私が母と関係を持って、もう6年近くになります。
当時、私は大学受験に失敗して浪人中でした。
世間では夏休みですが浪人中の私には休みもなく、受験の追い込みで予備校に通い、1日12時間以上も勉強をしていました。
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母は中学の教師をしており、夏休み中ですが、ほぼ毎日学校に出かけていました。
その頃の私は受験勉強のストレスもあり、以前にも増してオナニーの回数が増え、予備校をサボってはオナニーに耽っていました。
オネネタの映像だけでは物足りず、下着を盗んだり、風呂場を覗いたり・・・。
もう自分では制御できなくなり、とうとう警察に捕まってしまいました。

母が警察に迎えに来て、「もう絶対にこのようなことはさせませんから」と母が土下座して何とか帰してもらいました。

母と自宅に戻りました。
こんこんと説教されるものだとばかり思っていましたが、母の口から出た言葉は耳を疑うものでした。

「我慢できなくなって、本当にしようもなかったら、お母さんがしてあげるから。だから絶対に今日のようなことはもうしないで」

その言葉が終わると同時に母の手は私のチャックを下ろし、ペニスを扱きはじめました。
私が呆然としていると、勃起したペニスをしゃぶりだしました。
あまりの気持ち良さに私はすぐに射精しました。
母は精液を飲み込み、何度も何度も私の生気を吸い取ってくれました。

翌日からは、ほぼ毎日のように私は母に行為を求め、そのたびに母の手や口でイカされました。
夜、母の布団に潜り込むと、ごく自然に母は私のペニスを扱き、勃起したペニスを咥えてくれます。
回数を重ねて行くうちに私にも余裕ができ、豆電球の光に照らされた母の紅潮した顔、私のペニスを頬張り、舌で舐め回す時のいやらしい表情に見惚れました。
すると、母に対してこれまでとは違った欲望がムクムクと芽生えてきました。
今まではただ母の行為に身を任せているだけでしたが、その時から母の体に欲情するようになりました。

母は当時46歳で、大柄なほうでした。
胸元からは、かなり大きめの乳房が見え隠れして、捲れあがった裾からはグラマーな太股が見え、時折、その先にあるパンティが見えます。
私が勇気を出して母の乳房を掴んでも母はただペニスをしゃぶり続けており、胸元のボタンを外すとたわわに実った乳房がポロンとはみ出し、乳首が丸見えになりました。
指で乳首を刺激すると、すぐに乳首は硬くなり、ピンと立ちました。

母の後ろから抱きつき、パンティの中に手を滑り込ませて私は驚きました。
母のあそこはすでに湿気を帯びていたからです。
指を挿入すると、すんなりと受け入れ、その奥にはマグマにも似た熱い愛液が溜まっていました。
私が指を動かすたびに愛液が溢れ出し、すぐにビショビショになりました。

当時、私はまだ童貞でしたが、DVDなどで観たように母のあそこにしゃぶりつきました。
必死で舌、唇、鼻など顔全てで母のおまんこを刺激し続けました。
母は初めは私を突き放そうと手で抵抗しましたが、抵抗はすぐに収まりました。
母のまんこをしゃぶっている私の頭を手で撫でながら、時折口からいやらしい喘ぎ声が漏れ始め、そして母がイクのがわかりました。
我慢しきれないのか一段と高い喘ぎ声を上げながらマンコに擦り付けるように母の手は私の頭を押さえつけ、腰を浮かして自ら腰を動かしています。
その後も2度3度とイッたようで、母のマンコから溢れた愛液でシーツには大きな染みができていました。
一度火のついた母は私のペニス突かれながら、今まで聞いたことない淫獣のような喘ぎ声を上げていました。

この日を経験してから、私の悶々とした生活はピリオドを打ち、受験勉強も順調に進んで無事に志望校に合格しました。
しかし一度覚えた禁断の行為は止めることが出来ず、ダメだと思いながらも母の布団に潜り込みました。
私は母をイカせることに興奮を覚え、また母も私の行為を待っているかのように、マンコを刺激するとすぐに愛液が溢れ出しました。
以前は必死に声を押し殺していましたが、大胆に喘ぎ声を上げるようになりました。

そんな関係が6年続きました。
私は就職して人並みに恋愛も経験しましたが、やはり母からは離れられません。
母は教師を続けていますが、息子の私が言うのもなんですが、腰周りの垂れた肉がいやらしく、目元や口元も50歳とは思えないほど妖艶で、以前にも増して性に対して貪欲です。
お互いに、行くところまで行くしかないと覚悟しています。