高2の秋のことだ。
修学旅行で広島に行った。
(登場人物はすべて仮名)

旅行初日の晩には定番のアレがあった。
が、展開がちょっとおかしかった。

「俺は断然鶴田さんだな」
「俺も俺も」

隣のクラスには、鶴田さんという女の子がいた。
部屋の電気を消して、布団に包まって、廊下の足音に意を配りながら、ひそひそ声で、あの子がイイだのあの子はダメだの話し合うのが醍醐味だというのに、どいつもこいつも「鶴田さんがいい!」としか言わない。
なので、まったく議論にならない。
鶴田さんの顔は・・・今思うと、そんなに可愛いわけじゃなかったと思う。
整っているが、少し目がきつい感じ。
でも・・・。

「絶妙だよな、あの胸」
「ああ、あの体型にはあのサイズしかない。お尻もちょうどいい」
「手とかほっぺたとかさ、真っ白なんだよな」
「つうことはだよ、たぶんおっぱいも真っ白なんだぜ」

そうみんなが言うように、素晴らしいカラダをしていた。
短く切り揃えたショートカットで、しかもバレー部でバリバリ運動やってたから、お嬢様みたいな感じではない。
けど、持ち物や身なりはいつも小ざっぱりとしていて清楚な感じはあった。

「その白さの中で、乳首が際立ってピンクなんだぜ、たぶん」
「いや、ピンクというより、桃色というニュアンスであって欲しい」
「あー確かにわかるわ、それ」
「おおお、オレなんだか興奮してきた」

健康な男子19人が、押し込まれた大部屋で悶々としながら囁きあい、頷きあう。
僕も『桃色』というニュアンスには賛成だ。
囁き声だから誰が言ったのか判然としないけど、よくぞ言ったと褒めてやりたい。

僕は人の話を聞くのは好きだが、自分から語るのは苦手だ。
だからずっと黙ってた。
ところが、ずっとだんまりを決め込んでいる人間を見逃すようなクラスメイトたちではない。
隣の布団の奴が、「おい、お前はどうなんだよ?」と水を向けてきたのだった。

あーあ、やっぱりしゃべんなきゃダメかなあ。
しゃべりたくないな・・・。

実は僕も鶴田さん派だった。
いや、ちょっと違うかも。
違うな。
おっぱいがどうとか、もちろんそういうのにも興味はあったが、純粋に好きだったんだと思う。
1年のときにクラスが同じで、緑化委員を一緒にやってた。
あんまり口を利いたことはなかった。
メアドとかも聞いてない。

けど、週に1回まわってくる花壇の手入れの時には、僕も鶴田さんも生真面目にさぼることなく草むしりをした。
放課後の時間、5時半きっかりに昇降口の隣で待ち合わせをする。
鶴田さんはバレー部を抜け出してくるからショートパンツ姿のままだった。
花壇の手入れは10分もあれば終わってしまう、その間、触れそうで触れない距離にある彼女の太ももが視界の端をちらちらと行き来する。
高校生の男子に、そういうのはダメだ。
僕が、いつも劣情を抑えるのに必死だったのは言うまでもない。

ふだんは寡黙な鶴田さんだったけど、花壇の手入れのときはしばしば歓声をあげることがあった。
好きな花が咲いているのを見つけたときだ。
特に秋に多かったような気がする。
秋の花が好きだったんだろう。
一番よく覚えてるのが、紫色のベルみたいな形の花を見つけたときだ。
ハスキーで低めの声の鶴田さんが、いかにも女の子らしい声を出して僕を呼んだ。
それも確か秋口のことだった。
びっくりした僕がきょとんとした目を向けると、鶴田さんは我に返ったのか目を伏せて、その紫の花を指差した。

「これ、こんなところに生えてる。普通は山に生えるんだよ」

ツリガネニンジンていう草なんだ、と教えてくれた。

「これ、ほんとは雑草なんだけど・・・、見逃していいよね?」

慈しむようにその雑草に目を落とす鶴田さんの佇まいに、僕はすっかりやられた。

「おいおい小林、もったいぶんな、早く言えよ」

みんなが口々に急かしてきた。
あんまり言いたくないんだけどなあ。
仕方なく空気を読んで、適当にお茶を濁そうと思ったら、だしぬけに廊下から乱暴な足音が聞こえてきた。
生活指導の遠山のそれであることはみんな、すぐに察知した。
こういうときの連携は素早い。
僕らは一気に気配を消し去って、目を固く瞑った。

みんなが鶴田さんのことを笑い話にできるのは、彼女に抱いている興味が主にシモ関係のことだったからだ。
僕の場合は、そういうのとはちょっと違う。
僕にとっては、好きな女の子が誰かとか、その子のどこが良かったとか、毎日顔を合わせてる連中に暴露するのはあまりにも恥ずかしいことだった。

鶴田さんは目つきがちょっときついせいで、「怖そう」とか「近づきがたい」とか言われてる。
でも僕はその目つきが、彼女の中で際立って魅力的なところだと思ってる。
確かに冷たい印象は受けるかもしれない、けど絶対に笑ったら可愛いと思うんだよ。
だから、言わないで済んで良かったと、その晩、眠りに落ちる前には思った。

でも次の日、僕はもっと恥ずかしい目に遭って、昨日さっさと白状しておくんだったと後悔することになる。
泊まっていたホテルは宮島で、厳島まで歩いて行ける距離だったから、翌朝の朝メシ前、希望者は散歩がてらお参りに行くことが許されていた。

あの後、数回、見回りの足音が聞こえたらしい。
遠山の足音をやり過ごした連中は、その後も囁き声でああでもないこうでもないと話し合ったらしいが、僕はとっとと眠ってしまった。
宿の布団がなかなか寝心地が良かったのもあって妙に目覚めが良かったから、同じ境遇の杉田と生熊の2人を誘って、僕も散歩に出かけることにした。
これがまずかった。
というのも、誘った2人は自分らが寝落ちしてしまったのを心底残念がっていて、神社への道すがら延々と話の続きをしたがったからだ。
初めはそいつらが話す内容に相槌を打っていれば良かったが、ちょうどあの赤い大鳥居が見えてきた辺りで、彼らの話題は尽きてしまった。
そして僕をせっついた。

「そういやお前、どの子が好みか言ってねえじゃん」

「あ!そうだよ、言いかけたところで遠山のやつが・・・」

うっかり声が大きくなってしまったのを引率に来ていた遠山が咎めて、じろっとこっちを睨んできた。
何度も見回りしたんだろう、ものすごく眠そうだ。
悪い人ではないんだろうけど真面目すぎる。
生徒が悪さをしたときだけ出動すればいいのに。
また僕らはひそひそ声になる。

「おお、いけね。あいつ来てるんだった」

「それより小林、早く言えよ」

周りを歩いている同級生たちは建物を見上げて上の空になってた。
それにちょうど物陰だったし、しゃべる相手も今なら2人だけだし。
あんまりしつこく聞かれるのに、断ったら気分悪くさせちゃうかもしれないし。
そう思った僕は2人に顔を寄せて言った。

「鶴田さん」

僕は努めて小声で言ったのだ。
ところが生熊が、ああやっぱりなといった風で・・・。

「やっぱり小林も鶴田さんか!」

「あほ!声がでかいよ」

と言っても、張り上げた声ではなかったから周りに気付かれた様子はない。
僕らは一瞬ぐるりと辺りを窺って安堵した。

「わりいわりい」と生熊。

「勘弁してくれよ」と僕。

僕の狼狽えぶりに杉田は笑った。

「お前、慌てすぎだろ。なんかマジっぽいぞ」

図星を突かれた僕はさらに赤面してしまう。
えい、もうやけくそだ。

「マジなんだよ。好きなんだよ。悪かったな」

僕が(あくまで囁き声だが)はっきり言い放つと、生熊も杉田も一瞬呆気に取られたようだった・・・。
と、思ったら違った。
2人の視線は僕の後ろに向けられていて、(なんだろ?)と思って後ろを振り返ったら、建物の陰からひょっこり人の顔が覗いていて、(誰だ?)と思ったら、それは話題の鶴田さんだった。
死ぬかと思った。

「あー、なんか邪魔みたいだし、俺ら行くわ」

生熊と杉田はすたこらと、もと来た方へ逃げていく。
すっごいニヤけながら。
神社のことなんかどうでも良かったらしいあいつらは、とっとと宿へ引き返して、この話をネタに洗面所でヒソヒソと盛り上がるんだろう。

何が「なんか邪魔みたいだし」だよ。
こうなったのはあいつらのせいなのに。
最悪だ・・・。

鶴田さんは前髪ぱっつんでショートだ。
傾けた顔にサイドの黒髪がかかって片方のほっぺたが隠れている。
そんな彼女が、朱塗りの柱の陰からひょっこり顔だけ出している様は、いたずらしに現れたおかっぱ頭の座敷わらしみたいだった。
いや、座敷わらしは見たことないけど、あんな感じだと思う、きっと。

自分の顔が真っ赤になっているのがはっきりとわかった。
きっと彼女の方から見た僕は、赤鬼かナマハゲみたいになっているはずだ。
座敷わらしは黒目を動かさず、まっ白い顔をこっちに向けてひと言も話さない。
しばらく僕のほうも何も言えないでいたが、髪で隠れてないほうの頬にちょっとピンク・・・、いや桃色が差したのが見えて、ようやく口を利くことが出来た。

「何してるの?」

すると、おかっぱ頭はひょいと物陰に引っ込んだ。
その後について行くと、物陰にある柱の根元に紫色の花が幾房。
いつぞやのツリガネニンジンが咲いていた。
そういえば、ちょうど今は秋だったっけ。
鶴田さんはあずき色ジャージの姿のまま直立していた。
桜色に頬を染めるはかなげな風情とは裏腹に、彼女は極めて単刀直入だった。

「さっき言ってたこと本当?あたしのこと好きなの?」

さらには極めて疑り深かった。

「本当?」
「ドッキリとかじゃなくて?」
「冗談でもなくて?」

最初の1回頷くのでさえ、恥ずかしさでこめかみから血を吹きこぼしそうになったというのに。
僕は何度も頷かなければならなかった。
頷くべきか誤魔化すべきかについては、なぜか迷わなかった。
何度も何度も鶴田さんは僕に念を押して、ようやく納得すると・・・。

「うん。・・・うん。うん。わかった」

そう言って、その場を離れていった。

(あれ?そんだけですか?)

その後の旅程といったらなかった。
鶴田さんから何かしらのアプローチなりコンタクトなりあると思っていた僕は、彼女の姿が見えるその度に、さりげなく人のいないところに移動したり、こわばる顔を気合いで抑えて笑顔を作ったりして、話しかけやすい雰囲気作りに腐心し続けた。

ところが、なーんもなかった。
たとえば消灯時間ギリギリまで、用もないのに風呂場の前の自販機横に佇んでみた。
鶴田さんは友達と談笑しながら湯上りの匂いを残して通過した。
あるいは平和祈念公園で見つけた紫色の野草(ツリガネじゃないやつだったけど)を小1時間見つめ続けたりもした。
しかし彼女は、花にも僕にも気付かなかった。
ついには痺れを切らし、縮景園の庭で、すれ違いざまに目を合わせた、というよりガン見した。
が、彼女にとって僕は風景の一部に過ぎないようだった。
最終日、同じクラスの連中が妙に優しかったのは、彼らの見解が、『僕は鶴田さんにフラれた』ということで一致したからだろう。
いや、実際フラれたも同然だ。
SAで生熊がフランクフルトを奢ってくれたけど、あまりの惨めさで味がしなかったもの。

結局、鶴田さんから連絡が来たのは修学旅行から帰った晩のことだった。
くったくたに疲れていたから(主に精神的に)、晩飯も食わずに寝てしまったので、気がついたのは次の日の朝。
知らないメアドからのメールで、送信時刻は深夜の2時半、なぜか立て続けに6通も来ていた。

『明日、1時半に、町の総合運動場まで来て欲しいんだけど』
『あ、ごめんなさい。都合も聞かないで一方的だよね。1時半から待ってます』
『遅くなってもいいです、待ってるから。1時半以降で都合のいいときでいいから』
『絶対に来て。何も持たないで来て』
『あ、ごめんなさい。もしどうしても無理ならいいです』
『何度もごめんなさい。私は鶴田です。小林君のアドレスは篠原先輩に聞きました』

(ドジっ娘なのかな?)

寝ぼけ半分に思ったのも束の間、視界に入った時計の針で一気に目が覚めた。
現在、12時42分。

1時半までは、あと50分弱しかない。

落ち着いて頭を整理してみた。
町の総合運動場は家から自転車で30分はかかる。
いくら『1時半以降ならいつでも』とあるとはいえ、女の子を待たせるのはいかがなものか。
日曜日だから服も見立てないといかん。
そう考えると、すぐにでも家を出る準備をするのがベストだ。
しかし昨日はメシはおろか風呂も済ませずに寝てしまった。
秋になったとはいえ、荷物が重くて結構汗もかいた。
このまま行くのは体臭的な観点からまずいかも。
いや、確実にまずい、あの人きれい好きだもん。

よし!

僕はクローゼットとタンスを開け放し、中にある服をあらかた記憶すると一階の風呂場へ転げ下り、シャワーを浴びながらコーディネイトを考えた。
右手で体を洗いながら左手で歯を磨き、体を拭くと生まれたままの姿で部屋に駆け上がり、考えていた服を一気にまとった。
さらに洗面所へ突撃して髪を乾かし、見苦しくない程度にワックスで整えて玄関を飛び出した。
僕のすっぽんぽんを見てしまった幼い妹の泣き声、洗面所でヒゲを剃っていたら理不尽にも突き飛ばされた親父の怒号が聞こえた気がしたけど関係ない。
本当に人間というのは努力によってなんとでも苦境を跳ねのけられるもので、僕は普通なら30分かかる道のりを21分で走破し、総合運動場の入り口へは1時20分に到着した。
僕は自転車を停め、水を買って一服ついた。

(そういえば、いったい何の用なんだろうか?)

携帯を取り出してメールを見てみるが、6通もある割には内容が簡潔すぎる。
文面には鶴田さんの真意がわずかも漂っていない。
状況からは、『改めてゴメンナサイをされる』というのがもっともあり得るパターンだと思う。
妹に全裸を晒し、親父をどつき飛ばし、自転車を飛ばしているときの僕は焦るばかりで、ちっともその点に気がついていなかった。
もしそうなら、とんだ取り越し苦労になる。
一番ありそうだけど、考えたくない結末だ。

でも・・・と思うところもある。
鶴田さんは僕のメアドを篠原先輩から教わったと言う。
篠原先輩というのは昔通ってたスイミングクラブ時代の友達で、今は同じ高校の先輩後輩になっている。
先輩は高校入学と同時にスイミングをやめてバレーボール一本に絞り、今年の県大会ではうちの高校をベスト4まで持っていった人だ。
女だけど頼れる兄貴みたいな人で気兼ねがいらない。
今じゃ一応先輩って呼ぶけど、話すときはタメ語でしゃべってる。
だけど、篠原先輩はバレー部の同級生や後輩相手には恐ろしく厳しくしているらしい。
本人もそう豪語してたし、噂もそれを裏付ける。
鶴田さんは、まさにそのバレー部の後輩にあたる。
先輩の口から鶴田さんと特別親しいような話は聞いたことがないし、気安く僕のアドレスを聞き出せる間柄とは思えない。
ひょっとしたら、旅行中は照れくさくて言えなかったことを、どうしても僕に伝えるため、わざわざおっかない先輩にアドレスを問い合わせたんじゃないか?
そんなことも考えられなくはない。

ここまでの思考に1分とかからなかった。
満を持して僕は鶴田さんを待った。
駐車場の縁石に腰をかけて野球少年がガリガリ君を食べていた。
待ってる時間、目の前の風景はまるで他人事のようだった。

<続く>