桂木の家には誰もいないような気がしたが、駐車場を見るとちょうど諒子さんが子供を車に乗せている最中だった。
このまま放っておいたほうがよさそうなものだが、桂木の落胆振りを見ると、どうしても放って置けなく、余計なお世話だと分かっていても諒子さんに事情を聞かなければならないような気がしていた。
俺は車を降りて諒子さんに挨拶をし、「ちょっと時間もらえないか?」と話をすると、今から実家に子供を預けに行くのでと断られました。
「桂木から全部聞いた。俺は桂木のあんな姿見たことが無い。俺には話せないなら、嫁でもいい。とにかく俺は君達夫婦に不幸にはなって欲しくない。俺達で力になれることがあるはずだ。このまま何にも手を打たなければ桂木が壊れてしまう。頼む!諒子さん桂木を助けると思ってとにかく家に来てくれないか?」
・・・と言うと、諒子さんは動揺していたが、
「とにかく両親に子供を預けるので、その後なら」と答えました。
しかし俺は嫌な予感がしていて、諒子さんはこのまま姿を消すつもりなのではないか?とも思い、「何が何でも連れて行く」と諒子さんを説得しました。
諒子さんも追い詰められていたのでしょう。
段々ヒステリックに「どいて!」と言い出し、車の中の子供が泣き出しようやく落ち着きを取り戻すのです。
諒子さんは車の横に座り込み、泣きながら「終わってしまった・・・何もかも失ってしまった・・・。絶対に失いたくないものを自分で壊してしまった」とまるで魂が抜け出たような様子です。
俺は嫁に連絡し、諒子さんと子供をつれて自分の家に向かいました。
俺は諒子さんを落ち着かせて、自分の子供達と一緒に桂木の子供達を寝かせた。
その間妻が諒子さんの話を聞き俺が部屋に入ると「あなたも一緒に聞いたほうがいいわ」と妻に言われ、俺も話を聞くことになりました。
最初、諒子さんの核心には触れず、「自分が主人を裏切った」と、しきりに繰り返し、時々「死にたい」と言い出すと、妻が「それだけは駄目。貴方母親でしょ」とたしなめるのです。
諒子さんは子供残し、両親に後のことを頼み、どこか遠くへ行き一人で働いて子供達のためだけに生きていこうと考えていたようです。
やはり諒子さんも真実を話すことに抵抗があったのでしょう。
俺達も詳しく聞くことをせず、話したくなるまで待つ姿勢でした。
しかし、妻が色々話しかけると少しずつ事情を話し始めました。
この時、もう諒子さんは桂木が退院するまでに姿を消すことを決心していたのでは無いかと思う。
「私は主人を愛しています。こうなってしまって信用されないかも知れませんが、本当に心から主人を、桂木勇を愛しています。それは今でもずっと変わりません。でも・・・私は主人を裏切ってしまった」
「桂木から聞いているが・・・一体どういう?」
「私は・・・あの男に体を許してしまった・・・」
諒子さんは、両手をひざの上で握り締めぼろぼろ泣いていました。
「あの男?・・・諒子さん・・・」
「私は自分が分からない・・・」
「もういいよ・・・諒子さん、もういいから」と、妻の美鈴が言うと、
「よくない!私は・・・私は・・・、私のせいで主人は倒れてしまった。ちゃんと話すべきだって分かってた・・・本当はそうすべきだった。分かっていたのに、あの男にされたことをどうしても主人に話せなかった。・・・本当のことを話せば私は軽蔑されてしまう、それぐらいなら誤解されたままのほうがまだましよ!」
「諒子さん・・・」と俺が言うと、諒子さんは、涙を拭いて私達に土下座をするのです。
「お願いします。私はこのまま主人の前から姿を消します。せめてどこかで働いて主人と子供達に償いたい。ですからお願いです、私を探さないように主人を説得して下さい。厚かましいと思いますでも頼る人がいないのです。どうか・・・」
「でも子供さんは・・・」
「子供のことは両親に頼みます・・・」
「しかし・・・子供に一生会わないつもりか?」
「子供のことは・・・どうすればいいのか分かりません。私がいれば主人を苦しめます。また倒れてしまうかも知れません。私には子供達から父親までも奪うことは出来ない!」
「しかし、桂木は・・・」
諒子さんは顔を上げ頭を抱えて叫ぶように
「じゃ!どうすればいいの!?私がいるだけで主人を苦しめる。私が苦しむのは耐えられる。でも主人や子供達は・・・」
「諒子さん!落ち着いて」
妻が諒子さんの両肩を抱き、
「私たちが力になるから・・・ね?」
諒子さんはしばらくしゃくりあげるように泣いて、「もう死にたい・・・」と言いました。
妻が俺に席をはずすように合図すると、俺は子供達の寝顔を確認し、一人寝室でこれからのことを考えていた。
次の日、諒子さんは子供達をつれて自宅へと帰っていった。
「大丈夫、いきなり消えたりしないわ。ただ、かなり思いつめてるだけに諒子さんの体のことが心配ね」
妻は諒子さんを見送りながら俺にそういった。
昨日の晩、諒子さんを落ち着かせ寝たのを見届けると、妻は俺に
「諒子さんずっと自分を責めてたのね・・・自分が許せないみたいだわ」
「そうか・・・なんでこうなってしまったんだろうな」
「私にはお互いを縛ってるように思うわね。諒子さんは自分が夫に対して一切曇ること無い愛情を持ち続けなければ、夫がいなくなると感じてるんじゃないかな?桂木さんも同じかもね・・・。お互いが相手のことを受け入れようとして、無理して相手に受け入れられる形になろうとしているようなそんな気がするわ」
妻はいつの間にか持っていたビールをぐいと飲むと
「人間なんてちょっと他所向いたり、寄り道したりしながら生きていくもんだと思うんだけどね」
「おいおい・・・怖い事言うな~」
「あら?あなた心当たり無いの?」
「いや・・・どうかな」
・・・と、俺は苦笑いをしてしまった。
「ま~どっちでも良いわ、それでも貴方と私は一緒にいる。頑張って一緒にいたいと思うこともあれば、鬱陶しいなと思うこともあるわ。私、桂木さんたちってお互い求めすぎて揺らぎがないと思うの。お互い堅物同士じゃない?私だって貴方に隠してることの一つや二つあるわよ。でも知られたって離婚になるとは思えない。そういうルーズさって結婚に必要だと思うの」
「お前さ・・・こんなときにそんな告白しないでくれよ。気になるじゃないか」
「へ~まだそういう気持ちあったんだ」
「なんだよ、そりゃ」と、俺もビールを煽る。
妻が続けて
「桂木さんも桂木さんよ、奥さんが怪しい行動してるのに見てみぬ振りなんてさ、おかしいわよ。妻を信じるって言えば聞こえがいいのかもしれないけど、馬鹿なことやってそうならひっぱたいても連れ戻すもんでしょ?許す許さないは後の話しじゃない、本気で愛してるなら。ぐちゃぐちゃになるまでもがくべきよ、私ならそうするわ」
「でもさ、桂木は病気持ちなんだし・・・」
「それよ!それが逃げ口上なのよ、そりゃ私は幸い健康だから、彼の気持ちは分からないかもしれないわよ?だからって、それに逃げて真実を知るのが怖いって言う訳?それじゃ諒子さんが可愛そうじゃない、諒子さんは諒子さんであって、彼のお母さんでも保護者でもないのよ。愛する男に母親を求められるなんて冗談じゃないわよ。男ならさ大事なものの為に戦って欲しいじゃない。例え諒子さんを許せなくて離婚になったとしても、このままじゃお互い後悔するだけだよ。そんなの・・・悲しいじゃない」
「そうかも知れないな・・・」と、俺は最後に空になるまでビールを飲んだ。
「あなたそれでどうするつもりなの?中途半端に足突っ込んでも余計に話がややこしくなるだけよ。本気で関わるつもりなの?」
「このまま放っては置けない」
「そう、なら止めないわ・・・でも離婚するかどうかってのは本人達の問題よ。私たちが出来るのは冷静になる時間を与えることぐらいよ。後は貴方が桂木さんのお尻を引っぱたくことぐらいね」
「まったく・・・頼もしいことで」
俺は笑いながら言ったが、確かにこのままやり直しても上手くいかないだろうと思っていた。
妻はほぼ毎日諒子さんの所へ行っていた。
諒子さんは子供のことが気がかりでありながらも、今のまま桂木と暮らすことは逆効果であると決意を曲げなかった。
しかし、子供には母親も必要であると俺たちが言うと、やはりそこが一番の問題であり、夫と同じぐらい子供を愛している諒子さんにとって両方と離れて暮らすのはやはり耐え難い思いでしょう。
このまま姿を隠し続けることが解決の道ではないことは諒子さんも分かっています。
しかし桂木の体のことを考えると、それほど迷ってる時間は無いのです。
結局諒子さんのご両親と俺たちは、とりあえず1年間協力して諒子さんの居場所を桂木に教えないことを確認しました。
諒子さんは始終頭を下げたまま、自分のしたことの愚かさを全身で感じているように、肩を震わせうつむいていました。
この間、例のあの男から連絡があったのか分からないが、諒子さんは自分で何とかするといって聞かないので、俺たちからは何も出来ないでいた。
とうとう退院の日が決まって諒子さんは子供達に「しばらく会えないけどパパと元気で暮らしてね・・・ごめんね、ごめんね」と、別れを惜しみ、退院の前日の夜に出て行きました。
出て行くとき、私達に礼をし「ご迷惑かけて申し訳ございません。今までありがとうございました。ご恩は必ず返します」と言って去って行きました。
俺が桂木を迎えにいき、このことを伝えると桂木は酷く動揺し、俺を責めた。
俺と妻は諒子さんのご両親とともに、諒子さんの決意を伝えた。
しばらくは落ち込んでいた桂木も徐々に落ち着きを取り戻し、当初ほど諒子さんの居場所について聞くこともなくなってきた。
妻は諒子さんと時々連絡を取っていたようだが、俺はあれ以来一度も話すことも無く、妻から近況を聞く程度で、詳しくは聞けないでいた。
変に聞いてしまうとボロが出てしまいそうで、あえて聞かなかったのです。
しかし半年を過ぎて正月に桂木と話をし、桂木の思いを聞くと心が揺れ、今の状態であれば少しずつ話しても大丈夫だろうと思い、俺は桂木に知っていることを話すことにしました。