自分の彼女、というか妻の話です。
私は2回結婚していまして、1番目の妻との話です。
戦時中の話です。
PCMAX
私は炭鉱で働いていまして、そして20歳で結婚しました。
現在だと20歳で結婚をするのはとても早い事ですけれど、当時でも少し早い位だったかと思います。

早くに結婚したのには理由があります。
入社してすぐ、仕事中に怪我をしてしまったのですね。
当時の炭鉱はとても危険な職場でした。
私は中学校を出て会社に入ったので、炭鉱の仕事の中でも比較的楽な、いわゆる管理職的な仕事を担当していたのですが、それでも坑道には入りますし、危険な事も沢山ありました。
入社してすぐでしたけれども、坑内火災がありまして、足に怪我を負ってしまいました。
足の甲を鋭く切ってしまいまして、当時は炭鉱には優秀なお医者さまもいたのですが、今みたいな技術がある訳ではなかったので、治りはしたものの片足を引きずるようになってしまいました。
ちょうど太平洋戦争が始まってしばらくした頃で、私もそろそろかなと思っていた矢先の事故でした。
今思えば運が良かったのですが、これで私は兵隊になれなくなっていたのですね。
当時はずいぶんとがっかりしました。

でもですね、そうすると面白い事に見合いの話が次々来たんです。
私みたいに怪我をした人間というのは、結婚なんていうものとは縁遠くなるのではと思うかもしれませんが、逆だったんですね。
当時は戦争で死ぬ男が沢山いましたから。
私みたいに死ななさそうな男はモテたんです。

で、紹介して頂いた中の1人の女性と結婚しました。
私には勿体無い位の美人でした。
まあモテてですね、選ぶ立場でしたので、私は一番の美人を選んだんです。
ちょっと細面ですらりとしていて見た目の良い女性でした。
見た目だけじゃなくて彼女は優しい女性でもありました。

当時は今と違って皆、亭主関白ですから。
彼女は上司の娘だったのですけれども良く尽くしてくれて、脚の悪い私のわがままも良く聞いてくれて随分助かりました。
それだけじゃないですねw
こういう場所ですから言いますが、夜の方も大満足というやつでした。
話には聞いていてもそれまで私は女性を知らなかったものですから、こんな良い事があるなんてと随分と感激しました。
初めての女性というのもあったのかも知れませんが、とても可愛かったですね。
とても色が白くて柔らかくて、恥らう姿に萌えた、という奴です。

社宅に住んでいたのですが、仕事が終るとすぐに走って帰ったものです。
帰ったらすぐに2人で銭湯に行ったりしました。
当時は随分破廉恥に思われていたかも知れません。

炭鉱っていうのはど田舎にあるので、戦争って言っても随分遠くの話でした。
結局終戦まで空襲なんてのも殆ど聞いたことがありません。
それでもやはり戦争は炭鉱にも随分と関係してきました。
私は怪我をしていましたけれど、同年代の男達はどんどん取られていきましたし、どんどんと死んでしまいました。
若い男が死ぬというのはやはり普通のことじゃないんでしょうね。

私はあまり神様とかいったものは信じない方なのですけれど、不思議な事も結構ありました。
一緒に会社に入った友達が戦争に行ってしばらくして、ある夜にドンドンって玄関が叩かれたんですね。
無用心な田舎ですけれど、それだけに夜に玄関が叩かれるなんて事もめったにないのでびっくりして。

「なんだあ?」って声を掛けたんだけれど返事はない。

彼女も起きてきてね、「どうしましょう」なんて不安そうにしている。

そしたらまたドンドンって音がする。
怖かったけれど、棒持ってですね、扉の方に行ったら「おうい」って声がする。
その声が友達の声だったんですね。
びっくりして。
慌てて玄関開けたんですけれども、どこにもいなかったんですね。
もうびっくりして近所中に声掛けて探したんだけれど、どこにもいない。
なんだったんだろうと思っていたら、そのうち戦死の知らせが届いて、その時やっと“ああ、もしかしたら友達が最後に挨拶に来てくれたのかもしれないな”なんて思った事もありました。

そんな調子で当時は随分と人が死にました。
当時20そこそこで今の20歳とそう変わらないんと思うのですけれど、そんな風に友達がどんどん居なくなりました。
途中からはもう、行ったら帰って来ないような感じでした。

かといって私が安心していたかというとそんな事はありませんでした。
やっぱり男子でしたから悔しかったのです。
俺も行ってやると思っていました。
アメリカやロシアがどうこうとかは実は良く判っていませんでしたがw
自分だけ行けないというのが悔しかったんですね。

彼女にも、私だけがこうして若いのに仕事をして戦争に行かないで、顔向けが出来ないみたいなことを考えていました。
逆にこういうときは女性の方がしっかりとしていて、彼女も彼女の母親もほっとしていたみたいです。
義父も外向けには「情けない」と言っていましたが、「内心は良かったと思っていた」と言っていました。

そんな折のことでした。
彼女の従兄弟が、彼女の母親の姉の子なんですけれども、それが海軍にいたのですけれど、同じ部隊の男というのを連れて帰ってきたんです。
帰ってきたと言っても遊びに来たようなもので、当時も軍艦が港にある間なんかは兵隊でも実家に帰れたりしたんですね。
その頃は終戦も近い頃だったんで、もしかしたら船を動かす事も出来なくなっていたのかもしれませんが。

彼女の従兄弟の実家は港よりもずっと遠くにあったので、その従兄弟と従兄弟と同じ部隊にいる男というのが、これもまた家が遠いもので、比較的近くにあった私の義父の家に遊びに来た訳です。
今と違って戦争中の話ですし、海軍の兵隊が来たなんていう事で近所中で大騒ぎになって。
出来るだけゆっくりしてもらおうって事で、皆で色々持ち寄ったんですね。
食べるものもあんまり無かったんですが、色々かき集めて、風呂も沸かして、彼女なんかもその時は貴重品だった砂糖まで出してきて、持ち寄った肉なんかと一緒にしてすき焼きを作ってあげたりしました。
遊びに来たと言っても、2日も居たら帰らないといけないから、大慌てで酒なんかも持ってきて飲んだのですけれど。

でも少し複雑でしたね。
私も若かったので。
兵隊に行って大きな声で笑ってる彼らを見て、まあ、言いようの無い嫉妬心みたいなものを感じたりしました。
また海兵隊だから格好が良かったんですね。
髪の毛はぴしっと刈り込んで日に焼けて。
酒飲んで部隊の話をして笑っている彼らを見て、嫉妬というか、なんだかそういうものを感じました。

そして飲み会もたけなわというかそんな時にですね、義父に呼ばれたんです。
ちょっと固い顔をして私を呼ぶ義父の顔を見て、最初なんだろうと思ったんですけれど、すぐぴんと来ました。
今だと想像付かないと思うのですし、ありえないなんていう風に言われるかもしれないのですけれど、当時は無い話じゃありませんでした。
今でもサラリーマンの人なんかはね、大きな仕事の前になんていうのはあるのかもしれないですけれど、それと同じ事です。

戦争に行く前の夜なんかには、女性に相手をして貰うのです。
特にもうその頃は、もう行ったら行ったっきりですから。
生きて帰るなんて本人も周りもあんまり考えてないような状態でしたから。
相手がいるようなのは、無理やり大急ぎで結婚してから行くようなのもいた位です。

だから周りも気を遣わないといけないわけです。
勿論、今で言う風俗みたいのもありましたけれど、まさか金渡して行って来いってのも、いかんせん言いにくい。
まあそういうのもあったでしょうけれど、ど田舎なんかはそういうのもあんまりいいのがありませんでした。
男がいなくなるとそういうのも寂れるんですね。
戦後になるとばーっと増えましたが、その頃はあんまりなかったんです。

そうすると未亡人やなんかが相手をしてあげる訳です。
子供なんかには気付かれないようにね。
さりげなく部屋に行ってあげたり、呼んだりするわけです。
今だったら恥ずかしいとか、逆に貞操観念が無いなんて言われる事なのかもしれないですけれど、良くない時代にはそういうのが必要だったんですね。
何て言われたって、ほぼもう帰って来ないわけですから。
だから年長の人間ほどそういう事に気を遣って手配してあげたりしたんですね。

で、義父の話というのはそれだったのですね。
余り同年代の女性が近所にいなかった、というのもあるのですが、義父としても自分の家から出さないといけないというのもあったのかもしれません。

『従兄弟が連れて来た男の話し相手に、彼女をやるわけにはいかないか?』という話でした。

辛かったですね。
私が決めないといけないですから。
彼女が決めるわけではないんです。
義父は私に言って、私が決める必要があったんですね。
勿論、直接そういう話をしてくる訳でなく、一応は言い訳のように「すぐに彼も帰らんといかんから、あまり寂しい思いをせんように◯◯君、話し相手に行ってやってくれんかね」というような感じに言われるんですね。

つまり義父は私に行けという訳です。
勿論私が行く訳じゃありません。
そうして、私が彼女に話し相手になってあげろと言う訳です。

勿論辛かったです。
子供もまだいなかったし、彼女を可愛がっていましたから。
でも考える時間なんてないですから、「そうですね、わかりました」と答えるしかありませんでした。

彼女の従兄弟にも、そうして誰かが行ったんでしょうね。
私はその時、そんな事を考えるどころではなかったですけれど。
それで、飲み会もいい加減お開きになった頃、彼女を呼んで言った訳です。
今でも覚えていますけれど、石川という名前の男でした。

「美代子、今日は、石川さんの話し相手をしに行ってやりなさい」というような感じで言いました。

彼女は、はっとしたように私の顔を見てですね。
それは珍しい事でした。
彼女は私が何か言ったらなんであれ、「はい」って言うような女でしたから。
でも彼女も判っていたのでしょう。
頷いてですね、でも、すっと顔を背けるようにしました。

今以上に男ってのは嫉妬心が強かったと思いますからね。
心臓は跳ねるようになりますし、お腹の中がじわーっと熱くなるように感じました。
自分で言っておいて、居ても立ってもいられないような気分になりました。

当時の義父の家は母屋と離れに分かれていました。
昔のごく一般的な作りの家でしたので、離れと言っても今の平屋建ての家くらいはありました。
その日は、母屋には義父と義母。
そして私と彼女が泊まる事になっていました。
彼女の従兄弟と石川という男は離れに泊まりました。

食事も終りまして、8時位でしたと思います。
私と彼女は一言も話をせず、彼女は私と彼女の分の布団を敷いて、それから私に「行ってまいります」と言いました。
何か言えるかというと言えませんでした。
狼狽えたように「ああ」とか「うん」とか言ったと思います。

「あなた、先に寝てて下さいね」というような事を彼女が言って、そして彼女が出て行きました。

寝れる訳も無くて、でも当時はテレビとかある訳ではないですからごろごろとしていました。
私がそんな事をしている間、離れで彼女が石川という男に抱かれていると思うと、もうどうしようもなく気が咎めて仕方がありませんでした。

彼女が戻ってきたのは深夜くらいでした。
私はまんじりともしていなかったんですけれど、寝ないで待っていたなんていうのも格好が悪くて、彼女が戻ってくる足音を聞いて慌てて寝たふりをしました。
彼女が隣の布団に潜り込んで、しばらくして寝付くまで、背中向けてじっとしていました。
彼女が寝付いてから彼女の顔を見てですね。
ああ、彼女はさっきまであの石川という男に抱かれていたんだ、なんて事を考えたりしました。
そう考えると寝ている彼女に色気のようなものも感じられて、悲しいというか、胸がこう、ドキドキしたりしました。

次の日起きて、まあ彼女と話を出来るだけ意識しないようにいつも通りにしてですね、仕事に行きました。
行きがてら石川という男とたまたま顔を合わせてしまって、向うも慌てて挨拶なんかをしたりしてですね。
そうやって見てみると石川は大体同じか少し上くらいの年齢でした。
日の光の下で見ると逞しい男で、気分が暗くなりましたね。
足を怪我して戦争にもいけない私なんかより、彼の方が立派な男みたいに感じたんですね。
そうやって仕事には行ったのですけど、従兄弟とその石川って男は次の日までいるわけで、今日も彼女があの男の元に行くのかと思うと仕事にならなかったですね。

家に帰ってやっぱり食事しましてですね。
その日は彼女の従兄弟と石川という男が、周囲の名所って程のものではないようなものを観光したなんて話を聞いたりしました。
次の日はもう帰ってしまいますから、荷物なんかもある程度纏めたり、お土産を渡したりなんかして・・・。

で、やっぱり食事が終って、部屋に戻って彼女に私は、「今日も石川さんとお話でもして来なさい。訓練の事でも何でもいいから話を聞いてあげなさい」と言った訳です。

彼女は前日よりも辛そうな、というか私に対しての罪悪感というような顔をしました。
で、本当に珍しく「でも」なんて事を言いました。
でも建前でも私から行けと言っている訳ですから、私としては毅然として「行って来い」と言うしかない訳です。
叱って行かせた訳ですが、私も前日よりずっとずっと辛かったです。

本当に辛くてね。
自分の事を、甘ったれるなと叱るんですけれど、どうにもならなくてね。
もうすぐ死ぬかもしれない兵隊さんでね。
私は兵隊にもいけずにいる身でね。
でも彼女が可愛くて仕方がないからどうにも辛かったです。

ごろごろ、ごろごろしてたんですけど、そのうちどうにも堪らなくなって、部屋から出ました。
昔は今と違って夜になると本当に音が無くてしんとしてて。
しばらく母屋の廊下をうろうろ、うろうろしてたんだけれど、やっぱり我慢できなくてね。
離れの方に行きました。
でも見つかると格好が悪いからこっそり行ってね。
そうしたら離れに入る庭の縁側に彼女の履物があって、それを見てやっぱり我慢できなくなってね。
格好悪いけどお金渡して、それで『明日の帰りにでも女買ってくれ』って、そう言おうと思ったんですね。
もう我慢できなくてね。

で、ゆっくりと部屋に戻って、お金持って、音立てないように離れの縁側の方に行ったんです。
今考えると意味のある行動には思えないんだけれど、その時はそれしか考えられなくてね。

で、ゆっくり縁側に上って、で、どうしようかと思ったら、石川の部屋は丁度縁側の向うの部屋だったんですね。
彼女の声が聞こえたんですね。

「ああ、ああ・・・石川さん・・・」というような声でした。

堪えるような声で、石川の名前を呼んでる声でした。
ドキッとしまして、明らかに彼女の声は縁側の閉じた障子の向うから聞こえてきて、動く事が出来なくなって固まってしまったんですね。
声なんて掛けれるような雰囲気ではないような感じがしましたね。

で、耳を澄ませる位しかなくてね。
そうすると障子の向こうで石川が動く音と、「ああ、あああ、石川さん」というような彼女の声が聞こえるわけです。
なんだか頭は霞掛かったような状態なんだけど、身体を動かすわけにも行かなくて、私の時とどう違うだろう?なんて事を考えてました。

そのうちぼそぼそと石川が何かを呟くように言った後、彼女の声が高く大きくなりました。
そうして間断なく声を上げる彼女と石川の横で、目を瞑ってしばらくじっとしていました。
結局声は掛けられなくて、そのまま部屋に戻りました。

彼女はそれから2時間位して戻ってきてね。
私は寝たふりをしたんだけれど、彼女が本当に珍しく後ろからしがみ付いてきたりしました。

話はこれで終わりです。

それ以降、彼女は時折、甘えてくるようになってね。
何か心境の変化があったのか、それは判らないけれども、私も変わらずに彼女を可愛がりました。
彼女は戦後しばらくして病気で死んでしまったけれど、子供も出来なかったものだから私達は仲良く暮らしました。

私はその後、再婚して子供ができて、今はもうその連れ合いも死にましたが、息子の嫁の尻を撫でたり、時々こういうところを見に来るようなエロ爺をやっています。

つまらない昔話ですが面白く、読んでもらえたかな?
そうであれば嬉しいです。