくれるのでした。
そんな叔父達がある日訪ねて来て「この前、夜に来てみたがお前留守だったな」と言われて、母は体中から冷や汗が吹き出る思いでした。
勿論、その日はお盆中にも関わらず、いそいそと佐藤に抱かれに行った日でした。
夫にも叔父夫婦にも顔向けできない痴態を繰り広げていたこともあり、さすがに良心の呵責で胸が痛むのでした。

そう言う人達に囲まれて生活していると、佐藤との破廉恥な浮気に身を焦がしている自分がとても汚くいやらしい女に思えてくるのです。
そして子供達と今日あった楽しい事など笑いながら聞いていると、この幸せな生活を壊したくないと言う思いが膨らんで来て、佐藤とは今度こそきっぱり別れようと心に誓うのでした。

しかし、そんな母の思いなど老練で計算高い佐藤の前では、またしても通じるはずは無いのでした。

8月の終わりにいつものように佐藤から9月一日の呼び出しの電話がありましたが、その時、母はもう佐藤との関係を清算したいと告げるのでした。
そんな母に佐藤は、「分かったよ、幸子がそう思うんなら別れよう。じゃが給料も渡したいし最後に幸子にお礼もしたいからもう一度だけ会っておくれ。最後の思い出にしたいから・・・」と母を優しく誘うのでした。
母も寂しい気持ちになり「最後の思い出に・・・」と出掛けて行くのでした。

それこそ佐藤の思う壺だとは、単純な母には思いもよらないのでした。

T駅前でいつものように待ち合わせした後で、これもいつものようにデパートで母にプレゼントするからと、洋服からバッグから靴まで母の喜ぶ物を一式買い与えた佐藤は、今日は車で郊外の高級な割烹旅館へ母を連れて行くのでした。
そんな高級な所へ初めて行った母は、プレゼント攻めによる甘い気持ちになっていた事もあり、もうすでに佐藤の術中に嵌まっているのです。
離れ屋になっている部屋で初めて割烹料理を食べて、お酒を飲んで頬を染めた母は、佐藤が開けた襖の向こうの次の間に敷いてある白い枕を二つ並べた布団を見て、もうこれから起こるであろう淫靡な行為に期待の視線を佐藤に送るのでした。

「最後よ・・・最後の思い出よ・・・」と佐藤に抱きしめられて、舌を吸われながら母は自分に言い聞かすようにつぶやきました。

しかし、素っ裸にされた母に対する今日の佐藤の行為は、今までのプレイとは違い、徹底的に母を痛めつけ、辱め、凌辱するものでした。
息が出来ないほどがんじがらめに縛りつけ、転がし、踏みつけ、蝋をたらし、逆海老責め、胡坐縛りで張り形攻めなど、今までは愛撫の合間にちょっとだけ厳しく責められるものだったのが、今日は最初から厳しい責めのみが、延々と母の肉体に加えられるのでした。

最初は母も泣いて許しを請い逃げ惑っていましたが、あまりの責めの激しさに感覚さえ麻痺し、いつの間にか例えようもないエクスタシーの渦に全身が包まれるのでした。
佐藤から加えられる責めの一つ一つが、子宮を震わせる快感となって全身を駆け巡るのです。
そうして、息も絶え絶えとなった母は贖うことも出来ずに佐藤のなすがままになるのでした。

そんな母を佐藤は尚も許さず、鴨居から吊り下げるとズボンのベルトで先ほど蝋責めで全身にこびり付いた蝋を削ぎ落とすかの様に体中に激しく鞭打ちをするのでした。
そんな中、母の身体は打ち下ろされる鞭によってもたらされる湧き上がる快感に歓喜の声を上げ続けるのです。

次に佐藤は鴨居から吊るされた母の身体を、完全に宙ずりになるように水平に縛りなおして蟹縛りにしました。
そして突き出た母の尻を掴み、もうすでに淫汁で濡れ濡れになった女唇に勃起した男根を激しく打ち込むのでした。

エクスタシーの渦に翻弄された母の肉体は、その本丸を佐藤の太い男根で貫かれてあっという間に『アクメ』を迎えるのです。
普通ではとても『行ける』体勢では無いのに、女唇を男根で激しく貫かれた瞬間に自分でも信じられない快感が一度に子宮から頭の先に駆け抜けて、気が付いた時には『アクメ』に全身を震わせていたのです。
母はこの時、はっきりと『マゾ』の喜びを意識したのです。
そして次々と押し寄せる『アクメ』の波を感じながら「もっと、もっとよー!もっといじめてー!」と口走るのでした。

ある程度女唇を楽しんだ佐藤は、釣られた母の身体をクルリと半回転させると今度は母の口に男根を挿入して楽しむのです。
そして、また半回転させると今度はアヌスを犯す・・・と言う様に、母の三つの穴を交互に自分が射精するまで楽しむのでした。

佐藤は自分が女唇の奥深く射精し満足すると、母を吊るしたまま座卓に腰掛けて母の揺れる身体を見ながらタバコを吸い、酒を飲んでいます。

母は息も絶え絶えになりながらも『アクメ』の心地よい余韻に浸っているのでした。
息も出来ない位に厳しく縛られ吊るされているのに、今はもうそれさえも心地よく感じられるのでした。
母のだらしなく開いた女唇からは、佐藤の出した精子がだらだらと溢れ落ち、畳にぼたぼたと垂れて山を作っております。
ぼんやりとそれを見た母は「ああ、旦那様、今日は溜まっていたのね・・一杯出して下さったわー・・・でも後で拭いておかなくっちゃ」と、嬉しさが込み上げてくるのでした。
そして自分の生えかけの陰毛にこびり付いた蝋を見て「洗ったら落ちるかしら?」と、変なことまで考えていました。

次に佐藤は、母を降ろし縄を解くと、今度は鎖の付いた黒い犬の首輪を母の首に付けて犬のように四つん這いになることを命じるのでした。
母が膝をついて四つん這いになると、尻を叩かれ「膝をつくな!尻を高く持ち上げて、足も広げて、オマンチョと尻の穴が見えるように歩け!」と怒鳴ります。

そうして恥ずかしい格好で佐藤に鎖を引かれながら、部屋の中を一回りすると、さっき佐藤が出して畳の上に山となった精子の前で「幸子、お前はメス犬だ、ワシの精子を舐めてきれいにしろ」と畳がきれいになるまで舌で舐めさせるのでした。

その後、又鎖を引かれて玄関に行くと、スリッパをひとつ口に咥えさせられて部屋の座卓に置かされました。
次にまた座卓に座った佐藤は、母の首輪の鎖を外すと尻を佐藤に向けるように言い、手にしたゴム製の張り形を母の女唇に突っ込み何度かピストンした後で、その張り形を部屋の隅に投げて犬のように口で咥えて捕ってくることを母に命じるのでした。

母が犬のように四つん這いで取ってくると「遅い!」と言って、さっき母が咥えてきたスリッパで尻を5~6発叩き、また張り形を部屋の隅に投げて取って来させるのでした。
今度は一生懸命取って来ると「よし、ご褒美だ」と言って、その張り形で女唇を可愛がってくれます。

そんな遊びを佐藤は酒を飲みながら何回も母にさせるのでした。
母はスリッパで尻を叩かれても感じ、もちろん張り形で女唇を犯されても気持ちよく、最後は畳に顔を突っ伏して全身を震わせ『アクメ』を迎えるのでした。

母が行くのを確かめてから、次に佐藤はまた母を犬のように四つん這いにさせると、その尻を足蹴にして歩かせるのでした。
そうして浴室にまで連れて来ると母の陰毛をいつものように剃毛し、パイパンにすると「幸子は犬だからそこで足を上げてションベンしてみろ」と、母に放尿を命じるのです。
母は自分が犬として扱われることに被虐感が増し、佐藤の命令のままに「私は『旦那様』の雌犬です。どうぞ雌犬のションベンを見てください」と、佐藤の教えた台詞を言って、犬のように片足を上げたまま放尿するのでした。

今日の佐藤は次から次へと母を虐めいたぶり、母の骨の髄まで染み込んだ『マゾの血』をタップリと思い起こさせようとしていたのだと思います。
母は佐藤の思惑どおりに『マゾ』の被虐感に酔いしれて女唇を濡らすのでした。

次に母は浴室のタイルの上で『まんぐり返し』のポーズを取らされ、そのまま佐藤に尻を抱えられるようにしてタイルで出来た湯船の縁に逆立ち状態の背中を当てるように固定されました。
佐藤はいつもの『エネマシリンジ』の吸い口のゴムホースを母が背負った湯船のお湯の中に入れてポンプを握り、もう一方のノズルからお湯が出るのを確かめると母の尻に突き刺し浣腸をするのでした。

程なく母の尻の穴から噴水のようにお湯が噴き出し、母の体中に降り注ぎます。
佐藤は楽しそうに何度も母に浣腸しては母を苦しめるのでした。
はじめは入れたお湯がそのまま出ていましたが、そのうち小さい便の塊が混じるようになり、最後は焦げ茶色のすっかり緩くなった便がその匂いと「ブスッブリッブッブー・・・」と言う恥ずかしい音と共に、後から後から噴き出して母の体から髪から顔中を汚すのでした。
自分の排便する姿を見られるのも恥ずかしいのに、音や匂いまで嗅がれ、体中を便まみれにしてその上まんぐり返しのポーズまでして恥ずかしく惨めなのに『エクスタシー』まで感じている自分がとてもいやらしく、そして汚らしく思え「こんな事・・人のする事じゃあないわ」と母は悲しさのあまり涙が出ました。
泣きじゃくる母に佐藤はタイルの床に正座するように言いつけ「口を開けろ」と命じて自分のペニスを母の口元に持って来ます。

母はまた『尺八』をさせられるのだと泣きながらも口を開くと、佐藤はもっとひどい事をするのでした。

いきなり佐藤のペニスから黄色い尿がほとばしり始め、佐藤は母の口めがけて放尿し始めたのでした。
母の口の中はたちまち塩辛くとても匂いのきつい佐藤の尿で一杯になりました。
余りの事に母が横を向くと、その顔や体めがけて佐藤の放尿が続きました。

「幸子、お前はワシの奴隷だ!ワシの便所女なんだ。さあ、ワシのションベンを飲め!」

母はもう悲しく、切なく、辛い気持ちになりましたが、反面自分の子宮から湧き上がって来る奮えるような快感に口を開けて佐藤の尿を飲むのでした。

「身体を洗って来い。今度はたっぷり可愛がってやる」

そう言って首輪を外した佐藤が浴室を出て行った後で母は自分の身体を洗いながら「もうこんなに汚れた身体じゃあ、お父さんにも子供達にも合わせる顔が無いわ」と泣きじゃくるのでした。

佐藤にどんなに乱暴に扱われて汚辱されても、たとえ犬のように扱われて佐藤の『便所女』として使われても、その全てがとても気持ちの良い最高の『エクスタシー』を感じられる身体になってしまった事に今更ながら気付かされ、思い知らされた今、母はもう自分の体が、後戻り出来ない位に佐藤に『マゾ奴隷』調教されてしまった事を思い知ったのです。

母はこの時迷っていました。
佐藤と痴態を繰り広げている月の初めの何日間は、母の心は佐藤の虜でした。
佐藤と淫らなセックスが出来るのなら何も要らない。
今の生活も子供達も何もかも捨てて佐藤に身も心も全て任せて抱かれていたいと心の底から思うのでした。

しかし佐藤と離れての残りの月の24~25日間は、子供達の世話や親戚や近所の付き合いなど普通の生活をしていると、やはり日々の生活が一番大切で、それによって喜びや幸せも感じて何事にも変えがたい幸福を感じるのでした。
そうすると『SMセックス』だけが目的の佐藤との痴態を繰り広げていた自分が、今更ながら恥ずかしく汚らしくて嫌な女だと思えるのでした。

では何故この時母は佐藤と別れられなかったのかと言うと、この頃の母は佐藤の『マインドコントロール』に嵌まっていたのだと思うのです。
それは浅はかな母の気持ちを弄ぶ事など佐藤にとって、とても簡単なことだったのかもしれません。

母はこの頃、大きな勘違いをしているのでした。
母は佐藤と会う度に贅沢な暮らしを経験させてもらっていました。
好きな物を買ってもらい、美味しい食事をさせてもらい、過分な小遣いまで貰い、今まで経験したことの無い楽しい生活をさせてもらっていたのです。
その挙句に母は、佐藤から自分と子供達の生活の面倒(生活費)まで見てもらっている気持ちになっていたのです。
現に生活費である給料は佐藤から手渡されていました。
単純に考えればその給料は、父が汗水たらして働いたから貰えるのに、母の心の中から父の影が薄くなるにつれて、給料と言う生活費も佐藤から貰っている贅沢に使える小遣いと同じように、単純で浅はかな母は思い込んでしまったのです。
そう言うわけで、母は今生活出来ているのは佐藤のお陰で、佐藤と別れると言う事は、自分と子供達の生活基盤も失う・・・と、漠然と思い込んでしまっていたのでした。

部屋に戻ってからも母は、切なさや悲しみが込み上げて来て、自分でもどうしたら良いのか解からなくて立っていられなくなり、畳に突っ伏して泣くのでした。
そんな母を佐藤は優しく抱きしめると、布団の上に導き「どうした?ん?何が悲しい?」と、先程とはうって変わって優しい声を掛けながら優しく母の身体を抱きしめるのでした。

「ああー旦那様、あたしどうしたら良いのかわからないの。こんな汚れた身体じゃあお父さんにも子供達にも合わせる顔が無いわー」
「じゃあ義男と別れて、ワシの妾になるか?」
「ううん・・・出来ないわー子供達と別れるなんて出来ないわー」と力なく頭を振ります。

「じゃあ、幸子はワシと別れられるのか?」と言って、佐藤は母の女唇に指を入れ愛撫します。

「あっあーー、だめ、だめよーー・・・あたしどうしたらいいのーー?」

頭では解っていても体が快楽を求めてしまいます。

「幸子の体はとっても綺麗だぞ、汚れてなんかいないぞ。じゃが今の幸子の姿を義男が見たら確かに『汚らしい』と思うだろうな。でもそれが幸子の本当の姿なんだ。幸子の本当の姿は『マゾ』なんだ。判るだろ?そしてそのお前の本当の姿を愛してやれるのは、この世の中でワシだけなんだぞ。だから幸子は今まで通り普通に生活していればいいんだ。そしてワシと会った時だけ幸子の本当の姿を表わせばいいんじゃないのかな?・・・おお!そうだ。幸子、ワシと結婚しよう。幸子はワシの妻になるんだ」
「でも・・・お父さんとは別れられません・・・今の生活を壊すことなんか出来ません」
「だから、何も義男と別れなくってもいいんだ。ワシと幸子の心の中で結婚するんじゃから、分かるか?」
「心の中?」
「そうだ、幸子はこれから二人の亭主を持つんだ。つまりな幸子の本当の『マゾ』の姿を隠して義男や子供とは今まで通り普通の生活をすればいいし月に何回かはワシの妻になって本当の幸子の姿に戻ればいいんだ」
「二人の亭主?」
「そうだ、幸子はこれから二人の夫を持つんだ。そして二人の夫から愛されるんだ。義男とは普通の生活を続ければいいしワシの妻になった時は幸子の本当の自分に戻って思いっきり『SMプレイ』を楽しむんじゃ。幸子の本当の姿を愛してやれるのはワシだけだぞ。幸子もワシの事を愛しているだろ?」
「ああーっ愛してます・・・旦那様、幸子は旦那様を愛してますぅーー・・・」

母は今の生活を捨てずに、なおかつ佐藤との関係も続けられると思うと、佐藤の言った『二人の夫を持つ』と言う事がとても素敵で最善の解決策だと思うのでした。
しかし、よく考えてみればそれは母を父から寝取ることが生きがいの佐藤にとって、もっとも都合の良い関係であり、そんな生活がいつまでも続けられるはずが無い事くらい解かりそうですが、物事を深く考えないで自分の都合の良い方へ、楽しく楽な方へと流されやすい浅はかな母には、今の関係をどちらも失わずに済むと喜ぶのでした。

「幸子、来週ワシは群馬へ仕事で行くがその時幸子も一緒に連れて行ってやろう。そして、あっちで二人だけの結婚式を挙げよう。そしてワシと幸子は夫婦になるんじゃ。温泉も有るし二人の新婚旅行だぞ。うん?うれしいか?」
「あん、旦那様・・・あたしうれしい!・・旦那様の奥さんになれるのねーーああーあいしてるわーー」

母は佐藤にしがみつき唇をむさぼるようにキスをするのでした。
そんな母の女唇に佐藤は勃起した男根を挿入し今日もまた母を『アクメ』の海へと誘うのです。

佐藤は母をエクスタシーの海にドップリと浸らせながら

「幸子はワシだけの女だ。義男は十月が終わっても帰さんぞ。ずっとずっと富山にいさせるんだ。もうワシは幸子を放さないぞ義男にも渡さんぞ幸子はワシだけの女じゃ。うれしいか?」
「ああん・・うれしいわーー・・あ、あたしは旦那様の女よーー・・ああっいいいーー誰にも渡さないでーー・・あん、あん、あっあっ愛してるの、あいしてるのよーーあっあっ・・いっいくっいくっいくぅーーー」

もう母は、佐藤に任せておけば全て上手く行くと言う気持ちに成っていて、心から佐藤を信頼し身を任せるのでした。