ただ、付き合い始めるときには少し問題もあった。
俺と日奈子は同じ大学のサークルに所属していた。
そして、もう1人、拓也という同じ年の男がいて、俺達3人は一緒に行動することが多かった。
拓也はどこから見てもイケメンなんだけど、中身は素朴な田舎の兄ちゃんという感じで、なおかつ初めの頃は少しなまりもあり、顔は良いのに弄られキャラという感じだった。
そんな拓也が、ある日、俺に相談をしてきた。
日奈子のことが好きで、交際したいという内容で、俺は協力することを約束した。
もちろん俺も日奈子には好意を持っていたが、俺ではまったく釣り合わないと諦めていたので、キューピット役に徹しようと自分の想いを殺した。
そして俺は色々と動いたのだけど、結果だけ言うと、俺と日奈子が付き合うことになってしまった。
日奈子は信じられないことにもともと俺の方が好きだったようで、拓也もそれを聞いてあっさりと諦めてくれた。
拓也を裏切ったような形になり、俺は凄く心苦しかったのだけど、拓也の方が「気にするな」と言ってくれて、その後は本当にわだかまりもなくそれまで通りに接してくれた。
そして卒業し、2年も経たずに結婚した俺達を拓也は本当に心から祝福してくれた。
その拓也が、病魔に冒されてしまった・・・。
膵臓がんということで、自覚症状もなく、会社の健康診断で発覚したそうだ。
すでに手の施しようがないそうで、そんなことはとても信じられなかった。
拓也は痩せてもいないし、苦しそうでもなく、健康ないつもの拓也に見えたからだ。
それに拓也の家系にガンの人がいると聞いたこともなかった。
なので、それを聞かされたときに俺は、「悪い冗談はやめろ」と言いかけた。
でも、拓也がそんな冗談を絶対に言わない男だということを思い出した・・・。
それを聞いてから拓也と過ごす時間が増えた。
日奈子には拓也の希望もあって病気のことは言わなかったが、何となく日奈子も感づいているのかなと思うこともあった。
そんなある日、俺と拓也の2人で飲んでいるとき、話の流れで後悔していることの話題になった。
拓也は、結婚出来なかったことが心残りだと言った。
拓也は言わなかったけど、それは日奈子と結婚出来なかったことが・・・という意味だと思った。
俺は少し痩せてきた拓也を見て、迷いに迷った挙句、日奈子に打ち明けた。
そして俺の思いと希望をぶつけてみた。
俺が言ったのは、拓也の病気のことと、拓也と結婚して一緒に夫婦として過ごしてやって欲しいということだった。
もちろん重婚なんかは出来ないので、事実婚というような感じでという意味だが、俺は本気でそう思っていた。
親友として、同じ女を愛した男として、そうしてあげたいと心から思ってのことだった。
「やっぱりね・・・。そうじゃないかって思ってたよ。でも悠斗はそれで良いの?悠斗がそれでいいなら、私もそうしてあげたい・・・。ううん、そうしたいと思うよ」
日奈子は言い直した。
たぶん、「してあげたい」というのが、上からな感じがして言い直したのだと思う。
がさつで気が回らない俺に比べて、日奈子はこんな心配りも出来る女だ。
つくづく俺には過ぎた嫁だと思う。
そして俺と日奈子は、そうすることを決めた。
次の日、拓也を自宅に呼び、その話を始めると、「な、なに言ってんの!そんなのおかしいって!別に俺、そんなの望んでないし!」と、拓也は珍しく慌てた感じで言った。
病気のことが発覚して以来、1周回って達観したような感じになった拓也は喜怒哀楽が薄くなったようになっていた。
それが、今は顔を真っ赤にして慌てている。
「私じゃ不満?ひどくない?拓也のくせに生意気だよ!」
おどけた感じで言う嫁。
いつものノリだ。
でも、嫁は目が真っ赤だ。
今まで薄々気がついていたとは言え、ハッキリと拓也があと1年も生きられないとわかった今、涙をこらえるので必死なのだと思う。
「そんなことないよ!不満なんてあるわけない!でも、そんなの悪いし」
「悪くないよ。そうしたいの。私もずっと拓也のこと好きだったんだから・・・」
嫁はハッキリと言う。
「・・・ありがとう・・・」
拓也は戸惑った顔でそう言った。
もちろん、これであっさりと話が進んだわけではない。
その後も何回も話し合って、そして拓也と日奈子は結婚することになった。
結婚式の前日、と言っても教会で俺達3人だけで挙げる式だが、日奈子は本当に悲しそうだった。
結婚式後も、色々なことを考慮して、結局俺達の家で3人で同居するのだけど、それでも日奈子は1日中泣きっぱなしだった。
「悠斗、ゴメンね。嫌いにならないでね・・・」
そう嫁は謝り続けた。
俺が言い出したことだし、日奈子が謝る理由なんてないのだが、何度も何度も謝ってきた。
俺は、その度に「嫌いになるはずがない」ということと、「拓也に心残りがないようにしてあげよう」ということを話した。
そしてその夜は、俺と日奈子は激しく燃え上がった。
明日から、籍はそのままで期間限定とは言え、日奈子が拓也の妻になる・・・。
そう思うと愛おしくて仕方なかった。
ただ、このタイミングで妊娠してしまってはまずいという判断で、コンドームをしてのセックスだった。
それでも俺は夢中で日奈子を求め、何度も何度もキスをして、「愛してる」と言い続けた。
日奈子も、いつも以上に激しく反応し、目を真っ赤にしながら何度も「愛してる」と言ってくれた・・・。
次の朝、日奈子は先に起きて、朝食を作って俺が起きるのを待っていた。
「おはよ~。食べたら美容室行ってくるから、先に教会で待っててね」
嫁は昨日とは違って笑顔だった。
吹っ切れたように良い笑顔の嫁を見て、俺は複雑な気持ちだった。
俺が言い出したことなのに、今さらだけど、やめたい・・・。
そんな気持ちになってしまった。
でも、嫁に促されて朝食を食べ始める。
嫁もテーブルにつき、一緒に朝食を食べる。
それが終わると嫁は美容室に向かって行った。
俺はスーツに着替え始める。
白いネクタイをして、結婚式に出席する人の姿になる。
そして戸締まりをして教会に向かって出発した。
不思議な感覚だった。
今日からしばらく夫婦ではなくなる・・・。
形だけとはいえ、喪失感が凄かった。
教会に着くと拓也はもう来ていた。
タキシードを着て髪型も決めた拓也は、絵に描いたようなイケメンで、男の俺が見ていてもドキッとするほどだった。
その拓也がガチガチに緊張した顔で俺に挨拶をしてきた。
「なに緊張してんだよ。人生最大の見せ場だろ?」
俺は、とてもこの男が余命1年もないとは信じられなかった。
ネットで調べると、闘病生活後半は、痛みでモルヒネ漬けのようになるそうだ。
そうなってしまっては、もうまともな生活は不可能になる・・・。
そう考えると、余命は1年であっても、加奈子と夫婦でいられるのは半年もないのかも知れない・・・。
そう思うと、俺は日奈子を一時的とはいえ奪われることへのジェラシーよりも、友を失う悲しみの方が大きく、自然と涙が溢れ出してしまった。
「悠斗・・・。俺さ、お前が羨ましくてしかたなかったんだ。本当は何度も、日奈ちゃんを奪ってやる・・・。そんな風に思ったことが何回もあったよ。でも日奈ちゃんはお前じゃなきゃダメなんだよ・・・」
拓也も目を真っ赤にして言ってくる。
「日奈子のこと泣かせるなよ!」
俺は精一杯の強がりを言った。
「約束する」
拓也は静かに、でも力強く言った。
そして日奈子がやって来た。
タクシーでやって来た日奈子は、メイクと髪型が決まっていて、日々見慣れている俺さえも、あまりに綺麗で見惚れてしまった。
日奈子のドレスは、あらかじめ持ち込んである。
「お待たせ~。拓也、格好いいじゃん!結婚式場のCMに出てきそうだよ!」
拓也を見て、少し頬を赤くして言う日奈子。
俺は正直、嫉妬していた。
「日奈ちゃんこそ、綺麗すぎて緊張しちゃうよ」
拓也は、お世辞なんかではなく本心で言っていると思う。
「あれぇ?拓也って、そんなお世辞言うキャラだったっけ?でも、ありがとう」
日奈子は心底楽しそうに見える。
俺は心がざわつくのを感じていた。
日奈子は控え室に向かう。
1人で着替えられるか心配だったが、教会の人が手伝ってくれるという段取りらしい。
そして俺達は神父さんに挨拶をする。
この教会は、小学校の頃の俺が英会話学校で通った所だ。
そして神父さんも、その当時から知っている人で、今回の特殊な事情を話したら快く協力してくれることになった。
そして準備が整った。
普通の結婚式みたいに、父親との入場や、音楽なんかの演出はない。
バージンロードを拓也と日奈子が一緒に歩いてくる感じだった。
俺はそれをベンチに座って見ているだけだった。
2人は腕を組んだりすることもなく普通に歩いてくる。
日奈子はウェディングドレスを着ているが、ベールまではしていない。
ロングの手袋をして、真っ白なドレスを身にまとった日奈子は本当に清楚なお姫様みたいだった。
日奈子は少し緊張している感じはあるが笑顔だ。
それに引き換え、拓也はガチガチに緊張している。
歩き方まで少しぎこちなくなっている。
日奈子は2回目の結婚式なので、そのあたりの違いが出ているのだと思う。
そして神父さんが話を始めた。
事情がわかっているので通常の結婚式で言うようなことではなく、友情の話を交えて命の尊さを話してくれた。
その話の後、永遠の愛を誓うかと問われ、日奈子も拓也も誓いますと答えた。
俺は永遠の愛を誓った2人を見て嫉妬も感じていたが、素直にお似合いの2人だなと思ってしまっていた。
そして指輪を交換して、誓いのキスをする2人・・・。
目を閉じて少し上を向く日奈子。
拓也は緊張した顔で日奈子に顔を近づけていく。
すぐに軽く唇と唇が触れる。
唇が触れるだけの軽いキスだったが、俺は人生で最大のショックを受けていた。
キスを終えた後、日奈子は俺を見た。
そして、一瞬悲しそうな顔をした後、再び拓也に向き直った。
しばらくして式は滞りなく終わった。
日奈子は控え室に行き、俺と拓也は2人きりになった。
「悠斗、俺、もう満足だよ。本当に十分だ。これで終わりでいいよ。ありがとうな」
拓也はしんみりとした顔で言う。
俺は、さっきのキスでショックを受けていたので、拓也の申し出を受けてこれで終わりにしようと思った。
そこに日奈子が戻ってきた。
「あなた、お待たせー。早く帰ろう!」
元気いっぱいに声を掛けてきた日奈子は、そのまま俺の前を素通りして拓也の手を握った・・・。
「い、いや、でも・・・」
口ごもる拓也。
「早く帰ろう。私達の家に」
日奈子は思い詰めた真剣な顔でそう言った。
俺は日奈子の覚悟を見た気がして、何も言えなくなってしまった。
拓也も同じだったようで、「うん・・・。帰ろう」と言った・・・。
そして俺達は拓也の車で家を目指した。
拓也の車には彼の荷物が積まれている。
これから生活を始めるには少ないなと思う量だが、仕事も辞めた彼には十分な量なのかもしれない。
仕事は辞めたものの、拓也は慎重な性格だったので保険にも加入していた。
ガンや重度障害などの特約もつけていたので、退職金と合わせると十分な金額を持っていたと思う。
そして俺達の家に着くと、3人で荷物を運び込んだ。
「ありがとう。おかげで早く終わったよ。じゃあ車を置いてくるよ」
そう言って拓也は一旦自宅に帰ろうとした。
すると当たり前のように日奈子がそのあとを追う。
「じゃあ夕ご飯も何か買ってくるね。悠斗、バイバイ」
日奈子が言った。
俺は日奈子にこんな態度を取られて、自分が何一つ覚悟が出来ていなかったことを思い知った。
冷静に考えれば、こうなることは予測出来ていたはずだ・・・。
拓也は申し訳なさそうな顔で俺を見ると、そのまま車に乗り込んだ。
そして助手席に乗り込む日奈子。
日奈子は一瞬悲しそうな顔で俺を見た。
でも、すぐにドアを閉めると出発していった。
俺は拓也の荷物が運び込まれた部屋を見て、泣きそうだった。
バカなことをしてしまったという後悔が津波のように押し寄せてくる。
俺は着替えるとビールを飲み始めた。
(日奈子は、どう思っているのだろう?)
俺の気持ちが凹んでいるからだと思うが、日奈子は楽しそうだと思ってしまう。
日奈子は抜群のルックスの割に、男性との交際経験が少なかった。
セックスも俺が初めての相手だった。
さすがに付き合ったり、デートしたりキスをしたりは経験済みだったが、付き合ったのは高校時代に1人だけだったそうだ。
本人はモテなかったからだと言っているが、日奈子が可愛すぎて男子も行けなかったんじゃないのかなと思っている。
そして結婚してからは、いつも2人で一緒だった。
こんな風に別行動になるのは記憶にないくらいだ。
俺は気持ちが落ち込んだまま飲み続けた。
すると日奈子達が帰ってきた。
「お待たせ~。お腹空いたでしょ?買ってきたよ~!」
日奈子がいつもの感じで入ってくる。
でも、すぐ後ろには袋を両手に持った拓也がいる。
「待たせたね。お、先に飲んでるんだ」
拓也は出発前と比べて凄く明るくなっていた。
最近は感情が少し薄くなったようで、あまり笑う姿も見ていなかったが、こんなに笑っている拓也を見ると妙にホッとした。
そしてテーブルにお土産の寿司が並ぶ。
「結婚式の日のディナーには思えないな」
俺は、かなり虚勢を張ってそう言った。
「確かにね。でも、こういうのも楽しいよ。ねぇ、あなた」
日奈子は拓也を見てそう言う。
「そうだね。じゃあ、日奈ちゃ・・・じゃなかった、日奈子、食べようか」
拓也は、そんな風に言い直した。
確かに、夫婦なら呼び捨ても当たり前かもしれない。
俺は、本当に始まってしまったんだなと暗い気持ちになった。
そして食事が始まる。
日奈子と拓也はテーブルの同じサイドに座り、反対側に俺が1人で座る。
言いようのない孤独を感じながらも俺は虚勢を張り続けた。
「結構美味しかったな。俺、飲み過ぎちゃったから、先に風呂入って寝るよ」
そう言って立ち上がった。
「あ、うん・・・。じゃあ布団敷いとくね」
日奈子は少し言いづらそうにそう言った。
俺は、夫婦の寝室の横の洋室に寝るという段取りになっていた。
わかってはいたが、改めてそう言われると気が狂いそうになる。
そこで今さら俺は、今日は2人にとって新婚初夜なんだということに気が付いた。
「あ、ありがとう・・・」
動揺しながらそう答え、フワフワと地に足がつかない感じで風呂に向かった。
そして風呂に入り、パジャマに着替えてリビングに戻る。
すると2人はワインを飲んでいた。
「あ、早かったね。悠斗も飲む?」
少し頬を赤く染めた日奈子が聞いてくる。
俺は、「飲み過ぎちゃったから」と言い訳をして、逃げるように洋室に向かった。
背中から2人の「おやすみ」という言葉が聞こえてきた。
部屋に入ると、すでに布団が敷いてある。
俺は現実から逃げるように布団に入って目を閉じた。
でも、まったく眠れない。
2人の足音とか、風呂場の方からの物音に耳を集中させてしまう。
「一緒で良いじゃん。夫婦でしょ」
風呂の方から日奈子のそんな声がした。
<続く>