(温泉、久しぶりだなぁ)

しばらく山道を走っているうちに看板が目に入りました。
ハンドルを切って左折します。
未舗装の道を進んで行きました。
5分も経たないうちに道沿いに建っている温泉旅館が見えてきます。
200mぐらい走る間に3~4軒の旅館を通り過ぎました。

道路わきを曲がったところに目立たない駐車場がありました。
地味な案内板が出ています。
一番奥に車を停めました。
場所はここで間違いありません。
調べた通りなら、この先に公共の露天温泉があるはずです。

荷物をまとめました。
着替えられるように、元の服も詰め込みます。
スポーツサンダルに履き替えてトートバッグを持ちました。
車を降りて案内板を見てみます。
さびれた温泉地でした・・・というか、さっき通過した何軒かの温泉旅館以外には何もありません。

駐車場の奥から、裏に抜ける歩道があるようです。
案内板によれば、それが温泉へ向かう道になっています。
それにしても、ひとっ子1人見かけません。
こんなに暑い日だから、なおさらなのでしょうか。

結構ワクワクしてきました。
ひょっとしたら、私が行ったこともないような秘湯が待ち受けているのかもしれません。
そんな気がしてきて、ちょっとした冒険気分になってきます。

駐車場の裏はすぐに森でした。
整備が行き届いているとは言い難い、でこぼこな歩道を進んでいきます。
そういえば駐車場には私の車以外に停まっていた車はありませんでした。
ということは・・・もしかしたら、私1人で貸し切り状態になるかもしれません。
果たしてどんな温泉が待っているのか・・・。
期待が高まってきます。

歩道の片側は、ほとんど崖のようになっていました。
身を乗り出すように覗き込むと、遥かか下の方に流れている川が木々の間から見えます。
さらにもう少し行くと、朽ちかけた木の表示が立っているのが見えてきました。
色褪せて消えかけたような字で、『◯◯湯→』と書かれています。
ありました、ここです。
歩道の横から下におりていく階段道が伸びていました。

足元に気をつけながら階段道を下っていきます。
幅1mぐらいしかない急こう配の階段道でした。
崖に沿うように、どんどん下におりていきます。
右にカーブすると、いきなり眼下に視界が開けました。
渓流の川べり沿いに設けられた、露天の岩風呂が目に飛び込んできます。
と同時に・・・。

(・・・あ!人がいる・・・)

お湯に浸かっていたその男の人が私を見上げました。
思いっきり目が合ってしまいます。
どきっとしました。

(誰もいないかと思ってたのに)

たった1人だけですが、男湯には先客がいたのです。
しかも階段道から見えてしまうなんて・・・。

(こっちを見てる)

下まであと10mぐらいでしょうか。
メガネをかけたままお湯に浸かっているその人は、じっと私を見上げています。
・・・行くしかありません。
内心ちょっと動揺しながらも、丸見えの男湯を見下ろす感じでおりていきます。

階段道を降りきったところが、そのまま男湯でした。
奥の方に古びた木戸が見えます。
あれが女湯への入口のようです。
男湯の中を通って女湯に行くというのには驚きでしたが、川べりの狭さを考えれば構造的にやむを得ないのでしょう。
少し気まずいながらも、じっと私を見ているメガネのその男性に会釈しました。
50歳手前ぐらいの男の人です。
髪がもじゃもじゃで、かなり痩せたおじさんでした。
私が目を伏せたまま前を通ろうとすると・・・。

「こんにちは」

にこやかに挨拶されました。
まさか声を掛けられるなんて思ってもいなかったので・・・。

「えっ、あ・・・すみません」

思わずどぎまぎしてしまいます。
お湯の中とはいえ相手は裸です。
ちょっとびっくりして声が上擦ってしまいました。
そして不必要に焦ってしまいます。
でも、メガネさんはそんなことお構いなしでした。

「暑いですねぇ、おひとりですか?」

人懐っこい感じで話しかけてきます。
なんとなく無視するわけにもいかなくなって、「ええ、まあ」と適当に返すと・・・。

「ああ、そうですかぁ、僕もなんですよ」

まるで仲間を見つけたみたいに嬉しそうな顔をしています。
後ろの岩の上にコンビニの袋が置いてありました。
缶ビールがいくつも入っています。

(酔ってるんだ)

空になって潰した空き缶が2~3個、横に置かれています。

「温泉巡りが好きでよく来るんですけどねぇ、こちらは初めて?」

間を置かずにメガネさんがどんどん話しかけてきます。

「ええ、はい」

内心では、(ずいぶん馴れ馴れしいなぁ)と思いつつ、ここで変に気まずい気分になるのも嫌なので適当に話を合わせます。
透明のお湯が揺れています。
その揺れにも、すぐ目が慣れてしまいました。
私の顔を見つめながら・・・。

「ここの露天はなかなか良くてねぇ」

そう言うメガネさんのおちんちんが、お湯の中で見えてしまっています。

(ちゃんと隠してよ)

正直、おじさんのそんなもの見たくもありませんでした。
困ったように目を逸らす私をよそに・・・。

「やっぱり本当の温泉好きは、こういうとこを求めて来るんですよねぇ」

メガネさんは、どんどん話しかけてきます。

(酔っ払いかぁ、面倒くさいなぁ)

でも、下手に機嫌を損ねて絡まれたりしたら・・・もっと面倒なことになる可能性が大です。
周りに人気がないだけに、なおさらトラブルはごめんでした。
とりあえず、お愛想程度にニコニコと頷いておきます。

「前に行った◯◯温泉なんて・・・ほとんど登山でしたよ、あれは」

一方通行のおしゃべりは、もう止まりません。

(早く行かせてよ)

私はこれからお風呂に入ろうというのに、こんなところで酔っ払いのおじさんに捕まるなんて予定外です。

(困ったな・・・)と思っていたら・・・。

「いや、さっきから気になってるんですけど」

今度はいきなり口調が変わります。

「あなた・・・」

私の顔をまじまじと見て・・・。

「お天気お姉さんの◯◯さんにそっくりですよね?」

メガネさんは、至って真剣な眼差しです。

「もしかして、ご本人?」

初めて聞く名前で、誰のことを言ってるのかわかりませんでした。

「いえ、違います」

首を横に振って否定します。
それでも『お見通しだよ』とでも言いたげな口調で・・・。

「◯◯さんなんでしょ?」

(誰それ?)

本当にまったく聞いたことのない名前です。
メガネさんは1人で勝手に嬉しそうです。

「いやぁ、こんなところでぇ・・・」

さすがにイライラしてきました。

(違うってば)

なんだか面倒なことになってきたと思いました。
この人は、見た目以上に酔っぱらっているのかもしれません。

(あまり関わっちゃいけない・・・)

やはりここは適当にやり過ごして、あしらってしまうのが無難です。
内心呆れながらも、「本当に違いますよ」と、きっぱり否定しておきます。

「すみません、失礼します」

さっとその場を離れました。
そのまま足早に女湯に向かいます。

(まったく、もう)

あの人が根が悪い人じゃないのはわかります。
でも、せっかく山奥の露天風呂までやって来たのです。
リラックスしたいのに・・・。
こんなところで酔っ払いの相手なんてごめんでした。

ガタッ。

木戸を開けて女湯側に入ります。
石垣のような部分を折り返すと、そこが女湯でした。
女湯には誰もいませんでした。
男湯とは違い、左右には目隠しのすだれのようなものが立てかけられています。
一応周りからは隠れる造りになっていました。
でも、かなり狭くて、こぢんまりしています。
スペース自体が、せいぜい5m×5mぐらいでしょうか。
その中央が小さな湯だまりになっているだけです。

(さあ、入ろう)

気持ちを切り替えます。
1人っきりになれたことで、ようやくほっとしていました。

(のんびりしよう)

適当な場所でサンダルを脱ぎます。
まさに渓流沿いの露天風呂でした。
中央の湯だまり以外には何もありません。
もちろん脱衣所もありませんでした。
乾いた石のところにトートバッグを置きます。
脱いだ服を丸めてその上に重ねていきました。
下着も取って全裸になります。

結構汗をかいていたので、そのまま入るのは気が引けました。
古ぼけた手桶が1つ転がっています。
それでお湯をすくって何度か体にかけました。
そして湯だまりに入ります。
思ったより熱くてびっくりです。

(川沿いだからぬるいんだろうな)と思っていましたが、そうでもありません。

「ふうぅ」

素晴らしい景色でした。
左右こそ、すだれで囲まれていますが、正面には何もありません。
こうしてお湯に浸かっている私の数メートル先・・・一段低くなったところに川が流れています。
照りつける日差しに反射して、流れる水がキラキラ光っていました。
見ているだけで清々しい気分になります。

(いい気持ち)

お湯の熱さに強張った体が解れていく感じがしました。
それにしても、いい天気でした。
木漏れ日の光の眩しさと、木の影の暗さのコントラストが岩場に鮮やかに映えています。
聞こえてくるのは蝉の声と川が流れるせせらぎの音だけでした。

(あー、幸せ)

贅沢な気分です。

(寄り道して良かった)

こんな露天風呂を独り占めできるなんて本当にラッキーです。
どちらかというと熱いお風呂が好きな私ですが・・・それでも長湯はしていられませんでした。
すぐにのぼせそうになってしまいます。

(ふー、あっちい)

湯だまりの縁に腰かけます。
露天スペースの端っこはコンクリートになっていました。
側面がそのまま護岸のようになっています。
なんとなく身を乗り出して、下を覗き込んでみます。
とは言っても、下までは1.5mぐらいの高さしかありませんでした。
下りようと思えば、そのまま下の川べりに出れそうです。
お天気続きで水量が少なくなっているのか、流れはすごく穏やかです。

(あの冷たそうな川の水に足を入れてみたい・・・)

さぞかし気持ちいいんだろうなという気がします。
またお湯に入りました。
ぼけーっと、遠くの山を眺めます。
開放感いっぱいで、いい気分です。

(こんな山の中に私たった1人)

あ、違うか・・・。
隣の男湯には、あのメガネさんもいます。
でも、まあ、女湯が私の貸し切り状態なのは間違いありません。

このときになって、ようやく気づきました。
このシチュエーションは、チャンスといえばチャンスです。

(あのおじさん・・・)

私を誰かと勘違いしかけていました。
きっぱり否定して逃げてきたけど・・・。
でも、あのおじさん、いきなり現れた私に話しかけながら、あんなに嬉しそうにしてた・・・。
邪な思いが頭の中をよぎりました。
心の中で衝動が湧き上がってきます。
絶対にチャンスでした。
さっきの沢で、一度は完全に諦めたのに・・・。
ここに来て、まさかのこのシチュエーションです。

(もしあの人に女湯を覗かれたら・・・)

何も知らずに覗かれてしまう“可哀想なお姉さん”をイメージしていました。

(あんなおじさんに裸を見られるなんて)

想像しただけで泣いてしまいそうです。

(やれる?大丈夫?)

さっきみたいな子供相手とは違います。
今度は大人だと思うと、どうしても躊躇いがありました。

(どうしよう・・・)

頭を使って考えます。

(どうすればいい?)

わざと見せていると相手に知られてしまうのは絶対に嫌でした。
可哀想な覗きの被害者として、最後まで何も知らないふりを通す・・・。

(でも、どうやって?)

イメージが浮かばないわけではありません。
でも、私にできるでしょうか・・・?

もう一度、コンクリート部分から身を乗り出しました。
護岸の外側を確認してみます。
高い岩場を挟んではいますが、男湯と女湯はほぼ隣り合わせでした。
距離的にはたいして離れてはいません。

(できる)

男湯と女湯とで、そこから眺める川の景色の範囲はほとんど共通です。
確信しました。

(今ならできる)

ぐずぐずしていたら、またチャンスを逃してしまうかもしれません。
さっきの二の舞を踏む気はありませんでした。

(今度こそ)

サンダルを履きました。
露天スペースの端っこに行きます。
コンクリート部分に両手をつきました。
体の向きを反転させて・・・両腕の力で体重を支えながら、そっと護岸の下におりてしまいます。
幅1mぐらいの川べりの土台のようなところに立っていました。
ドキドキしていました。
タオルひとつ持たず、真っ裸で外におりてしまっています。

(大丈夫)

気持ちは固まっていました。
すぐそこ・・・ちょっと流れのあの辺りまで出て、すぐ戻ってくるだけです。
土台から水の中へとゆっくり足を下ろしました。

(冷たい)

でも気持ちのいい冷たさです。
深さは、足首が浸かるぐらいまでしかありません。
水が透き通っていました。
清流と呼ぶにふさわしい綺麗な川でした。

まだ男湯からは死角の位置です。
流れは思ったより全然ゆるやかでした。
一応スポーツタイプのサンダルを履いています。
水の中で石を踏んでも怪我することはありません。

(おじさん・・・見てて)

お湯にのぼせた女が、川の水に触れようと、つい下りちゃった・・・。
そんなまぬけな女を演じて見せるのです。
砂利を踏みしめるように川の中へと足を踏み出しました。

ばしゃっ・・・ざしゃっ・・・。

これで、位置的にはもう男湯からも見えてしまっているはずです。
でも、そっちを振り向くなんて出来ませんでした。

(おじさん、気づいて)

本当に、一糸まとわぬ真っ裸です。

(ほら、私・・・裸が丸見えだよ)

<続く>